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桑原 茂一 JUL 17,2020

Look Book Cook Records No.60


BOOK
ウォーホル日記 上・下 CUT UP & 選曲

その1

stay home 中に読み終えたBOOK
「ウォーホル日記」

パット・ハケット編 中原祐介・野中邦子訳

著者 パット・ハケットの証言 (引用)

平日の慣習を守ることがアンディにとっては大事だったので、
よほどのことがなければそれを変えるということはなかった。
私との電話で「日記をつける」ことが終わると、
彼はさらにいくつか電話をかけ、シャワーを浴び、服を着、
かわいがっているダックスフント、
アーチーとエイモスをつれてエレベーターに乗り、
寝室のある三階から地下のキッチンまで降りて、
そこで二人のフィリピン人のハウスキーパー、
ネーナとオローラのブガリン姉妹と朝食をとった。
終わると〈インタヴュー〉を適当な冊数、小脇に抱え、
数時間買い物に出る。マディソン・アヴェニューを歩き、
ついでオークション・ハウスを覗き、
四七丁目の宝石店街を経て、
ヴィレッジのアンティーク・ショップ街へ行くのが決まりで、
その間、雑誌を商店主に渡してくる
(広告をだしてくれるかもしれないと思ってである)。
通りで彼を見つけ声をかけてくるファンにも渡す。
ファンに何かを与えることができると彼は嬉しくなって、
いつもいい気分になるのだった。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

「ウォーホル日記」は

上は1976年から1981年まで

下は1981年から1987年まで

共に700頁

アンディが生きて見て感じた10年と2ヶ月間が記されている


文春文庫
THE ANDY WARHOL DIARIES Edited by Pat Hackett
Copyright © 1989 by The Estate of Andy Warhol by arrangement with International Creative Management,
New York Japanese language paperback rights reserved by Bungeishunju Ltd.
through Tuttle-Mori Agency, Inc., Tokyo

ウォーホル日記下
1997年1月10日 第1刷
編者 パット・ハケット
訳者 中原佑介・野中邦子
 

日本で初版は1995年2月に出版(完全版)されている

その後1997年に文庫本化された

その文庫本を古本屋で入手

アンディ・ウォーホルの
創作の秘密とは?

そんな好奇心から
ページをめくり始めたが

しばらくして
人の生活なんかどうでも

“ええじゃないか”

と長らく本を閉じていた

が 今回のstayhomeで
乱読書するうちに

そういえば
と再び読み始めたのだ

しかも 「下」 からという舐めた態度で

が、人生もコロナも舐めたらあかん

想定外も 自己責任

それが ニッポン

図らずもルーティングの時間から

解放された

ローンでは買えない余剰の時間に

本を読む

枯れた土地が水を吸い込むように

本を読む

アンディの日記

実はめちゃおもろいやん

モーニング・ショー的 覗き趣味

はたまた 週刊誌的 暴露記事

人の振り見て我が振り転換

それだけではおまへんで

天才と呼ばれる人たちの生きる

「知恵」 と「毒」 が

ワンサカ ワンサ

ハウツー本なんか燃やしてしまえ!

野卑なエールが木霊する

歯に衣を着せない

アンディの辛辣さが涙を誘う笑う

人間とは斯くも浅ましい生き物なのか

しかしその思い

ナスを踏んでカエルと思う

加齢を生きる私の指南書でもあった

キャンパスにオシッコを振りまく

ピス・ペインティング手法のアンディ

(尿という排泄物を美的な抽象絵画へと昇華している)

身を挺し本心を素っ裸に晒す覚悟が

アートへの道

「ウォーホル日記」は

アート作品だった

うんなわけで

普通なら「上」から順次

解説する訳だが

「下」から読み始めたこともあり

掴み という意味でも

「ウォーホル日記」の

最後の最後の最後の記述を

cut up 記してみる

一九八七年二月十七日 火曜日
ベンジャミンが
コーディネートしたトンネルでの
ファッション・ショーに
出演することになっていたので
午前中はその準備をしていた
届けられた服を着てみたら
まるでリベラーチェみたいだった
いつもこういうのを着て
第二のリベラーチェに
なるべきなんだろうか
ヘビ革とウサギの毛皮だ
ジュリアン・シュナーべル(笑)
ならきっとこういうのに感激して
さっそく着るだろうけどね

