Look Book Cook Records No.47

音楽家・青柳拓次の「 CIRCLE VOICE 」がドキュメント映画になった。
と言われても、青柳拓次って? CIRCLE VOICE って? ですよね。
知らないことを知る。それは楽しい。そう思ってもらえるように、47回目を始めたいと思います。
もう一つのタイトルは、「模倣の魂にこそ、より真実に近いものがある」
さて、イカ天からデビューした「Little Creatures」の活動でも知られる、Takuji(青柳拓次)のソロ・ユニット「 CIRCLE VOICE 」が、映像作家の田中トシノリさんのドキュメント映画になった。
その映画のこと、そしてその映画の主人公の音楽家・青柳拓次の世界に焦点をあててみたいと思います。
で、イカ天とは、
TBSで放送された深夜番組『三宅裕司のいかすバンド天国』のことで、
ウィキペディアより
1989年2月11日に始まり、1990年12月29日に多くのバンドを輩出して幕を閉じた。
LITTLE CREATURESは、1990年4月14日-5月12日に渡り5週勝抜、5代目グランドイカ天キングを獲得し19代目のイカ天キングとして音楽界にデビューを果たした。
デビュー間もない頃、縁あって青柳くんと遭遇し、これまで様々な企画を楽しみましたが思えばもう30年になるのですね。
では、まずその、LITTLE CREATURESのデビューシングルから聴いていただきましょう。
LITTLE CREATURES・Things To Hide
https://www.youtube.com/watch?v=OdZIvgddS68
最初見たときは外タレぽかったですね。バークレー音楽大学出身者たちという触れ込みで、他のバンドよりも、ちょっと敷居が高かった。のかな。
洋楽思考のわたしは一発でリトチャー(誰やねん)の虜になりましたね。
LITTLE CREATURES
https://ja.wikipedia.org/wiki/LITTLE_CREATURES
LITTLE CREATURES(リトル・クリーチャーズ)は日本の3人組音楽ユニットである。音楽性は、テクノ、ジャズ、ロック、民族音楽といったジャンルを取り込んだ、クロスオーバーサウンドにあり、発表されるアルバムごとに多彩な変化を示している。

引き続き、
ほぼ30年後の LITTLE CREATURES をもう一曲。
曲は「絡め取られて」。


で、なんといっても青柳くんとの思い出というと、コムデ(ギャルソンと呼ぶのかな?)のパリコレでしょうか。
途中数度お休みはあったものの、1977年から1997年までの20年間、選曲を担当させて戴いた・COMME des GARÇONS。
そのパリコレ選曲の仕事に、一度だけ同行してもらいパリコレの現場の緊張感とサン・ジェルマン・デプレのカフェ・ソサエティーを視察してもらいました。狙いはいつか彼のオリジナル楽曲でコムデのコレクションを品良く彩りたかったからです。残念ながらそれは叶いませんでした。

青柳拓次くんとの絵本
CD付き絵本。「みずのはな」
この絵本は、とある仕事でブラジルのリオとサルバドールを訪問した時の帰りの飛行機の中でわたしに降りてきたお話です。
絵本の絵は友人の画家下條ユリさんのハワイのマウイの別荘に家族旅行を兼ねて伺い何度も話し合いながら制作しました。
実はこの絵本のシリーズには細野晴臣さんの音楽をバックグランドにした北山耕平さんのネェイティブ・アメリカンの伝承話しもあります。
しかもシリーズ最後の4作目の作品は奈良美智さんの「ともだちがほしかったこいぬ」でした。
https://magazineworld.jp/books/paper/1154/
子供が生まれると誰しも一度は絵本に夢中になるものですが、年に4回パリを訪れる季節労働者のわたしくは子供の為と言い訳しながら自分の気に入った絵の本を随分と買ってしまいました。で気が付いたのは読んで聞かせる絵本は絵を見ているだけでお話が分かること。しかもその絵本の絵に容易に飽きてしまわないこと。望むならば親子で絵本の中に参加できること。願うならば親子のアレンジで絵本が新しいお話に変わってしまうこと・です。で、当然読書中は音楽にも包まれたい。と云って、左から右へ流れる譜面の音楽ではなく、自然の中に漂っているような音やメロディーの採集系音楽。
結果は、今は亡き朝本くんや元気な井上薫くんも参加してくれ、絵本には当然一過言ある青柳くんを中心に三人の音楽家の子どもたちへの愛溢れる形容しがたいアンビエントな世界が生まれたのです。ただ想定外だったのは絵本を読み聞かせる空間デザインへのチャレンジが、なぜかこの絵本を読み始めると先に読み手が眠ってしまう催眠効果抜群の音の薬付き絵本になってしまったことです。そんなわけで、この絵本に付属するCDには曲名はありません。タイトルは [SOUND OF THE ROOM]
このまま、この連載のBGMとして流していきましょう。でも眠っちゃダメだよ。

