外部サイトへ移動します
桑原 茂一 FEB 07,2020

Look Book Cook Records No.53


It started with the arrival of KUROFUNE
それは「 黒船 」から始まった。

すべてはこの「黒船」がきっかけだった。と仮定してこの連載53回目とラジオ・アーバン・リサーチを始めようと思う。

ことの発端は「黒船」来航がきっかけで日本はそれまでの鎖国政策独立国から一変し、米国を初めとする先進国のフォロアーになった。
それは今も続いている。日本はそれ以来、真の意味での独立国ではないと考えている。
そんな話をしたい訳ではない。

洋楽志向の私が日本人で最初に好きになった「サディステック・ミカ・バンド」のセカンドアルバムのタイトルが「黒船」だったのだ。
しかもその「黒船」が、その後の日本の音楽シーンへ与えた革新性とは何か?それが今回の主題である。
「サディステック・ミカ・バンド」のセカンドアルバムのコンセプトである「黒船」とは、日本が黒船によって鎖国と解き世界へ門を開かざるを得なかった歴史的事実を逆手に取り、「サディステック・ミカ・バンド」が逆輸入する形で来航し、日本の閉鎖的な音楽シーンの門を開くという、そのコンセプト・ワークが秀逸だったのだ。
そして、そのコンセプトを如何にかっこよく(誰にでも伝わる)伝えるかに知恵を絞ったのである。
音楽アルバムなんだから音楽がかっこよければいい。では伝わらないのだ。
ではどうするか?

アート・ディレクションだ。

世界でヒットするには言語を解さない介さない “見た目のかっこよさ” が必要なのだ。
そう当たり前の話をしている。
アートディレクションから音楽シーンを俯瞰してみる。
何故か?
それはこれまで一部の分野であったアート(現代美術を含む)マーケットが
最前線に存在し始めているからだ。
アートという概念には、デザインもファッションも建築も科学も哲学や思想そして食に至るまで網羅されている。
使わないときは簡単にたためてしまえる大変便利な風呂敷にアートが包まれているのだ。
戦争の前にはエログロナンセンスが流行ると言われている。
それが現代美術だといいたいのではなく、アートが便利に消費を促す役割に使われているそのルーツを、私は日本のロックを初めて世界へ打ち出した「黒船」というコンセプトにフォーカスしてみたのである。
すべての始まりは「黒船」だった。
そのことを検証するために、「黒船」以降の日本の最前線のアルバムジャケット選出し、そのアート・ディレクションに注目し、さらにはそのアルバムから選曲することで、アートと音楽との繋がり遊んでみようという試みだ。
始めよう。

さて、「黒船」が特別だった理由は、ビートルズのホワイトアルバムやピンク・フロイドなど大物ミュージシャンの録音プロデューサーとして人気を博していた、クリス・トーマスが初の日本人ミュージシャンのプロデュースをすることだった。当時それだけで十分話題になった。今も変わらんけど日本はどんだけ田舎やねん。失礼。で、今風に言えばイノベーションの始まりだったとも言えよう。
では、1974年に発売され、その後英米でも発売された「黒船」のアナログ・アルバムのジャケットをご覧頂きたい。
カバーはもちろん、インナースリーブなどにも、きめの細かい斬新さが溢れています。
しかも、「黒船」のカバー・ジャケットの写真はなんと世界的にも有名な鋤田正義さんでした。
YMOやデビッド・ボウイを初めとする世界のトップレベルのアーティストはもとより、ジャンルを超え活躍する鋤田正義さんがカバーを担当していたことで、今回の趣旨のイントロが少し聞こえてきたでしょうか?
更にアルバムの美術監修に作詞家としてもこのアルバムのバックボーンを支え、バンドのリーダである今は亡き加藤和彦こと愛称トノバンの盟友でもあった松山猛がその才能を遺憾無くはっきしています。
そしてトノバンの懐刀でもあった今野雄二さんが仲人としてインナースリープに記載されています。
あのPLASTICSが世界へ羽ばたくきっかけを仲人したのも今野雄二さんでした。
それこそコンちゃんのネットワークがなければ日本の音楽シーンに革新は起きなかったのではないか?
トノバンとコンちゃんの存在は私たちが忘れてはいけない日本の宝でした。