ウォーホル日記〈下〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

ここでいうファッション・ショーとは

日本人デザイナー・佐藤孝信のことで

アンディ最後の

公式の“出番”となったそうだ

その「ウォーホル日記」では

佐藤孝信のNYでの

ファッションショーの

模様をこう記している

一九八七年二月一六日 火曜日
それからトンネルへ行き
注釈
(トンネルとは廃ビルを改造した巨大ディスコのことで
まるでトンネルの内部にいるようなインテリアだった)
ショーの出演者の中では
一番いい楽屋をあてがわれたが
それでも凍てつくような寒さだった
マイルス・ディヴィスは衣装道楽なんだ
彼が僕のために十分間演奏してくれたら
僕が彼のポートレートを
つくるという取引をした
彼はアドレスとスケッチをくれた—
マイルスが髪のセットをする間に
していたいたずら描きだ
マイルスの衣装は五千ドルの特注品で
黄金の音符がついていたりして
至れり尽くせりだった

ウォーホル日記〈下〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

それにひきかえ
ぼくのほうはそうじゃない
そういうのって悪辣だよ
黄金のパレットか何かをつくってくれたっていいじゃないか
だからぼくは哀れな継子みたいだった
挙げ句の果てに(笑)
ぼくの歩き方は遅すぎるなんていわれた
このショーの衣服は程度が悪い
ワニ革とか毛皮とかレースとかね
ほんとうにさっさと逃げ出したくなった
日本人のスタッフはマイルスより
ぼくのほうに興味があるみたいだった

ウォーホル日記〈下〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

https://youtu.be/SLJ4Y5BQ24k

確かに日本人はアンディが好きだった

アカ・ミドリ・アオ
グンジョーイロ
キ レイ

私にも分かるエピソードから
紹介したが

ネットのない時代には
ひたむきに想像するしかなかった

こんなことを書いたら
訴えられたり殺されたりしないのか?

読みながら何度も
ワクワクルンルンしたが

アンディはこの日記の終了と共に
天国に召されていた

実はアンディさん

敬虔な心の持ち主で

ニューヨークでの暮らしでは

日曜日の礼拝を
欠かさなかったようです

一九七七年四月一七日 日曜日
教会へ行き、ひざまずいてもっと儲かるようにと祈っていると、
ショッピングバッグ・レディがやってきて金をせびられた。
五ドルくれといい、いやードルだという。
まるでヴィヴァみたいだ。
五セント硬貨をやった。すると、女はぼくのポケットに手をつっこむんだ。
ブリジッドをストレート・ヘアにして老けさせたような感じの女だった。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

では再び「上」1976年の日記から
紐解いていきましょう

一九七六年一二月二五日 土曜日 NY ジャガー邸
ミックはボブ・コラセロの隣にすわり、
腕を伸ばして彼にコカインをすすめた。
「いいよ、くたびれているんだ」
そういいながらそれを飲もうとしたとき、
ヨーコとジョン・レノンが入ってきた。
彼らを見るとミックは興奮し、
ボブの鼻先に差し出しかけたスプーンを
持って駆け寄り、
ジョン・レノンの鼻先に差し出した。
ホルストンとルールー・ド・ラ・ファレーズはコカインをたっぷりとコーヒー・テーブルの上の蓋つきの器に入れておき、彼らのお気に入りの誰かがすわると、
「蓋を開けるとびっくりするよ」
というんだ。
パロマ・ピカソがきていた。
ジェイ・ジョンソンがデーリア・ドアティといっしょだった。
ディナーは最高だった。だけど、
ミックとビアンカはデザートを出すのを
忘れたね。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

では ここからは描かれた人々の紹介とその過去を選曲してみようと思う

選曲-1 1976年 Mick Jagger
The Rolling Stones Live Paris 1976 Show Completo

https://youtu.be/A40P1NCjHsY

選曲-2 1976 The Rolling Stones
アナログな時代 36 Fool to Cry (1976) The Rolling Stones

「愚か者の涙」

選曲-3 John Lennon interview 1976 at The Dakota
https://youtu.be/RJ1AJ1_5f_E

選曲-4 1976年 ヨーコとジョン・ レノン
The Beatles – The Ballad Of John And Yoko

https://youtu.be/v-1OgNqBkVE

因みに Johnがインタビュー映像で口ずさんでいる曲は

選曲-5 Labelle/Lady Marmalade(1974年)
https://youtu.be/ZbiWMvhQfAc

ボブ・コラセロ(インタビュー・編集者)
『インタビュー』は1969年後半にアンディ・ウォーホルと
イギリス人ジャーナリストのジョン・ウィルコックが創刊したアメリカの雑誌。
初期の頃は無料コピーが「群衆」に配られることが多かった。