青柳拓次くんと映画です。
[ honokaa boy ]
監督真田敦
プロデューサー・脚本 高崎卓馬
この映画の音楽監修を担当したことで、青柳拓次くんと阿部海太郎くんにサウンドトラックの挿入歌をお願いしました。
いい映画には必ずいい音楽。が私のモットーですが、実際の制作は監督と音楽家の交流の証なので、私の役割はレース・カーテン程度でしたが、何より嬉しかったのはリスペクトする音楽家に参加してもらえたこと。青柳くんが作ってくれた楽曲については後ほど詳しく。
さてここまで、青柳拓次くんとの思い出を回想中ですが、
彼の音楽の魅力は何と言っても品が良いことではないかと思います。または間合いが美しいとも。表現者なら当たり前の自意識「俺の〜」が微塵もないとは言わないまでも誠に控えめなんです。にも関わらず彼の奏でるギターの音色は山奥の湧き水のように透き通って美しい甘露の響があります。
で、このドキュメント映画の狙いは、30年間の音楽活動の中で青柳拓次の目指したものは何か?であったと思います。
そしてその何か?に触れた瞬間私の眼にも湧き水が溢れ出したのです。
別の言い方をすれば、人間として真摯に生きている人には音楽からご褒美をくれる。に感動したのです。
つまり魅力的な人が音楽を作るから感動を呼ぶのです。すべての物作りはそこにあると思います。
では、ここまでをちょっと整理してみましょう。
青柳拓次の音楽が何故「品が良いのか」?
答えは、
青柳拓次は自分自身を自分勝手に扱わないからではないでしょうか。
個性溢れるギターの音色は青柳拓次自身の音色には違いないのですが、青柳くんだけのものではありません。彼の祖父がそうであったように、そこには西洋音楽を志したものが必ず対峙する壮大なテーマが横たわっています。それは西洋音楽を完璧にこなすからといってそれが西洋人では無い東洋人が為すべき音楽なのだろうか?です。
東洋に生まれた音楽家の為すべきこととは何か?この祖父の目指した永遠のテーマを受け継ぐ青柳拓次は、即ち祖父の志しの続きを今生きているということです。つまり祖父から贈られた乗り物を預かっているのですから、大切に扱うのは当然のことです。
そこに自分勝手な「俺の・・」が入り込める余地はありません。言い換えれば、音楽との距離感がクールだと言うことです。
その上たゆまぬ努力をつづける青柳拓次に降り注いだ黄金の雨とは、祖父の時代には成し得なかった音楽への新たなアプローチだった。
と私は理解したのです。それが、2013年、沖縄のヤンバルから始まった参加型コンサート『CIRCLE VOICE』だったのです。
「 Circle Voice 」とは。
人々が一つの場所に集い、輪になって、声を重ね合わせる参加型のイベント。
音楽家Takujiのファシリテートで、その日だけのアンサンブルを形作ります。
老若男女、国籍、思想、宗教は問わず、お互いの声を感じあう平和な時間を。
勿論、人々が一つになるといって、宗教の優劣を競うワン・ワールドでも飛行機会社が結託するワン・ワールドでもありません。
ジョン・レノンが歌った「イマジン」のように音楽で世界の人々と心をひとつにしたい。
あのイマジンと同じものを私は「 Circle Voice 」に感じたのです。
ではそのイマジンを映画の中の青柳拓次の言葉から拾ってみましょう。
“高音を弾く時に感じる緊張感と低音を弾く時の安定感、それらのハーモニーがうねりながら全体を包み込む時、聴衆と演奏者の間に一体感が生まれ、両者がまるで同じような呼吸をしているように感じる時、そこはひとつの宇宙となるのです。”
無国籍なギターの音色で人々を融合させたい・人々が国境を忘れ繋がれれば、その一瞬、大きな生命体としてひとつになれるのではないか。
そして参加者にこう呼びかけます。
これからみなさんと一緒にある方法で声を出していきます。
それぞれが声を出しやすく歌いやすい方法で、
ウ〜とか、ラララ〜とか、なんでも構いません。
息が続くまで歌ったら、呼吸を整えてまた歌いづづけます。
みなさんのペースでやってもらいます。声を出さなくても構いません。
そこに居るだけで良いのです。
周りの人と手を繋いだり、体のどこかに触れるだけでも構いません。
鐘の音がしたら始めてください。
それではゆっくり目を閉じてください。
もちろんこれは宗教のお誘いではありません。(笑)
私も数年前に体験したのですが、これまでに経験したことのない喜びが私の中に湧き上がりました。ますます怪しいものだと思われても困るので、
これは、ひとつのRECREATIONと捉えてもらった方が良いかもしれません。
ただ、私は選曲家を名乗っていますので、音楽から感じる喜びという面では、間違いなく心が深く満たされた体験でした。
大袈裟に言うなら本来音楽に潜んでいた人間讃歌への気づきだったようにも思われます。
若干似たところがあるといえば、ヌーディスト村で裸になる恥ずかしさでしょうか?それはまぬがれません。私の場合。
勿論、ヌーディスト村に参加したことはありません。恥ずかしさは、人それぞれですね。
機会があれば是非皆様にも「 Circle Voice 」を体験して頂きたいと思います。
まずはこの映画をご覧頂くのが一番かもしれません。
予告編
https://www.youtube.com/watch?time_continue=3&v=AmBltmN8aqg
さて、今度はもう少し別の視点から『CIRCLE VOICE』に行き着いた青柳拓次の「軌跡」(足跡)を探ってみましょう。
実は青柳拓次の世界を知って頂くための的確な指南書があるのです。
2010年11月11日初版の「手をたたきながら」青柳拓次 著
この書籍には彼が実際に経験した音楽家たちとの体験談はもちろんのこと、彼の音楽家としての生きる哲学がとてもリアルに伝わってきます。
私の陳腐な帯コピーが興ざめですが、ヌーディスト村参加気分で紹介します。
バージン・スノーを落下するプロ・スキーヤーのように滑らかで美しい筆先に私は魅了されました。
青柳拓次の言葉はまさに音楽だ。魂が微笑む虹色の言葉に彩られた Art Book は知恵の宝島。
さぁ、真っ白なノートとペンを用意してページをめくろう。
桑原 茂→



