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桑原 茂一 NOV 02,2020

Look Book Cook Records No.67


鬼が笑う年明け話です

2021年2月10日発行
freedom dictionary198号

その号で紹介するアーティストから
作品集が送られて来ました。

「佐藤ブライアン勝彦」著
「Life and Days through 311」

その作品集とは

311

間も無く10年
まさに忘れた頃に・・
震災はやって来る。

今回は3・11を題材に話してみようと思います。

何故ならブライアンの311には希望しかない

ブライアンは愛だ!楽園だ!

地獄を愛スケッチで綴った男ブライアン!

この作品集は必ずやあなたを楽園へ
導くことでしょう。

洗い立ての白い綿のハンカチのような

佐藤ブライアン勝彦 の手記を紹介しよう。

そしてアートでしか描けない311のもう一つの姿をご覧いただきたい。

全てを失った時、正気を保つには
イチジクの実が必要だ
KATSUHIKO SATO

1978年の宮城県沖地震が起きた時、眠る場所に困った事を思い出し、
自分の店へ戻り片付けを始める事にした。
幸い両親も僕も店をやっているので、当分の食料は冷蔵庫にある。
とりあえず寝場所さえ確保すれば何とかなると思っていた。
ほうきで床を掃いていると母が毛布を持ってやって来た。
暫くすると妻も会社から戻って来た。
妻は母の顔を見て、ほっとしたのか
「きみこさーん」と言い泣き出してしまった。
ある程度掃除をし休憩しようと外へ出ると爆音が聞こえてきた。
空を見上げると戦闘機が低空で関東方面へ飛んで行った。
かつて住んでいた神奈川県の大和市上空では見慣れた光景だったが
仙台に戻ってからは初めてで、これはとんでもない事が起きたんだ、
途中略
いつか宮城県沖地震がくるのは分かっていたはずなのに
あまりにも準備不足だった。
あっという間に夜になり、街灯も家の灯りもない黒の闇の中、
遠くから聞こえてくるサイレンの音はより一層恐怖心をかりたてた。
僕が住んでいるのは仙台市内北部のベッドタウンで、
家も店も駅近くの比較的賑やかな場所なのだが、
歩いている人はほとんどおらず、
ときおり歩いている人も顔は見えず、
手にした懐中電灯の明かりでぼんやりと人のかたちがわかる程度だ。
まわりの様子を見に行こうとしても、
人間、本能的に闇は恐ろしいらしくて
10m先にも足がすくんで進めない。
怖かった。寒さが厳しさを増してきたため店内へ戻った。

現実とは思えなかった。

一瞬にして住処が消えた

着替えはない

お金もない

携帯はつながらないまま失った

頼る人が見つからない

呆然としたまま

あたりは真っ暗になった

しばらく何も食べていない

灯りを求めて歩く歩く歩く

ようやくたどり着いた

三人の親子

どんなに心細かったか

引用開始

しばらくすると、
「すいません、いいですか」と
行き場のない人達が
一人また一人と
扉を開け店内に 入ってきた。
避難所がいっぱいで
入れなかったそうだ。
顔もよくわからなかったが、
こんな状況なので
「どうぞ、どうぞ」と
中へと入れてあげた。
「暗闇の中に、ここだけ明かりがついていたので。すいません」と
若い男の子は言った。
そのうちに、まわりのアパートの人や近所に住む親戚も
集まってきて、さながら簡易避難所となっていた。
総勢20数人。蝋燭を囲んで毛布にくるまり椅子に座ってる人、
壁際の長いソファーには
10人くらい、カウンターの下に
3人の子供。
小さな橋の明かりでは
顔などはよく見えず誰なのか
わからないが、
皆で声を掛け合い、
震える人がいたら
毛布を順にゆずりあって
寒さを凌いだ。
電気は止まり、ラジオもなく、
携帯もつながらない中、
私たちは、
どんなことが起きているのか
まだわからずにいた。