一九七七年一月一七日 月曜日 クウェート
車で、ファハド・アル・ダボスという金持ちのコレクターに会いにいった。
でっぷりしたすてきな男だ。壁にたくさんの絵をかけていて、ダリも数点あった。
一点はかなりの大作だった。
男の友達が大勢きていて、ほとんどが民族衣裳だ。
奥さん連中も二人いた。そこでは、
やっぱり酒が出たよ。
金持ちだけだといったろう。
テーブルにはものすごい
ごちそうが並んでいた。
イラン風のもてなしときたら、
ちょっと類がないね。
男たちは太って見えたけど、
民族衣裳を着ているので
はっきりしたことはわからない。
しかし、主人はたしかにでっぷりしている。
この男は、「マリリン」と「花」の版画を
買っていた。
ダイヤモンドだらけで文字盤が青い女物の腕時計をしていたよ。
クウェートの食べものは油っこい
――油っこいローストだ。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

クウェートもアラブ文化も音楽も
全くの門外漢だが

1977年から川久保玲さんの
ギャルソンのファッションショーの
音楽選曲を担当することになり
1982年からは
パリ・コレクションの為に年二回
メンズ・コレクションが始まってからは年四回

まるで季節労働者のように
お仕えしたが

その間パリのラジオから流れるアラブ・ミュージックに刺激され

アラブ街のカセット屋通りを何度か探索しチョツト危ない目にも遭わず

アラブ音楽のイロハも分からず
アラブ音楽のカセットを収集した

選曲-6 7 8 9 10 11
Amantu billahi wa malaikatihi – Khadija Kolibri

https://youtu.be/fV-9IJfoGQE

Xadidja – Ya Rasul Allah
https://youtu.be/ENZftt9ZjsY

Assalamu Alayka – Siti Hawa
https://youtu.be/Ty9EdZq0cSg

Puja Syarma – Assalamu’alaika (Cover Version)
https://youtu.be/MR0AWoLg6Ao

Puja Syarma – Law Kana Bainanal Habib (Versi Puja Syarma)
https://youtu.be/hR3x-NLkpCs

INNAL HABIBAL MUSTHOFA | LIRIK & TERJAMAHAN
https://youtu.be/3EvHW9smqt8

サルバドール・ダリ ダリも数点あった。一点はかなりの大作だった。

選曲-12 1956 Salvador Dalí en su casa de Port Lligat
Dali’s House Port Lligat Cadaqués Spain Casa de Dalí
https://youtu.be/vFhBBSeCie0

一九七七年一月二四日月曜日 パリ
朝の五時から一日中、アパートには人が入れ代わり立ち代わりあらわれる。
ミックはピーター・ビアードやフランシス・ベーコンと午後を過ごしたあと、
べろべろに酔っ払ってあらわれ、ぼくのベッドで眠ってしまった。
夜の十一時になって起こそうとしたけど、まだ眠たがっていた。
クラブ・セット(百二十ドル)にピーターとモナ・クリスチャンセン、
ジェドと行った(タクシー二ドル、帰り二ドル)。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

ピーター・ビアード

1938年、ニューヨーク生まれ。イエール大学で古典絵画論を学び、1961年にケニアに移住し『アフリカの日々(Out of Africa)』のカーレン・ブリクセン(イサク・ディーネセン 1885-1962)と知り合う。1963年『ジ・エンド・オブ・ザ・ゲーム』を出版。政治的に線引きされた保護区域内で、個体数の増加によって引き起こされた、飢えとストレスによる象の大量死に人類の未来図を見て、環境問題に一石を投ずる。

https://www.nitesha.com/?pid=91585011

フランシス・ベーコン

フランシス・ベーコン(Francis Bacon、1909年10月28日 – 1992年4月28日)は、アイルランド生まれのイギリス人画家。抽象絵画が全盛となった第二次世界大戦後の美術界において、具象絵画にこだわり続けた。20世紀最も重要な画家の一人とされ、現代美術に多大な影響を与えた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/フランシス・ベーコン_(芸術家)

モナ・クリステンセン

Bilitis is a 1977 French romantic and erotic drama film, which was directed by photographer David Hamilton (1933-2016) with a music score by Francis Lai. It starred Patti D’Arbanville and Mona Kristensen as the title character Bilitis and Melissa, respectively.

https://en.wikipedia.org/wiki/Bilitis_(film)