では以下に書籍から引用してみましょう。
「 俳句はカメラのなかった時代の写真だ 」
手をたたきながら・より
と思ったのは、名句をこども向けに集めた本を開いていたときのこと。
写真は、絞りを使い分けることによって、フォーカスを当てる対象とボカす部分を決めることができるし、シャッタースピードを調整することによって、肉眼で見える世界より暗くしたり明るくしたりできる。これは俳人が眼前にひろがる風景のどこに着目し、抜き取り、その技術を似て表現するかにとても似ている。ただ俳句の場合は、現実にはない風景や世界。ときには記憶について表現することもある。
上手いコピーには、それを上回る見事な解説が必要です。
私が白紙のノートとペンを用意して読んで欲しいと帯に書いたのは、メモしておけばきっと役にたつ書籍だという意味なのです。
で、引き続き書籍からの引用です。
「東洋の音楽とは?」
手をたたきながら・より
「外国の音楽ばかり聴いてきて、現存の日本語詞がついた音楽ではどこか救われないじぶんがいる」
(途中略)
「 自由 」
あるとき、鈴木大拙の本のなかで、仏教用語で云う「自由」に意味について知る。
輸入されたフリーダムやリバティーという言葉に対する訳語をさがしたすえ、学者たちが自由という仏教の語をあてはめた。
しかし、元来の自由の意味とは「天地自然の原理そのものが、他からの何らの指図もなく、制裁もなく、自らでるままの働きのことを云う」と。
更に引用を重ねます。
「 循環 」
手をたたきながら・より
実の部分で大事なのは、ひととのあいだで循環する作品を作ることだ。
アーティストは世界から受け取ったものを、そのアーティストなりの方法で磨いて世界に還す。
そうして世界は、色とりどりの「音と言葉と光」を放って響き合う。
実はこの本は、タワーレコードのフリーペーパー「bounce」と雑誌「ソトコト」の連載をまとめたもの。
この本の冒頭には以下のような言葉が記されています。
世界に感じ入る心をペンで描写し、瞬間への祝いの気持ちがカメラのシャッターを推した日々。
手をたたきながら・より
風景やひとの一挙一動に手をたたきながら。懸命に作ったものは、型くずれしていても惹き付けるなにかが残るだろう、と信じつつ。
もの作りは身体を動かしながら学ぶもの。書きながら先人から学んだこととは、独自のテンポと間、訛りのような作家固有の言葉使いが名文にはあるということ。それはまさに、よい(好きな)音楽にも備わっている条件だった。
ここからは引用と選曲へ繋ぎます。
「個人音楽家」
映画「ビューティフル・ルーザーズ」90年代のアメリカのストリート・アートシーンで活躍した10人にフォーカスをあてたドキュメントだ。
この映画の数人が東京でエキシビションをやった2003年だったか?いまは亡きマーガレット・キルガレンが「アメリカの展覧会でカマ・アイナが編集したコンピレーション「安食堂の夜」をBGMにしていたのよ」と云っていたっけ。
わたしは、その一環のライブイヴェントで、トミー・ゲレロとライブをやった。
その出会いがきっかけで、トミーとのコラボレーションもはじまった。
ここで選曲。
マーガレット・キルガレンの作品がカバーの[A LITTLE BIT OF SOMETHIN]より
Tommy Guerrero So Blue It’s Black
A LITTLE BIT OF SOMETHIN’ / TOMMY GUERRERO
「手をたたきながら」へ戻ろう。
なにかを感じるこのシーンとアーティスト。決定的なのは、この映画のサウンドトラックを担当しているのがマニー・マークだということ。
手をたたきながら・より
2005年、マニー・マークとスコットランドをツアーした。そのツアーにカマ・アイナとしてひとりで参戦したわたしは、マネージャー兼パフォーマーであり、ローディーでもあったので、リハーサルが終わるころには既に憔悴しきってしまっていた。マークはそんな状況を見兼ねて、ライブ直前のセッティングをひとりでは大変だろうと手伝ってくれたり、旅のあいだ持ち歩いているギターを「使えば」と貸してくれたり、マニー・マークバンド用に用意されたベジタリアン中華をわたしの分まで取っておいてくれたりした。マークは、わたしの姿を駆け出しの個人音楽家だったじぶんと重ね合わせていたのかもしれない。わたしは彼を、アメリカの音楽界の頂点にビースティー・ボーイズと共に上り詰めたひとりのアーティストとはとてもおもえなかった。マークの音楽を聴くときはいつも、鋭くもやさしい眼の光を思い出す。世界の個人音楽家は、近しい親戚同士。
ではここで一曲、KAMA AINA アルバム CLUB KAMA AINA より、Club Kama Aina

