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桑原 茂一 JAN 18,2021

Look Book Cook Records No.70


「命は恋から生まれる。」

京都に居を移したお正月の気分に「フレンチ・カンカン」
フランス映画の古典作品に私の心が再び踊った。

『フレンチ・カンカン』(French Cancan)は、1954年制作のフランス映画。1880年代のパリを舞台に、フレンチ・カンカンとムーラン・ルージュの誕生を虚実取り混ぜて描く。エディット・ピアフをはじめとして多くの歌手も出演している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/フレンチ・カンカン (映画)

「命は恋から生まれる」

山本兼一著 「利休の風景」で発見した真理

「だから歌う・恋・恋・恋 」

フレンチ・カンカンのオプティミズム(楽観主義)

日仏の真理が交わった瞬間!

私のアタマはマルガリータになった。

京都の寒さは
心の剃髪であり
座禅のようでもある

人生初の京都で迎えた正月

坊主が二人

これが本当の和尚が2
新春の喜びを私は丸刈りで迎えた。

店主:どちらから?

私:東京から、

店主:お仕事ですか?

私:京都で暮らすのが夢でした。

店主:ほんまどすか?ここはええとこですよ。

私:思い残すことなくね、

店主:なに、いわはんのどす、ほんまに丸刈りして
よろしおすか?

私:ええ、お願いします。

店主:なんかあったんどすか?
     

私:いやなにもないです
中学生の頃は
坊主でしたから、、、、

初めて訪れた理髪店の店主はとてもチャーミングなマダムでした。
きっと若い頃は小町娘と呼ばれて、男たちが群がり、せんぐり、せんぐり、
さぞやモテモテで難儀されたことでしょう。

そんな言い方はアカンのです。

あの頃も今も素敵な理髪店の眉雪マダムは
実は茶道のお師匠さんであり、
ここは、いわゆるこの界隈のサロン的理髪店どす。

そう、ひとは長く生きているからこそ
素敵になる。
なんというミラクル!

長く生きてる人こそが素敵に暮らす街
Paris
何故素敵なのか?
何故なら命は恋から生まれるから

恋する街 Paris
そう呼ばれる理由は
命は恋から生まれるから

生きるミラクル真理と
私は京都で再会した。

パリと髪結(理髪店)は繋がっていた。

その昔、パトリス・ルコント監督のフランス映画「髪結いの亭主」のセクシーなマダムの虜になったことがあった。
または、サウンド・トラックのアラブ音楽に恋した。ともいえますが・・

『髪結いの亭主』(かみゆいのていしゅ、Le Mari de la coiffeuse)は、パトリス・ルコント監督による1990年のフランス映画。セザール賞に7部門ノミネートされた。日本で最初に公開されたパトリス・ルコント作品、監督の名を日本に知らしめた作品。

https://ja.wikipedia.org/wiki/髪結いの亭主

時間が止まったかのような理髪店で半世紀ぶりに耳にしたバリカンの音
忘れていた顔剃りのマジック・
そして眉雪のマダムたちの京都弁の心地良さ
素敵な町で私は暮らしている

若い人が素敵な街は消費の街。
眉雪(おいらく)の人たちが素敵な町は
文化を育む町。
そして恋する町。

さて、ここで少し時間を遡ろう。

ファッション、音楽、また広告業界でも幅広く活躍するフォトグラファー

田島一成(TAJJIEMAX)

東京の青山骨董通りで開催された
初の写真展に伺った。
https://www.akionagasawa.com/jp/gallery/current-exhibition/aoyama/

同じ選曲家仲間だということもあって、
10年以上続けている選曲番組「PirateRadio」はもとより、
freepaperの時代からfreedom dictionary にも参加する私のリスペクト写真家のひとりです。
幾分マジカルなスタイルのある選曲でもわかる通り、
初の個展で、Tajimaxはアーティストとしての側面を見事にデビューさせた。

「テーマは枯れた花」

澁澤龍彦さんの言葉を借りるまでもなく、
今や花は植物の性器だそうだ。
と言って、この説は童貞時代に学んだアフォリズムだから、
素敵な女性たちに性器を贈ったことは一度もない。
花を愛でる思いはいつまでもカッパえびせんだ。
で、
枯れた花に不謹慎な思いを抱いたことは無かったはずだが・・
というか、枯れた花を目にすると、
美しい淑女たちは受け取った時の笑顔がまるで無かったかのごとく、
マッハで trash に放り込んでいた。

人間の感性は、ひとつの美の対象に向かって集中したときにこそ、

最大限に研ぎ澄まされる。

美は、対象物のなかに内在しているのではなく、

受容者がそこに感情を移入してこそ、初めて誕生するからである。

それゆえ、美には絶対的な基準が存在しない。

美の地平線は、時代の要請に応じて、どんどん広がっていくものだ。

一時代を築いた画期的な美的様式も、

そこに飽きる、という心理作用が働けば、陳腐でくだらないものに見えてしまう。

人間は、貪るようにして新しい美を求める。

室町期の書院の茶の湯の美に対して、

それを刷新するかたちで新しい俺茶の美が誕生したのは、

ちょうど、ヨーロッパに於いて中世的なロマネスク美術、ゴシック美術に対して、

新しくルネサンス美術が生まれ、

さらにはバロック美術が誕生した経緯と酷似している。

ルネサンスは「再生」で、バロックは、「歪んだ真珠」の意味である。

それまでの美を再生し、また崩すかたちで、新しい美が誕生したわけだ。

そう考えれば、日本での、書院の茶の湯から侘茶への移行は必然であった。

書院の茶の湯とは別の方向に新しい美があると気づいたのは、

珠光ただ一人ではなかった。

だれもが褒めたたえる唐物の名物道具でなく、

日常の当たり前の道具にも深い味わいが感じられることに気づいた者は、

存外多かったらしい。

現代になぞらえれば、カウンターカルチャー的なブームだったと言ってもよい。

利休居士の時代より百年も前に、そんな潮流があったのはたいへん興味深い。

新しい美の潮流は、個人の感性から生まれるのではなく、

時代の趨勢として生まれるようだ。

そんな潮流のなかにあって、

珠光や紹鴎、利休といった特別ゆたかな感性の持ち主があらわれては、

潮流の向きをすこし変えたり、早く進めたりするのだろう。

美術の歴史は、けっして一人の天才によって変わるものではない。

引用元:「利休の風景」 山本兼一著(2012年 淡交社)

