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牧野 広志 NOV 01,2018

下町。Vol.9

五条楽園から消えたアマランス。


楽園と言う響きと言葉はみんな大好きだろう。
いわゆるパラダイスだ。

古くは大正、昭和から平成にかけて五条にパラダイスがあった。

この表現は決して良い表現ではないだろうが、間違い無くこのパラダイスに通った時代が京都にはあったのです。

この地は、

「五条楽園」またの名を「五條楽園」

高瀬川から東西に迷路の如く細い道が無数に広がる一帯。

五条新地、六条新地、七条新地が大正時代から一本化され、俗に言う花街とはまた別の花街でもあった。

戦後に入ると形は完全に姿を変えもう一つの色恋の街に変わった。

その後「五条楽園」と看板を上げ、芸妓さんのお茶屋から、置屋、旅館、飲み屋、喫茶と大人の街にレベルアップされ、

やはりうかつに通ってはいけない街になっていった・・・

とは言うものの、当然この高瀬川と鴨川の中州に住む人も沢山おり、
現に今も変わらず平和に暮らしている。

祭りや地蔵盆も賑やかに行われていた。
きっとよその地区より賑やかに・・・。

自宅が元置屋の娘と仕事をしていた時期がある。
その娘が私に言う「私の部屋アレよアレ」と、、
いわゆる自分の部屋が元アレな部屋なわけである、、

うーむ。なんともディープな話しだ・・・

さて、

私の記憶をたどると、2010年あたりで本格的に看板を下ろしアングラな花街になったと記憶する。

そんなに古い話しでは無いのできっと皆さんあの高々とあげられていた「五条楽園」の看板をご存知かと、、

置屋さんの前には金魚鉢が置かれ格子が、その金魚鉢が目印で、、、。
当然ながらこの一帯は暗黙の写真NGなわけです。

ただ活気のあった時代にこの通りを堂々と歩いた人も時代と共に今は減ってきていることでしょう。

この五条楽園のすぐ西の入り口に先輩が住んでいた。

東山方面から来た場合、どうしてもここを通り抜けるのが近道で早いわけです、

と言う事で、活気がまだまだ残っていた時代によくこの楽園を歩きちょっと一杯みたいな事もしばし・・

メニューの看板の中には酒のアテと並んで、○○○とどう見ても女性の名前が入っていたり・・・

それて、、、。

ほろ酔い気分で先輩を訪ねこの辺りの飲み屋をハシゴし、銭湯に行く。

今ではその当時の面影も薄れ、普通に観光客が歩いている風景が見られる。

まぁ、当時を知る人間からすれば ”間違ってこの通りに来ちゃったんだね” と、、

なんせつい最近まで、五条楽園の大きな看板とただならぬ雰囲気の要塞がドンと重く堂々と目の前に聳えていたのである。

ここから先は大人の世界であり、気安く通ってはいけないと、
スーッと生温い空気が高瀬川の上を抜けてくる、、

巨大なベールに包まれた高瀬川と鴨川に挟まれたこの中州地区一帯。

ところで、いつ頃だろう?

若い人や普通に生活をしている人が口々に五条楽園と言う言葉をポロっと出す様になったのは、、

そして楽園に近づき出したのは、、

そう、それは間違いなく「efish」の登場からだろう。

「ん、そこでカフェやるの?」と私の頭の中は「大丈夫か?」であった、、

まさにその当時は・・

五条木屋町西木屋町北の入り口には縦看板で「五條楽園」とあり、

そして先人者に寄って切り開かれた入り口に変わる。

彼の作ったカフェは瞬く間に人気のカフェとなったのだ。

先ずご近所やこの地域以外の人は、この地でお店をやろうとは思わないだろう、、

軽視しているのでは無く、京都では何故か「この通りからあっち行ったらあかんでぇ」とか、「あの地区行ったらあかんでぇ」とか、まるで呪文の様な同じリリックが繰り返された、、