選曲-13 BILITIS – FRANCIS LAI
https://youtu.be/XpKeN6O-4Dw

一九七七年一月三一日 月曜日 ナッシュヴィルーニューヨーク
七時半まで仕事。レジーヌの店へ行く。ウォーレン・ビーティがいたけど、少し太って老けて見えた。ジャック・ニコルソンもいて、これまた少し太って老けて見えた。
アンジェリカ・ヒューストンとモデルのアポロニアもいた。
最近、アポロニアのことが好きになった。彼女はほんとにやさしいんだ。
カトリーヌ・ドヌーヴがいたよ。パーティの主賓だったんだ。
ウォーレンは黒人モデルのイマンとデートしていた。
昨日の午後、ルース・クリグマンが電話してきたので、ジャック・ニコルソンに会ったら、
ジャクソン・ポロックの伝記映画に出るつもりはないか打診してみるつもりだと伝えた。
ジャックに会うとき、いっしょにつれてってくれとルースがいうので、
いやだといってやったよ(笑)。あの本を読んだあとじゃ、どこにもつれていきたくないね。
じっさい、彼女がポロックを殺したも同然だ。
ポロックがあんなにかっとしたのは、
彼女のせいだからね。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

ジャクソン・ポロック

ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912年1月28日 – 1956年8月11日)は、20世紀のアメリカの画家。抽象表現主義(ニューヨーク派)の代表的な画家であり、彼の画法はアクション・ペインティングとも呼ばれた。抽象表現主義の画家たちの活躍により、1950年ごろから美術の中心地はパリではなくニューヨークであると考えられるようになった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャクソン・ポロック

https://youtu.be/Q1irNBh2qg8

ー九七七年二月二日 水曜日
ジャクソン・ファイヴのマイケル・ジャクソンをインタヴューした。
背はずいぶん伸びていたけど、
声はまだとても高い。
大男をつれていた。たぶんボディガードだ。
それと、『ウィズ』に出ていた女の子もいっしょだった。
はじめから終わりまで
なんともこっけいだったよ。
だって、キャサリンとぼくは、
マイケル・ジャクソンのことを
何も知らなくって、
彼は彼でぼくをぜんぜん知らないんだ
彼はぼくのことを詩人かなんかだと思ってたらしい。
それで、ぼくを知ってる人なら
けっして訊かないようなことを、
いろいろ質問するんだ。たとえば、
結婚していますかとか、お子さんはとか、
お母さんは健在ですかとかね……(笑)。
それで、「母は家にいます」と
答えておいたよ。
ぼくたちはマイケルに
ダンスを見せてほしいと頼んだ。
最初は渋っていたけど、
そのうち『ウィズ』に出ていた
女の子といっしょに踊って見せてくれた。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

選曲-14 1977 マイケル・ジャクソン 
The Jacksons – Show You The Way To Go

https://youtu.be/_QGWZ9OOGAI

一九七七年三月一二日土曜日
早起きした。いい天気だ。
サブコフ・アンティーク店に寄って、
アイデアを探す(タクシー 三ドル)。
歩いてオフィスへ。ボブがきていて、
ぼくと共著で進めている写真集のために写真をチェックしていた。
出かけていたヴィンセントが新聞を買ってきた。
そしたら、「映画監督、強姦罪で訴えられる」という見出しだ。
ロマン・ポランスキーのことだ。
相手は十三歳の少女で、
ジャック・ニコルソンの家の
パーティにつれてきたんだ。
少女の両親から通報があって、
翌日、警察がニコルソンの家の中を捜索した結果、アンジェリカがコカイン所持で逮捕された。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

ジャック・ニコルソン 1977
https://youtu.be/y7dDK-YbrNo

ロマン・ポランスキー(Roman Polanski, 1933年8月18日 – )は、ポーランド出身の映画監督。

選曲-15 Chinatown – Love Theme From Chinatown
https://youtu.be/lmOhNyitewI

一九七七年三月二九日 火曜日 ロサンゼルスーニューヨーク
一時のアメリカン航空でニューヨークに帰る。
アカデミー賞授賞式に出た大勢の人がこの飛行機に乗っていた。
ファースト・クラスがそんなに混んでいたのははじめてで、
『ウェルカム・バック・コッター』のジョン・トラヴォルタが通りかかって、
ぼくにハイとかなんとか声をかけ、
前の席にすわった。
ジョン・トラヴォルタはしばらく洗面所に入っていたが、
目を真っ赤にして出てくると、
オレンジ・ジュースと酒を紙コップで
飲んでいた。
それから顔を枕に押しつけて
泣きはじめた。
ぼくは彼が台本を読んでいるところも
見たので、演技をしているのかと思った。
見るからに格好のいいとても繊細な顔立ちのうえに背が高く、見た目はゲイっぽくて、
最近よく見かけるタイプだが、
すごくハンサムだ。彼は魔力の持ち主だね。
スチュワーデスに彼はなぜ泣いているのかと訊いたら、
「身内に不幸があったからだ」という。
父母のどちらかが死んだのかと思っていたら、家に帰って新聞を読んでやっと、
ダイアナ・ハイランドが死んだことを
知った。
ソープ・オペラの大スターだった彼女は
四十一歳で癌で死んだんだが、
トラヴォルタの
長年のデート相手だったんだ。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