このアルバムは起きぬけに聴くと冷えていた血液がゆっくりと温まり全身に染み渡ります。
つづいて、
映画 [ honokaa boy ]のサウンドトラックのことです。
この映画の脚本家で電通のクリエイティブディレクター高崎卓馬さんとは実は長いおつきあいで、あの911の時には、コメディの脚本を山のように書いてもらいました。その話は又後日、で、ハワイ島を舞台にした映画ということで、ハワイの移住者が作った民謡風で作りたいと、高崎くんの書いた歌詞を渡されたのです。この映画の舞台がハワイ島だということは、吉田玲雄の原作も高崎卓馬の脚本も読んで知っていたので、ワールド・ミュージックにも造詣の深い青柳拓次くんにお願いするつもりでいたのです。
そして「奇跡」が起こったのです。
この時のことが、「手をたたきながら」青柳拓次 著 ではこう書かれていました。
そのエッセイのタイトルは
「うたにたべもの」
新聞の土曜版。ホレホレ節のことが二ページわたって特集されている。
大阪行きの新幹線で、ダブルフェイマスのメンバーとまわし読み。
なぜその記事に彼らが夢中になったかというと、
UAのアルバム「アメトラ」の録音のためハワイ島を訪れたとき、
そのハワイのコーディネーションの女性から「うちの夫はね、ホレホレ節っていう日本からのハワイ移住者が作った民謡を調べているのよ」と。
UAとのレコーディング時に訪れたハワイ島のホレホレ節が、大阪行きの新幹線で土曜版の新聞から繋がったのです。
で、その偶然の繋がりが、今度はわたしと青柳くんとの偶然に繋がるのです。
青柳くん、「ハワイ島」を舞台にした映画で、ハワイへ渡った日本人が作ったと云われる民謡風にお願いしたいのですが・・・・
ああ、それホレホレ節のことでしょう。
一瞬で合意。一瞬でdemo制作完了。
なぜ青柳くんはホレホレ節を知ってたの? 関係者一同 歓喜の唖然!
いい映画にいい音楽。
奇跡が起こるとはこういうことなんですね。
では、一曲、青柳拓次の「つきのにじ〜moonbow」そして「つきのにじ〜morning」