ガレキを撤去している作業員が、昼でも見てはいけないものを
見ると話していたそうだ。
さまよう魂が早く天国へ行けます様に・・・

外へ出るのは密室から解放された気分だ。
ひんやりとした冷たい空気を一気に吸い込み、ふぅ〜
と息をはきながら空を見上げると
夕方に降り始めた雪はもうやんでいて、
今まで見た事もない星空がひろがっていた。
青白く銀色のまさに無数の星々が私達を見下ろしていた。
街の明かりが失われると、こんなものが見えるのか・・・・・・。
それは宇宙に包まれている感じと言うか、
宇宙に浮かんだ地球を体感したと言うか。
言葉にするのは難しい。みんな驚きの声をあげた。
僕はこんな状況の中で、
こんな美しい夜空を見ることになるとは思わず、
何とも複雑な気持ちになった。
遊歩道の先の暗がりへ目をやると
何か得体の知れないものが見えてしまいそうな気がした。
頭には浮世絵の幽霊画や妖怪画が浮かんだ。
電気の無い時代を生きた人の方が想像力は豊かだったのかもな。
24時間どこでも電気の灯りが照らす明るい社会は
人間の想像力や精神を壊してしまったのか
と漠然と考えていた。
後日、
「闇がなくなった代わりに人間は心の中に闇を持つようになった。
闇と病みは同じ音でしょう」
と、知り合いになった宮司さんはおっしゃっていた。

こんな時に言うのもあれですが、普段より体の調子が
良いんですよ。
なんかうちら
家族みたいじゃないですか?
一緒に避難している
B君がこう言うとみんな笑った。
共同生活中は必然的に
規則正しい生活になり、
皆で一緒に食事をし就寝も
一斉に。
人との距離の取り方は
難しいというけれど、
この時は濃密な距離感なしでは
生きて行けなかった。
お互いに協力し、顔を合わせ会話をし相手を気遣い、助け合う。
日がのぼってるうちに事をすませ暗くなったら布団を敷いて寝る。
一日が何事もなく終わり、
家族の無事を喜び、
太陽に感謝し夜空を愛で 
自然を敬う。
文明が今ほど発達しない
過去に生きた人は、
きっと現代に生きる僕らより
心は豊かだったと思う。
人間らしい生き方とでも
いうのかな。

僕の恋人は地下に眠っている
彼女は不滅の死の国に住んでいる
僕は美しいこの凍った地上に住んでいる

今では少し記憶が曖昧だが、地震から3、4日後に電気が通じ、
それから数日して水道が復旧した。
1週間も過ぎる頃には皆の顔に笑顔が戻りつつあった。
隣の美容院の若夫婦はシャンプーだけの営業をはじめた。
「日銭をかせいで、みんなの食料にします」
と言ってくれたその言葉は嬉しかった。

原発と避難生活
福島原発が冷却機能停止とニュースで流れた。
日本の技術力なら何とかなるのだろうと思っていたので、
午後のニュースで「何らかの爆発があった」と聞いた時は
ショックだった。
仙台まで 100キロほどしか離れていないし、
逃げなければ!とは思ったがガソリンもない。
まして震災直後の混乱した状況でどうする事も出来なかった。
チェルノブイリのような事になってしまうのか?と考えると
恐ろしくなった。
深夜にニューヨークに住む友人、江口君が心配して電話をくれた。
こちらの状況を話すと、
どうも海外のニュースで流れている情報と
差異があるようで
「こっちのニュースで流れているのは
だいぶ違うんだけどどっちが正しいんだろう?」
と疑問に思っている様子だった。
僕がニュースで聞いたものより、
海外のニュースによると
原発はもっと深刻な状況らしい。
また、何日目だったか定かではないが
東北大の大学院へ行っている友人が
「教授に聞いて来たんですが…」と電話をくれた。
明日雨が降る予報がでてますが、なるべく雨に濡れないように。
だった。レインコートに傘もさすように。
すぐに体に影響があるわけではないが
濡れないにこしたことはないとのことで。
チェーンメールの内容もまんざら嘘ではないようです
との事だった。
今でも忘れられないメールがある。
心配しすぎておかしくなりそうな僕の為に
一緒に避難しているM君が
ウラン関係の仕事をしている彼の父親に
どう行動したら良いかを訊いてくれ、
色々な式が書かれたメールを見せてくれた。
式やミリシーベルトの意味もその時は分からなかったが、
「仙台に居る限り健康被害になる可能性は無いと言うことになる」
と書いてある文字で何とか正気を保てた。

震災から三日たった深夜、皆が寝た後に「酒でも飲みなよ」
と先輩にワインを渡され一口飲んだら泣きじゃくってしまった。
なんで涙が出たのか分からなかったが、今になって思えば地震と
原発、津波にあったかもしれない妻の両親の安否、
避難している皆の事、逃げたいけど、ここにいるみんなはどうする?
受け入れがたい現実への責任、緊張感など溜まっていたものが
涙となって流れ出したように思う。