Welcome Back (お帰りなさい)
1975年から79年にかけてアメリカのABC放送局で放映されたTVドラマ

“Welcome Back, Kotter”
ジョン・トラヴォルタの出世作TV番組

選曲-16 John Sebastian Welcome Back
https://youtu.be/D1CWeJkNYfE

一九七七年一〇月七日 金曜日
ラジオ・シティでのフォー・シーズンズのさよならコンサートに招待された。
彼らは最初のプロデューサー、
ボブ・クルーに感謝していた。
その関係で、
ぼくも六〇年代に彼らと知りあったんだ。
コンサートのあと、
フランキー・ヴァリが挨拶にやってきた。
ぼくはプログラムにサインしてもらった。
彼がいうには、ボブ・クルーは
カリフォルニアで車にはねられ、
片脚を切断するかもしれないらしい。
ひどく落ちこんでいたから、
電話をしてやってほしいという。
いつも思うんだけど、フランキーはボブのことを
とても気にかけている。
でも動転しているようには見えなかった。
気にかけてはいるんだろうが、
ぼくが思っていたほどでは
ないのかもしれない。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

選曲-17 Four Seasons Sherry Original Stereo
https://youtu.be/7sJCYeG6be8

フォー・シーズンズ
アメリカ1960年代中期に世界規模で成功したブルー・アイド・ソウル
(つまり白人が演奏した60年代の黒人音楽)

一九七七年一〇月一一日 火曜日
ステュディオ54へ行った。
エルトン・ジョンのパーティか何かをやっているはずだった。
スティーヴィーはぼくら全員を上のブースに案内してくれて、
そこにマイケル・ジャクソンがいた。
マイケルは感じがよかった。
あのかぼそい声で
ぼくに絵のほうはどうと訊いた。
デイヴィッド・ホックニーがいた。
カメラマンがきていて、
エルトン・ジョンとぼくを並べて写真に撮りたいといった。
それで、ぼくはエルトンに
キスしてもいいかと訊いてみたが、
彼は答えなかった。
聞こえなかったのかもしれない。
彼は髪を移植したので帽子をかぶっていた。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

選曲-18 1977 Elton John- Your Song
https://youtu.be/Zhn3KVQ15fA

一九七八年一月二日 月曜日
タクシーで『サタデー・ナイト・フィーバー』を見ようと出かけたが(三ドル)、
着いたときにはもう全席売り切れだった。
そこで、別の上映館を探して行ってみたが、
そこも売り切れだった(タクシー三ドル)。
しかたがないので、相談してブニュエルの
『欲望のあいまいな対象』を
見ることにした
(チケット十四ドル、ポップコーン四ドル)。とてもよかった。
プニュエルの初期の作品よりずっとモダンだ。というのも、
少し間があいて沈黙が訪れるたびに、
ヴェネチアン・ブラインドごしに窓の外のパリの街路が映され、爆弾が破裂する―
誰かが何かを爆破しようとするんだ。
だけど、誰もこの映画が理解できなかった。
二人の女性が一人の役を演じていて、
それがなぜだか説明がないんだ。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

選曲-19 『サタデー・ナイト・フィーバー』予告
https://youtu.be/GChithtlBTo

サタデー・ナイト・フィーバー(英: Saturday Night Fever)は、1977年製作のアメリカ映画である。
監督はジョン・バダム。ジョン・トラボルタの出世作である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/サタデー・ナイト・フィーバー

選曲-20 ブニュエル『欲望のあいまいな対象』
https://youtu.be/vBTy2_XMpbE

ルイス・ブニュエル監督の遺作で、ピエール・ルイスの小説『女と人形』(映画化作品『西班牙狂想曲』『私の体に悪魔がいる』)からインスパイアされた作品(原作とはクレジットされていない)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/欲望のあいまいな対象