嘘か真か、、、世にも不思議な呪文であり、子供達や京都人以外の人々の頭の中は「????」でいっぱいです。

ここ近年、
「行ったらあかんで、」の先には、、
開発の波が小さくやって来た。

そう、営業を中止した お茶屋や置屋の建物が浮いてきたのだ。

今現在、五条楽園の中に出来ているお店は生粋の京都人では無い人が営んでいるところが多くみられる。

ある意味その地域の特性や雰囲気、空気感、昔話をダイレクトに受け止めて新しく地域密着で作っている人もいれば、そうでは無い方々もいるのは確かだ。

そして、この地においては間違い無く彼の「efish」の存在が非常に大きいだろう。

今から19年前にそこで店をやろうと誰が思っただろうか、、

ただそこに住む人や、その町に関わりのある人はどこの町とも同様に笑顔であり心優しき人達である。

彼は悟ったのかもしれない、この場所を選んだ理由を。

筆者が若き日に先輩と通った銭湯「サウナの梅湯」、
当然、梅湯の前にある上ノ口橋の両サイドには「五条楽園」の看板がギラギラと光っていた。

吸い込まれる様に酒場をハシゴ、車も通れない様な道をふらふら歩きハシゴ酒。

今となってはその細い迷路の様な路地も、お茶屋や置屋の建物にタイルに窓にとマニアックな観光の一つになっている、、

サウナの梅湯から二本東に入り北に曲がれば「五条モール」。

さらに上ノ口橋を南に行けば正面通り、

正面橋を東に入れば山内房治郎氏が築いた二つのブランド「山内任天堂」と、橋の角には京都のセメント歴史では外すことのできない「灰孝本店」。

世界の任天堂がこの地にあった。

この地で花札から始まったとも言われている。

六軒橋を西に行けば大正4年(1915 )築100年越えの木造三階建の五條楽園歌舞練場「五條会館」。

五條会館すぐ近くにはクラフトビールにレコード、元お茶屋でタイル張りの「五条製作所」。

それこそ「サウナの梅湯」は全国から注目の的である。

梅湯もまた銭湯を愛する若者に寄って受け継がれ生まれ変わった一軒。

風呂に入った後は「キコク食堂」へ、
上ノ口橋角地を古くからずっと守っている一軒の飲み屋 兼 食堂。

この食堂にお世話なった人も多いだろう。

さて、

京都は京都人の行動力学と行動様式によって変化を遂げた町づくりが得意であり、それが目には見えにくい文化でもある。

優れたバランス感覚によってうまく作られた町づくり。

なのだが、、、

小さく変化して来た地区に、大きな変化が訪れてきた。

いよいよこの地にも昔ながらの良き時代の姿が薄れ、近代的な建物の波がやってきてしまった、、

数年前から五条から七条までの河原町通は既にどんどんと開発されていたのだか、

ついに楽園の中にその波が・・・

それはそうだろう、この中州は間違い無く一等地と言って良い立地なのです。

開発が遅れた理由には深い理由がいくつもある・・・

私的にはここは昔こんな場所があったんだよ。と言う歴史の意味で残してもらいたい一画でもあり、静かに時が流れる場所であって欲しい。

さて、いつもの美味しいもん案内。

先ほど少し触れた「キコク食堂」
ここではやはり、1本60円の串カツからスタート。
ソースを付けてサクサクと、
常連になれば別のソースがかかってきたり、、
そして、やっぱり中華そば。
昔ながらのほんのり甘みのあるタイプでぐいぐいイケる。
ビールのアテに串カツをリピート、最後は中華そばで〆る。
最高ですね。

キコクから高瀬川沿い西木屋町通を北に歩き東へ六軒橋を渡れば、お茶屋と置屋の世界に吸い込まれる、
そこには煮込みの提灯が、地元民御用達の安くて美味しい「にこみや六軒」 。

オープン時間が14時と早めスタートなのでガッツリ昼呑み。
カウンターで煮込みのおでん、煮込みのうどん、たまらない!

(今年4月、四条大宮に姉妹店の豚串専門店「後院上ル」がオープン。こちらも美味い!)

昭和にこの地で、表情豊かな彼らが生み出した価値観。

五条楽園とは京都一本独鈷のレペゼン文化最高峰。

この町を紐解けば、

そこには中州独特の地域文化があり、それは一言では伝えられなく、京都と言う歴史の中で必要とされ出来上がった構図であり、まさに行動力学、行動様式により成り立っている。

ふらりふらりと散歩して、

公衆トイレを横見に、

一際目を引くのが六軒橋の南東角にある「お茶屋本家三友」。
遊郭時代からの屋号「三友樓」

この建物も夢の中に消えて行く日が来るのかと、ふと思う。

さぁ、シンさんとこでコーヒー飲んで帰ろう。

PROFILE

牧野 広志 TRAVELING COFFEE 店主

1966年生まれ。
94年渡仏、90年代をパリ ルーアン リヨンで暮らす。
2002年 帰国後、京都の新しい情報発信空間の提案者として文化と地域に密着中。

-TRAVELING COFFEE -
昭和2年築の木屋町 元・立誠小学校 職員室で営業していたTRAVELING COFFEE が耐震補強工事の為に高瀬川沿いに建てられた仮設の立誠図書館内で営業。
図書館の選書はブックディレクター「BACH」幅允孝氏。
珈琲はブレンド2種類に加え、シングルオリジンは京都府内の焙煎所を毎月選び焙煎家と話し合い常にオリジナルを4種類程オーダーメイド。

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