それにしてもです。このサディステック・ミカバンドのメンバーの面々の表情をご覧いただきたい。
日本に革新が起こるのは当たり前だ!と思うのは私だけではないはずです。
では、この黒船から一曲。
皆様をあの時代へお連れしましょう。
サディステック・ミカバンドの名曲中の名曲、「タイムマシンにお願い」
グラムロックのフレーバーも堪りませんが、ちょっと他では見当たらないミカのボーカルに、クリスが参ったように貴方もきっとやられるはずです。
で、余談ですが、インナースリーブにこんなワンポイント知識(覚書)が記載されています。

平賀源内 江戸時代の中期の科学者、エレキテル(電気)の原理を日本人として最初に研究した。
同時に、その頃すでにタイムマシーンについて考えていた。とか。

“さあ何かが変わる そんな時代が好きなら・・・・”

聞け!万国の音楽家

サディステック・ミカバンド、タイムマシンにお願い。

この黒船の革新は世界に誇れる魅力的な日本の音楽家たちを蜂起させたのです。
その筆頭こそ誰あろう音楽家日本代表監督あの細野晴臣さんです。もう解説する必要はありませんね。
世界が待っていたあの「YMO」の始まりはこのアルバムがきっかけだったのではではないでしょうか。
その名も、THE YELLOW MAGIC BAND → YELLOW MAGIC ORCHESTRA
「黒船」がエキゾチックなムードを大切にしたのは世界が日本を、芸者・富士山・浮世絵・そんな風にしか理解していないことの表れでしょう。
しかし私がそうでしたが、戦後の日本人は日本より世界に良いものがある。と視点が外に向かっていた。
そんな私たちに、「黒船」は日本の美への気づきも与えてくれたのかもしれません。
で、ある時トノバンにエキゾチックの総本山でもあるマーティン・デニーのレコードを集めていることを話したら、日本にもエキゾチックな音楽を作る素敵な音楽家がいるよ、と紹介されたのが細野晴臣さんでした。当時、私は日本版のローリングストーン誌に席を置いていたこともあり、早速ご自宅に伺ったことを今思い出しました。余談でした。

ART Direction AIJIRO WAKITA Album Design KAZUO YASUHARA Photography YOSHITANE NAKAMOTO
ではコラージ絵画の元祖ともいうべきエキゾチックなカーバー・アルバム「PARAISO」からの選曲は、スネークマンショーファンならよくご存知のコント「未知との遭遇」のBGMで使わせて頂いたセクシーな名曲

Harry Hosono 作曲・「FEMME FATALE」

黒船の発売から4年後の1978年に発売されたこのアルバム「PARAISO」が契機になり始まったと予測されるYMO.
そのメンバーは、このアルバムにも当然参加している サディステック・ミカバンドの名ドラマーの高橋幸宏、そして発起人である細野晴臣。
そしてスタジオ・ミュージシャンたちから教授と慕われていたクラッシックはもとより現代音楽をルーツに持つ坂本龍一。

THE YELLOW MAGIC BANDから2年後、あの教授こと坂本龍一のルーツが見事に明かされたアルバムがこれだ。

アルバムカバーのアートディレクションを見よ!

1910-20年代のロシア(ソヴィエト連邦)で起こった芸術運動。構成主義の再来か!
Art Direction and Illustration
天才!Tsuguya Inoueが吠える!

時代を超え、そしてあらゆるジャンルを跨ぐ坂本龍一の独壇場だ。
このアルバム一枚で日本の音楽シーンに革命が起こったと叫んでも過言ではない。
アートが金になると思った人の数が半数を越えるとそれは空気感と呼ばれるようになる。
空気感が生まれれば戦争さえできる。日本がそうだったと語られているから当時はそうだったのだろう。
つまり、1980年に発売された当時、このアルバムの魅力に気づいた人はそう多くなかったのではないだろうか?
大手代理店が作り出す空気感に追従するこの国の多くの民は、いまだに自分たちの国が植民地だとの認識はないだろう。
つまり、魂の植民地化に気づかない人々は自分自身を判断できない。多分。
しかし魂の脱植民地化に成功した人たちはあの頃から坂本龍一の魅力の虜になっていたはずだ。