枯れた性器に執着する写真家の思いとはなんだろうか?

ここからは、私の妄想話だから、多めにみて欲しいが、
華麗なる交流の挙句、種々様々な花を過剰に扱い過ぎていいかげんもうやめて・
または、欲望の地図が不審火によって燃え尽きてしまい、
新しい欲望の地図をプリントアウトした。

作家の告白は以下に ↓

https://www.mixcloud.com/moichikuwahara/moichi-kuwahara-pirateradio-tajima-kazunali-withered-flowers-0108-2021-544/

選曲・田島一成

こうして一人きりになったとき、清顕ははじめてしみじみと桜をふり仰いだ。

花は黒い簡素な枝にぎっしりと、あたかも岩礁に隙なくはびこった白い貝殻のように咲いていた。

夕風が幕をはらませると、まず下枝に風が当り、
しなしなと花が呟くように揺れるにつれて、大きくひろげた末の技々は花もろとも大まかに鷹揚に揺れた。

花は白くて、房なりの蕾だけが仄赤い。しかし花の白さのうちにも、仔細に見ると、
芯の部分の星形が茶紅色で、それが釦の中央の縫い糸のように一つ一つ堅固に締って見える。

雲も、夕空の青も、互いに犯し合って、どちらも稀薄である。花と花はまじわり合い、

空を区切る輪郭はあいまいで、夕空の色に紛れるようである。そして枝々や幹の黒が、
ますます濃厚に、どぎつく感じられる。

一秒毎、一分毎に、そういう夕空と桜とのあまりな親近は深まった。

それを見ているうちに、清顕の心は不安に閉ざされた。

幕が再び風を孕んだと思われたのは、聡子が幕に沿うて身を送らせて出て来たのである。

清顕は聡子の手をとった。夕風にさらされて冷たい手だった。

接吻しようとすると聡子はあたりを憚って拒んだが、同時に自分の着物を、
桜の幹いちめんの粉をまぶしたような苔から庇ったので、そのまま清顕に抱かれてしまった。

「こんなことをしていると辛いばかりだわ。清様、お離しになって」

引用元:「豊饒の海 第一巻 春の雪」 三島由紀夫著(2002年 新潮文庫)

三島由紀夫の豊饒の海を、京都で読み直した。

加齢華麗装飾増幅増殖誇張胡蝶般若波羅蜜多心経情緒情景映像左脳右脳・・・・。

いつしか私自身の身体も思考も写そうとする思いの画像に取り込まれていく・・・

……高い喇叭の響きのようなものが、清顕の心に湧きのぼった。

『僕は聡子に恋している』

いかなる見地からしても寸分も疑わしいところのないこんな感情を、
彼が持ったのは生れてはじめてだった。

『優雅というものは禁を犯すものだ、それも至高の禁を』と彼は考えた。
この観念がはじめて彼に、久しい間堰き止められていた真の肉感を教えた。

思えば彼の、ただたゆたうばかりの肉感は、こんな強い観念の支柱をひそかに求めつづけていたのにちがいない。

彼が本当に自分にふさわしい役割を見つけ出すには、何と手間がかかったことだろう。

『今こそ僕は聡子に恋している』

この感情の正しさと確実さを証明するには、ただそれが絶対不可能なものになったというだけで十分だった。

彼は落着きなく椅子から立上り、又坐った。いつも不安と憂鬱にあふれているように感じていたわが身が、
今は若さにみちみちて感じられた。あれはすべて錯覚だったのだ、
自分が悲しみと鋭敏さに打ちひしがれていると思っていたのは。

窓をあけ放ち、日のかがやく池を眺め、深呼吸をして、すぐ鼻先に迫る欅若葉の匂いを吸い込んだ。

紅葉山のかたえにわだかまる雲の形には、すでに夏の雲らしい光りを含んだ量感があった。

清顕の頬は燃え、目は輝いていた。
彼は新たな人間になった。
何はともあれ、彼は十九歳だった。

引用元:「豊饒の海 第一巻 春の雪」 三島由紀夫著(2002年 新潮文庫)

命は恋から生まれる。

命がかがやけば恋が生まれる。

この連載も、freedom dictionary も、PirateRadioも、変わらず続けていくつもりだ。

おつむを丸刈りにしたぐらいで人は変わらへんが、

いつか京都をわらけるようになりたい。

コロナ禍で変わるのんはあくまでも私自身なのやさかい・・・・

おやかまっさんどした。

23日目の京都にて。

画像・文 桑原茂→

https://www.mixcloud.com/moichikuwahara/moichi-kuwahara-pirate-radio-canges-1204-540/

選曲 桑原茂→

PROFILE

初代選曲家、毎週金曜日夜11時 Mixcloud PirateRadio(海賊船)、
Editor-in-chief launching1988年 free paper dictionary → 2020年 freedom dictionary on going

https://www.mixcloud.com/moichikuwahara/

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