人は何故、涙を流すのか?
手を合わせるのか?
何故抱き合うのか?
助け合うのか?
想うのか?
震災で失われた日本人の
心を見た気がした

敷島の やまと心を 人とはば

朝日に匂ふ 山さくら花

敷島の国やまとの人々を特色づける大和心について尋ねられたなら、

私はそれを、朝日に映える山ざくらの花と答えよう。

<本居宣長>

震災の体験で、自分の中でとても大きな変化が起きた。
物の価値にも疑問を抱くようになった。
いつも使っているファンヒーターや電灯は使えず、
携帯はつながらなかった。
一昔前の反射式の石油ストーブや
蝋燭、手回しの充電器などの手動式のもの、
井戸やプロパンガスのような
インフラにつながっていないものなど、
今となっては不便なものがとても重宝だった。
普段の生活で価値が高いとされる物と
災害時に価値ある物は全く逆だ。
普段ならば洋服やバッグに価値を求めるが、
災害時は寒さを防ぐために、
壁を塞ぐブルーシートやベニヤ板が貴重な物に変わる。
地震の後に、僕がなによりも先に持ち出したのは
大切にしていた絵ではなく
妻との結婚式の写真だった。
絵に命をかけてると思って生きてきたのだが、
最も大切なのはこの1点だったのか。
と正直自分にショックを受けた。
一枚の写真がどんな高価な物よりも価値があった事に
気付いていなかった事に・・・。
今までのスタイルの絵は描けなくなり、
震災をテーマにした絵ばかり描いている。
絵日記や立体作品も作り始めた。
心にあるわだかまりや疑問を吐き出し作品に転換し、
その絵を眺め自分の中の答えを見つけ出したいと思っている。
自宅は大規模半壊となり取り壊し、
3日前に新しい家に引っ越して来た。
不必要な物は捨てた。
今、僕の持ち物は少しの洋服と画集が20数冊と絵画作品だけだ。
作品はたくさんあるが災害時に持ち出すものは、
結局は結婚式の写真なんだと理解しているつもりだ。

2013年7月22日 佐藤ブライアン勝彦 ( Life and Days through 311より)

地震にあってから、いつ死んでもおかしくないと思うようになった。
1分後かもしれないし 一年後かもしれない。
もし津波にあっていたら 
僕の絵は 一枚もこの世には残らなかったはずだ・・・・
生きる意味を毎日考えてしまう・・・・・2011 .8 .2

Life and Days through 311 (2013年グラフィカ編集室)
著者 佐藤ブライアン勝彦

普段 私はアートを音楽のように聴く

そしてここ数年、アートの多様性を強く感じている

それはプライス・カードのない

人を幸せにする 贈り物としてのアートのことだ

最近読み終えた、山本兼一さんの著書 

「利久の茶杓」

副題「とびきり屋」の見立て帖

新撰組が闊歩する江戸時代

骨董好き数寄者たちの繰り広げる

とびきりの骨董奇談である。

その「とびきり屋」の

客に知られず店の者だけが使う暗号

「符丁」に採用されたのが

この丁度 十音

も の い わ ず ひ と が く る 

本当に良い道具を置けば

自然と客は集まる

道具屋の矜恃であり

商いの魂ともいえる言葉だと私は受け取った。

アートは作家の自由な発露ではあるが

人を幸せにするものであって欲しい

幸せを生み出すのは技術も経験も必要だが

そのスキルを扱う人の心根ではないだろうか

私はブライアンの311を受け止めたことで

すべてのブライアンの作品を受け入れることができた。

何故なら、彼が妻を愛するように、

愛は

人の いいところも そうでないところも

すべてを受け入れることでしか生まれないからだ

愛があればアバタもエクボだというお話し

も の い わ ず ひ と が く る 

私の座右の名を見つけた喜びでこの回をしめくりたいと思います。

この回をお読みになる際のBGMはこちらです。

Gabríel Ólafs – Absent Minded
https://www.mixcloud.com/moichikuwahara/

選曲家 桑原茂一

PROFILE

初代選曲家、毎週金曜日夜11時Mixcloud PirateRadio(海賊船)、 創刊1988年 free paper dictionary編集長

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