一九七八年五月八日 月曜日
デイヴィッド・ボウイのチケットは二枚しか手に入らず、みんな行きたがっていた。
ビアンカが電話で、デイヴィッド・ボウイのチケットがぼくの分として二枚あるといってきた。
だからぼくが持っていた二枚は、
すごく行きたがっていた
キャサリンにやった。
ぼくらは舞台裏へ行って酒を飲んだ。
ビアンカはデイヴィッド・ボウイの楽屋に行って、
出てくると明日の一時に
みんなでクオ・ヴァディスで
昼食をともにする約束になったといった。
それからデイヴィッドは
またステージに戻った。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

一九七八年五月九日 火曜日
ビアンカが電話してきて、
デイヴィッド・ボウイは忙しいので
昼食にこられなくなったが、
明日なら大丈夫だという。
どうやらビアンカは
それほど怒っていないようだった。
ステュディオで会った男の子のことを
話したっけ?
ウラジーミル・ホロヴィッツと
関係をもったというんだ。
ぼくは「七十九歳の老人がそんなことができるかな?」といった。
嘘っぱちだよ。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

一九七八年五月十日 水曜日
昨夜、ディヴィッド・ボウイといっしょの
ビアンカを見かけた。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

選曲-21 David Bowie. Andy Warhol
https://youtu.be/OGLvxlnTMaU

一九七八年五月十一日 木曜日
マーティン・スコセッシたちのいるシェリー・ネザーランドへ行く。
スコセッシと『ラスト・ワルツ』のロビー・ロバートソンにインタヴューするためだ。
ロビー・ロバートソンは五時になって
やっとあらわれた。
スティーヴン・プリンスという
若者もいた。
『タクシー・ドライバー』で
銃を売るチンピラに扮したやつだが、
あの役柄のままだ。
ほとんど地でやっていたみたいだった。
マーティはいまスティーヴン・プリンスの顔を写しっぱなしの映画を撮ろうと思っているという。
顔が物語るんだ。マーティによれば、
そのアイデアはぼくから得たという。
ロビーは、ディランの時代からぼくのことを知っているといっていた。
ぼくがディランにやった
「エルヴィス」の絵はじっさいのところどうなったのか知りたいと、
ロビーに訊いた。ロビーがいうには、ディランはあるときその絵をグロスマンにやってしまったんだって。ソファと交換に! (笑)

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

選曲-22 映画『ラスト・ワルツ』予告
https://youtu.be/ObPtHFcrt8Y

一九七八年六月二〇日 火曜日 ロンドン
ドーチェスターの電話交換手はすごく有能で耳がいい。一人が「にせもののミセス・ジャガーからお電話ですが、お出になりますか?」といった。それで、「オーケー」といってつないでもらったら、ハローといったとたんに切れた。交換手はどんな電話も選り分け、客の居場所を完全に把握している。調べもしないのに。ほんと、世界中がイギリスみたいだったら、すべてがもっとうまくいくのにね。今回のロンドンはすごくおもしろい。六○年代のニューヨークより刺激的だ。でも、すてきな連中がいるのはこのイヴェントのある二週間だけだ……。
グレーブ・プレイスのノナ・ゴードン・サマーズの家のパーティに立ち寄った。彼女は数軒の家の裏手に並んだ一列の家並を買い、片流れのガラスの屋根をつけて一続きの大きな建物にした。これまでずっと彼女のことは好きじゃなかったけど、いまは好きだ。エレガントで感じがよかった。パーティの主賓はボブ・ディランだった。ビアンカはディランのことをあれこれ吹聴して、彼に迫られたという話をしていた。ディランは自分のバスを表に停めていた。ノナがディランにぼくの絵を買うべきだというと、彼はあっさりした口ぶりで以前持っていたよといい――ぼくが彼にやった「シルヴァー・エルヴィス」のことだ -そして、持っていたけどソファと交換してしまったんだといった。二、三週間前にロビー・ロバートソンから聞いた話はやっぱりほんとうだったんだ。ディランがいうには、ぼくがまた別の絵をやったら、今度はそんなことはしないって。ディランは取り巻きの女性たちを次から次へと紹介した
――美人ぞ如ろいで、レズビアン・タイプの女たちが床にごろごろ転がっていた。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

一九七八年六月二一日 水曜日 ロンドン
ICAのオープニング。パンクが大勢いた。
ジャック・ニコルソンがきた。
映画「シャニング」の撮影でロンドンに滞在中だった。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