なぜ坂本龍一はニューヨークで暮らしているのか?
1990年に移住されたというからもう既に30年近く・・・・

では、ここで一曲、坂本龍一 アルバム B-2 UNITより、thatness and thereness

唸りますね。で、YMOへの参加の意思表示がかっこよく現れていると推測する曲をもう一曲選曲したい。

坂本龍一 アルバム B-2 UNITより、riot in Lagos

そしてこのアルバムへの細野晴臣さんからのアンサーがこのアルバム・PHILHARMONYではないだろうか。
もう、ロックだのポップスだの現代音楽だのすべてのジャンルの壁はとっくに消滅している。
それに気づいたリスナーが本当のYMOファンだと言うことがこの流れで明解になった。

PHILHARMONYからの選曲は、FUNICULI FUNICURA
「フニクリ・フニクラ」(ナポリ語: Funiculì funiculà)は、1880年に作曲、発表されたイタリアの大衆歌謡。
日本語版歌詞は1961年『みんなのうた』で紹介された。

赤い火をふく あの山へ
登ろう 登ろう
そこは地獄の釜の中
覗こう 覗こう

現代美術はコンセプトが優先する。とか。
黒船から始まった世界へ発信する日本の音楽は、現代美術がそうであるように、コンセプトを明快に打ち出せるかどうかが鍵になっている。YMOの成功は、まるで世界に広がる技術と信頼のSONY製品から聞こえてくるかのようなイメージと限りない未来感があったからではないか?
それは未来をアート作品として音楽のパッケージ化で世界をあっといわせたクラフトワークのように。
次々と音楽の世界に革新が起こった。しかし時代はそのままバブルの時代へ突入し音楽業界もいつしかラスベガスのように公認ギャンブル場化されていった。
売れることがいいアルバム。そのためならすべて正義だ。社会全体がまるで覚せい剤中毒者のように金儲けに慢心した。
そこに、掃き溜めの鶴 とでもいいましょうか?
ドイツ空軍のコンドル軍団によってビスカヤ県のゲルニカが受けた都市無差別爆撃を主題としているピカソのゲルニカをグループ名として登場したのがあの「ゲルニカ」だった。

1982年のデビューから6年後の再結成時のコンセプトが実に明快だ。
ゲルニカ宣言をみよ!

坂本龍一が構成主義・ロシアンアバンギャルドに求めたものが、ゲルニカでは、日本近代建築協会の分離派建築宣言だ。宗教もそうだが、お題目がはっきりしていると人は一心不乱に行動する。ほっとけば精神がインポテンツになる現代においては勃つ!勃つ!勃つ!は希望だ。何〜にも考えなくていい。ただ、ただ、エネルギーを放出しろ!我々人間は太陽からの過剰なエネルギーを浴びているから、すべてが過剰にしか生きられない。過剰消費こそが人間の生命力だ!これはイタリアから生まれた思想だっただろうか?言い訳がましい説だがそんな気にもなる。
で、本来なら1982年のファーストアルバム「改造への躍動」を紹介するつもりだったが、何故かそのアナログが見当たらないので今回はセカンドの「新世界の運河」を紹介する。アルバムのアート・ワークを担当する詩人で画家でもある太田螢一の司る世界は実に明快で雄弁にゲルニカの思想を伝えている。
ゲルニカの存在もまたその後の日本の音楽界に大きな痕跡と布石を残したことは間違いないだろう。

さて選曲は、遡ること1988年に環境問題を音楽で問いかけ、実際の行動ではなく、危機的状況の解決を「祈る!」とだけ言い放ったゲルニカに、環境問題をネタにする強靭な思想に今更ながら頭を垂れる。
人間は真面目が一番愉快だ。

ゲルニカ・アナログ・アルバム・「新世紀の運河」より、二百十日・(台風の別称である)

歌詞も素晴らしい。是非、テレビの天気予報の台風来襲の際にお使い頂きたい。

そして、台風によって南海に流れ着いた島で聞きたいのが悦楽と快楽のエキゾチックをもう一曲。

選曲 ゲルニカ・アナログ・アルバム・「新世紀の運河」より「絶海」

改めてミック板谷・画伯の和と洋を見事にフュージョンさせた作品の素晴らしさに息を呑む。
それにしてもこの作品のオリジナルは今どこで保管されているのだろうか?
サイズはLPジャケットサイズか?デカイと迫力あるだろうなぁ〜今度ミックに聞いてみよう。
そんな話ではない。