続いて、もう一曲、ホレホレ節の話題で新幹線で盛り上がった青柳拓次くんの「ダブル・フェイマス」から
Double Famous(ダブル・フェイマス)は日本の東京発、7人編成のバンドである。通称「無国籍音楽のエスペラント楽団」。1993年結成。全国各地のライブハウス、レストラン、クラブなどでのステージに加えて、フジロックフェスティバルや朝霧JAMなど野外フェスティバルにも参加。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Double_Famous
曲は、バンド結成以来の初のレコーディング曲 [ EL TIRADITO ] ダブル・フェイマスです。

これはウルトラマンの怪獣写真集です。
実はこれも先の絵本シリーズの変形なんです。音楽は、スティールギターの音色縛り、泣き節哀愁縛り。参加曲はどれも秀逸です。が、この企画本気で泣き入ってます。^_^
で、青柳くんとの思い出を少し広げすぎましたが、最後に、彼の書籍をもう一度紹介してこの回を終わりましょう。
『CIRCLE VOICE』に行き着いた青柳拓次の「軌跡」(足跡)のクライマックスです。
エッセイの内容はやはり映画です。
映画「ミスター・ロンリー」は、ハーモニー・コリンの最高傑作だ。彼の映画はときに激しすぎる嫌いがあったし、随分まえに出ていたアート本のほうが好きだった。でもこの作品は、いままでの彼の映画とは、一線を画しているし、なによりも人間へのやさしい愛情を感じられる。
「手をたたきながら」青柳拓次 著
本当に云いたいことがあると、必ず独自な表現にたどりつくと聞いたことがあるが、この冒頭はどうだろう?天才の所業じゃないか!
世界的なスタンダード曲に、みたことのないイビツな映像をぶつけ、曲に新しい解釈をもたらし、物語の戸を大きく開け放ってる。
途中略
印象に残ったのは「模倣の魂にこそ、より真実に近いものがある」というセリフだ。
映画「ミスター・ロンリー」の魂がこの言葉に宿っている。
あるく あるく ときに 大きな樹にだきつく
だれかが 右に すすんだから じぶんは 左 ということではなく
目をくるくるうごかし 注意を向け まえにあるいていく
顔を右や左に振り切ると けがをする
あるく あるく ときに 新聞を読んで またあるく あるいては 本を手に取る
優柔不断でもなく ノンポリシーでもない
中庸でいれば かろやかに 世界を 眺めることができる
【プロフィール】
1971年12月8日、東京。クラシック・ギタリストの家系に生まれる。幼い頃よりギターを手にし、ピアノ、パーカッションを学ぶ。
1990年、TVのオーディデョン番組を経て、Little Creaturesでデビュー。
1991年、渡英。一年間のイギリス暮らしのなかで、世界中から集って来た音楽家たちの生音に出会う。帰国後、Double Famousやソロ名義のKAMA AINA、青柳拓次などでも数々のアルバムをリリース。KAMAAINAでは、イギリス、デンマーク、スウェーデンのレーベルよりアルバム、シングルをリリースし、ライブ・ツアーを行う。シチリア、ハワイ島の音楽集や、パリ地下鉄のミュージシャン達によるアルバム、ファッションデザイナーとのコラボレーションMixCD、様々なアーティストのプロデュースを手掛ける。映画や舞台、TV番組の音楽を作曲し、詩人、写真家としても作品を発表。
2010年、沖縄に移住。日本各地の民謡とホリスティックなセラピーを学ぶ。
2013年、新たなるプロジェクトとして、輪になり声が渦を巻く、参加型コンサート『CIRCLE VOICE』を沖縄のヤンバルからスタートさせる。2013年、「100%トーキョー」(作=リミニ・プロトコル)音楽プロデュース。
2016年、絵本「かがり火」、UA「Japo」(プロデュース)、Little Creatures「未知のアルバム」を発表。それぞれ全国ツアーを実施。
2017年、ドイツ・FRAMELESSフェスティヴァルに出演。写真と言葉の展示『TO KI NA WA』を実施。野村友里演出・舞台「食の鼓動」、熊谷和徳・舞台「Tap into The Light」の音楽監督を務める。
2018年、新たなるソロユニットTakujiを本格始動。KAMA AINA + Hochzeitskapelleのアルバムが、ドイツ&日本でリリース。

今回のお話はMIXCLOUDでラジオ番組風に構成するつもりです。
音楽をもっと聞きたい方はぜひ。
https://www.mixcloud.com/moichikuwahara/
初代選曲家 桑原 茂→
PROFILE