外部サイトへ移動します
牧野 広志 SEP 18,2020

下町。Vol.30

奇跡の崇仁新町屋台村。


夏8月までだった崇仁新町屋台村。

ところが夏を前に5月いっぱいで幕を閉じる時が来た、

なんでもかんでもお別れと言うのは突然やってくる、と最近は口癖の様に言っている・・

この屋台村については何度も書いてきたし、特集で取り上げても頂いた非常にファンキーなブロック。

スタートする時に2年半と言う期間限定で始まったダイナマイトプロジェクト、、、

なにがダイナマイトかて、、、そりゃダイナマイト以上の爆発力があるコーナーなのだ・・・

わさわざ書かないよもう、、。

京都市も全面的にバックアップした状態でテープカットし、地域と一丸となって盛り上げて行こうと、、

京都NGワードの一つとなってしまった屋台があちこちから消えその屋台と言う形を背負って始まった屋台村、

価格は少し高めでありながら、より良い店舗を集め全国から話題のスポットとなったわけです。

話題になるにはいろいろと訳ありでなければいくら観光地京都と言えどなかなか全国にまで響き渡りません、

強烈な都市伝説と事実とが混ざり、京都人ですらあまり近寄りたくないと言うイメージが先行した町、

そこに京都の人が訪れメディアが入り、綺麗に話しをまとめて電波にのっかる、

当然放送事故ギリギリを攻める各メディア、、

オープン当時のニュースっぷりは実に京都らしい、らしい表現と説明、、

まぁ仕方ないだろう・・・

そもそもこの地区で屋台村をやるて話し自体がはじめは無茶やと感じていたが、いざ始まればそりゃあうるさいとクレームもあれば、匂いがどうだとクレームもある、

で対処しても当然対処しきれない事もある、、、

そこから先はお役所さんと地域団体と運営団体との腹を割った話し合いしかないのです。

ダイナマイトブロック、誰が名付けたのか・・

私はこの呼び名好きですよ。

だってダイナマイトてホント破壊力凄いもんね、

この地域のパワーて凄いよね、

力強いんですよ、いろんな事があった場所だから優しくなれたり、そして強く跳ね除けたり、

そう言う中で地域に何かをと思い動いていると優しい言葉をくれたり、どこか遠回しにいろいろしてくれたり、やっぱり地域独特の文化と言葉には深い愛情的なものがあるんですね。

こればっかりは長く接していかなければわからない事なんです、、

さて、その地区の都市開発第一弾的な崇仁新町屋台村、

世界中を襲った、いや今まだ止まないこの状況、

その渦中、運営団体にる緊急会議によって急遽5月末で閉めると言う判断と決断・・

ん、、その時の思いは実に悲しい寂しい、が、しかしやむ得ない状況下、、、

満期終了まであと約2ヶ月ほど・・

しかし、このたった2ヶ月は当時を振り返れば重く長い日々であろう。

じりじりと人々の気持ちの隙間を襲うメディアの情報、、、恐怖以外の何ものでもない事実・・

必要以上の世界の情報、、、完全に狂うよね。

善意や生活が悪として見られてしまう様な状況下、

これて正しいのか?、、、。

そんな事を頭で考えてた日々、ついにその日がやって来た、、

屋台村としての最終日を迎えた日である、
当然私も同じ崇仁地区の「るてん商店街」から足を運んだ、

あー、これが最後か、、
あー、これで、ちょぼ焼きともお別れか、、、

この“ちょぼ焼き”を崇仁地区筆頭の下町食文化として全国に紹介されこぞってみんな食べに来たわけです。
また食べれる日を待つしかない、、、
(実はまだ、ちょぼ焼きを銅板の上で食べれるお店あるんですがね・・。)

さて、話しは戻るが、緊急会議で崇仁新町を閉めると決まってから、去る店もあれば、ギリギリまで地域に振る舞う為のテイクアウト用の食べ物やお弁当などを作り続けたお店もある、

早々に店じまいをしたお店にはそれなりの理由もあり、残念な気持ちと最後までやりたかったと言う気持ちが複雑に入り乱れてのやむを得ない決断だったであろう、、

まさか、まさか、の連続は世界中をパニックにしたのだ、

解体撤去最後まで運営したお店はもう赤字とか黒字とかそう言う問題では無く、むしろ開けておかなければと言うある意味使命感的なものもあっただろう、

それくらい緊迫した状況が続いていたのだ。

最終日にはなぜか悲しいとか寂しいと言う気持ちより、既に町の一部となっていた崇仁新町と言う一つの町内が消えてしまうと言うまさにそこに住んでいた地域の人の様な感覚に襲われ、悲しい寂しいんだけど次の未来があるから、ここから先が楽しみであったり喜びであったりの様な複雑な気持ちが波の様にやってくるわけです、、

崇仁新町屋台村は無くなってしまったが、そのDNAは崇地区の様に脈々と受け継がれて行くのだろう。

全国にこの地域の在り方とこの地区を新しい形で紹介し、メディアを動かした事に感謝と希望をありがとう。

と、伝えたい。

京都て複雑なんですよね、表も裏も、、

そしてこの町の存在価値て言うのかな、これを改めて感じた時であった。

PROFILE

牧野 広志 TRAVELING COFFEE 店主

1966年生まれ。
94年渡仏、90年代をパリ ルーアン リヨンで暮らす。
2002年 帰国後、京都の新しい情報発信空間の提案者として文化と地域に密着中。

-TRAVELING COFFEE -
昭和2年築の木屋町 元・立誠小学校 職員室で営業していたTRAVELING COFFEE が耐震補強工事の為に高瀬川沿いに建てられた仮設の立誠図書館内で営業。
図書館の選書はブックディレクター「BACH」幅允孝氏。
珈琲はブレンド2種類に加え、シングルオリジンは京都府内の焙煎所を毎月選び焙煎家と話し合い常にオリジナルを4種類程オーダーメイド。

FEATUREおすすめしたい記事

page top