選曲-23 『シャイニング』映画予告
https://youtu.be/uCfzgiULudY

スティーヴン・キング×スタンリー・キューブリックによるホラーの金字塔
全世界を震撼させた、映画史に残る傑作

一九七八年六月二六日 月曜日
マーサ・グレアムの舞台を見に、
最初のナンバーは退屈だった。
セットはイサム・ノグチだった。
セットは最高だった。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

イサム・ノグチ(Isamu Noguchi、日本名:野口 勇、1904年11月17日 – 1988年12月30日)は、アメリカ合衆国ロサンゼルス生まれの彫刻家、画家、インテリアデザイナー、造園家・作庭家、舞台芸術家。日系アメリカ人。

https://ja.wikipedia.org/wiki/イサム・ノグチ

Rei Kawakubo ISAMU NOGUCHI AWARD

一九七八年七月十日月曜日
ヴィンセントとタクシーで四四丁目、六番街まで行く(三ドル)。
サイア・レコードのスタジオでトーキング・ヘッズのプロモーション・ビデオに出演するためだ。
二十回もやりなおしをした。あとでヴィンセントにもいったんだけど、
ぼくは役者にはなれないまったく向いていない。舌はもつれるし、かならずNGをだしてしまう。
「みんなにいってよ、ウォーホルもおすすめ」。
ぼくのセリフはたったこれだけだ。それなのに、何回やっても棒読みになってしまったんだ。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

選曲-24 1978 Talking Heads – Warning Sign – More Songs About Buildings and Food
https://youtu.be/qfphGDfjrtk

一九七八年七月二十日 木曜日
タクシーでボトム・ラインヘ(六ドル)。デイヴィッド・ジョハンセンはすごくキュートだった。
とてもかっこいい。一つだけ難をいえば、跳ねまわりすぎるってことだよ。
あんなことはやめたほうがいい。ルーも前はそうだったけど、いまはしてない。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

ボトム・ライン(The Bottom Line)
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市グリニッジ・ヴィレッジにあったライブハウス。

オープン間もない1974年
http://bottomlinearchive.com/chronology_1974

実は私もこのライブハウスで楽しい時を過ごしたことがあります

Dr. John: Right Place Wrong Time

あの名曲を目の前で体験したのです

Dr.Johnはヒッピー&錬金術師的コスチュームで

セクシーな女性コーラス太刀を引き連れ

金粉を振りまきながら客席を練り歩きながらの登場

度肝を抜かれた私も完全に煙に巻かれ

目は真っ赤に充血していました

しかも 客席にはあのミック・ジャガーもいて

雑誌日本版のローリングストーン誌の特班員として

写真家大西公平さんから借りた初めて使う一眼レフで

恐る恐る ミック様にカメラを向けたら

あろうことか 私のレンズに向かって微笑んでくれたのです

天にも昇る喜びとはこのことでしょうか

帰国後 ど素人のフィルムを現像してくれたのが

なんとも恐れ多い孤高の写真家 三好耕三さんだったのです

恥ずかしながら最近思い出したのですが・・・・

そして私のカメラは手前の美人にピントを合わせていた

選曲-25 Dr John Right Place Wrong Time
https://youtu.be/G5zPqgQ67yo

選曲-26 The David Johansen Group – I found a love (Live)
https://youtu.be/XtpT1RgrOZQ

一九七八年七月二十日 木曜日
ルーから、家に寄っていけと誘われた。ぼくらが入っていくと、たむろしていた若者たちが「ルー・リードだ」と囁きあっていた。ルーはその子たちに「くたばっちまえ」というんだ。
すごいよね?ぼくの飼っている犬を見たあとで手に入れたというルーの二匹のダックスフントを見せてもらったが、すごくかわいい――デュークとバロンというんだ。ルーはドラァグ・クイーンのレイチェルと別れたらしいが、完全に切れたわけでもないらしい。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

選曲-27 1978 Lou Reed I Wanna Be Black (Live at the Bottom Line, New York, NY – May)
https://youtu.be/xDVT_L7efkU

一九八〇年一〇月二一日 火曜日
そうそう、ジョンとヨーコのために買い物をするのが仕事だという若者に会ったよ。
服や日用品を買ってくるんだ。買ってきたものを返品しろといわれたことがあるかと尋ねたら、一回だけあるということだった。あの二人はめったに外出しないけど、買った服を着ることなんてあるのと訊いたら、その青年はこう答えた。
「あの人たちはカムバックするらしいですよ。スタジオへ行くときに着ていましたね」。
それから傑作だったのは、彼が二人の仕事をはじめる際、「将来、ジョン・レノンおよび、あるいはヨーコ・オノについての本は書かない」という書類にサインさせられたんだって。すごいね。
仕事は気に入っているといっていた。ぼくも買い物を手伝ってくれる人間を見つけるべきかな。
お勧めの新製品がどこで売っているかを教えてくれるような人間をね。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