このアルバムのコンセプトは竹中直人そのもの。
当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった竹中直人の魅力のすべてをアナログ盤に念写する企画だ。
中心に強い意志がなければ七色に変化し迷彩に憑依する形態模写は生まれない。
その難解なコンセプトをテーマに、まるでエキソシストのような役割をこなすには当時の私の才能では足りなかった。
そんなどん底の私に手を差し伸べてくれたのが、決して商業写真を撮らない19歳で知り合った国宝級の写真家・三好耕三さんだ。
彼の美しいモノクロ写真が私の代わりに天岩戸(あまのいわと)を開けてくれたかのようだ。
まだ誰も見たことのない本人さえ気づいていない竹中直人の美しい真実がここに存在している。
人は変化できるがあの時の写真は変色しても変わらない。願うならばせめてこの写真を大切な思い出にして欲しい。
そんな話ではない。

あれ?この写真よくみると雲の上にUFO発見。

選曲は、ゲルニカの上野耕路の編曲が素晴らしい。山の男の歌。

そしてもう一曲、あの頃もきな臭かったが、今はもうぼうぼう燃えている。時代の空気感を感じる選曲です。

同じくゲルニカの上野耕路の編曲が光る。「燃ゆる大空」

この曲に煽られながら戦争に突っ込んでいった日本の兵隊さんたちに黙祷!

今も最前線で活躍する巻上公一のスタンスは独特だ。
かっこいいことへの反抗というわけでもないだろうが、アルバムの選曲に強いメッセージを感じる。
太平洋戦争の前にはエログロ・ナンセンスが流行ったそうだが、今はどうだろう。
この「イヨマンテの夜」は、NHKのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の劇中の山男をテーマとした演奏曲として、古関が作曲し1949年に発表され多そうだが、子供の頃にも聞いたことを覚えているが、今聞いても印象は変わらない。
闇雲な迫力と巻上くんは対談で語っているが、怪しい魔力を感じる楽曲だ。
「イヨマンテ」とはアイヌ語で「送り儀式」のことで、「熊祭り」の字を当てることも多い。
日本語で歌っているが元は文字をもたないアイヌの人たちの音楽だったのだろうか。日本は決して単一民族国家ではないのです。
で、この巻上公一のアルバム「民族の祭典」にも、ゲルニカの上野耕路くんも戸川純も参加している繋がっている。
で、巻上公一の所属しているヒカシューとプラステックスは当時仲が良くて、
その所為だろうか、この巻上くんのアルバム・カバーのADとデザインがなんと立花ハジメだった。

立花ハジメの存在は私には特別だ。アーティストという名称がこれほどしっくりくる人も少ないだろう。
アルバムのために楽器を作るのもコンセプトが優れている証しだ。
すべてにおいてスタイリッシュだ。こんなセンスは世界にも珍しい。ここに紹介するアートワークのいづれもが素晴らしく当時も今も衰えることがない。そうしたものこそアートと呼ぶのだろう。と思う。

選曲はALPS 2

1982年に発売された、ゲルニカ・竹中直人・巻上公一・立花ハジメ どのアルバムも誠にユニークで面白い。
それぞれが新しい価値観を生み出すことに燃えていた時代だったのだ。
アートが特別なところにあるのではなく、生き様がアートでありアーティストなのだ。
バブルの恩恵を被る時代だったというなら、未来へツケ(種)を回したということだ。
しかし、ゴミを未来へ残すような政治の失態とは異なり、あの時代に残されたアートの種はきっと未来に花を咲かせる。
今日、アートが最前線のマーケットに存在するなら、少なからずあの時代の種が花を咲かせていると信じたい。
すべてのクリエイティブを風呂敷に包んだものを「アート」と呼ぶ時代だからこそ、アートを吟味し楽しむにはやはり音楽が手がかりになる。
もちろん私だけの話だが・・・・
では今回はこの辺で終わりにしよう。

最後の曲は、アルバム H より MEMORIAL

ごきげんよう。さようなら。

文・画像・選曲 桑原茂→

ps:
LBCR53このコラムはラジオ・アーバン・リサーチとしてアップロードされます。
お聞き逃しなく。
https://www.mixcloud.com/moichikuwahara/

PROFILE

初代選曲家、毎週金曜日夜11時Mixcloud PirateRadio(海賊船)、 創刊1988年 free paper dictionary編集長

FEATUREおすすめしたい記事

page top