選曲-28 John and Yoko RKO Interview December 8, 1980
https://youtu.be/VegLeptUQ4M

一九八〇年十一月十日 月曜日 パリ
本屋へ行ったら、やっとやりたいと思っていた新しいアイデアがひらめいた赤ん坊に乳をやっている母親の像だ。すごくエロティックで、いい主題だと思う。じつをいえば、そのアイデアをくれたのはユーニス・シュライヴァーなんだ。このあいだの晩、あるアパートで聖母像を見た。セクシーな貴婦人が赤ん坊を抱いていて、一人の天使が乳を吸っている絵で、なんだか胸に迫るものがあった。それで、クリストファーが赤ん坊を産んだばかりの母親を探してくれることになった。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

一九八〇年一二月八日 月曜日
ホルストンの家まで徒歩で行った。女性モデルが勢揃いしていたが、全員、彼の服を着ていた。
家の前に三台のリムジンが並んでいて、みんなでメトロポリタン美術館へ行った。
ダイアナ・ヴリーランドのコスチューム・インスティテュートのオープニングを祝うディナーだ。
客は総勢六百五十人で、有名人ばかりだった。
誰かが入ってきてジョン・レノンが撃たれたといったが、誰ひとり信用しなかった。
それで誰かがヘデイリー・ニューズに電話をしたら、ほんとうだという。恐ろしいことだが、みんなその話でもちきりになった。
ジョンは家の前で撃たれたんだ。
家に帰ってテレビをつけたら、ジョンを撃った犯人は、その日の夕方にジョンにサインを求めた男だったという。

ウォーホル日記〈上〉(文春文庫、1997年)
パット・ハケット編 中原祐介/野中邦子訳

選曲-29 John Lennon Speaks Japanese / ジョンレノンが話す日本語
https://youtu.be/bcDDdTPvCNE

さて コロナと歩む社会が求めるアートとは何か?

アートの世界にそもそも門外漢の私だが

この日記が私にとってのアート(現代美術)を

知るきっかけだったことは明白だ

つまり どんな天才と呼ばれるアーティストであれ

とどのつまりは あなたと私と同じく

生きることの苦しみを背負っているのだということ

そして どの分野であれ その仕組みをきちんと理解し

成功へ到る道筋を見分けることができなければ

面白いことは何ひとつできないという教訓でもあった

自責の念=私

この連載でアンディの日記を扱ってみようと思ったのは

縁あって米国から30年遅れのジャパン

オルグ洗脳されたままアメリカを追う従う属国ジャパン

もはや最貧国と呼びたいジャパン

図らずもアンディが日記に記した

アート界(芸能界&社交界)の真実は

このTOKYO のアート・シーンの禍々しさを

知る手がかりがになるかもしれない

そんな邪推がトリガーになり

連載60回目として紹介させて頂いた

つまり・生きることは Dancing

選曲-30 A Classic 70’s TV Show Dance Party
https://youtu.be/-sGcAHfYSpU

ANDYといえばSTUDIO54

one more dance

選曲-31 DJKoebes – Studio 54 Disco New York 1977 – 1986
https://youtu.be/yDoVh0N7it8

「ウォーホル日記 」上 いかがでしたでしょうか?

余りに長尺になったこともあり
1979年の日記は割愛させて頂きました。

下 と行きたいところですが
興味のある方は お買い求めの上お読みください。
そのほうが何倍も楽しめますよ

最後になりましたが
本文からのフレーズをCUT UPする手法は
あくまでもこの素晴らしい書籍を
一人でも多くの方がに知って欲しい
そんな切なる願いからです
ご理解賜りますようお願い申し上げます

では最後の選曲です。

選曲-32 John Lennon Double Fantasy Woman
https://youtu.be/zF6e-NmwmnA

初代選曲家 桑原 茂→

ps: LOOK BOOK COOK RECORDS 60
この回は mixcloud 海賊船 PirateRadioで紹介させていただきます。
https://www.mixcloud.com/moichikuwahara/moichi-kuwahara-pirateradio-presents-radio-urban-research-rail-trip-satoru-saitoh/

PROFILE

初代選曲家、毎週金曜日夜11時Mixcloud PirateRadio(海賊船)、 創刊1988年 free paper dictionary編集長

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