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牧野 広志 JAN 22,2019

下町。Vol.13

九条山を越えるエッセンス。


快と不快は国を関係無くどこにでも存在する。

「うちは上ですから」と遠い昔こんな言葉をたまに耳にした。

私は、上(かみ)の人は上に生まれ育った事に強烈な高い意識を持ち「上」である事がいかにこの地にとって大切であるかのように勝手に思っていた・・・

実際どうだかわからないのだが、、、
少なくとも上と言う言葉はなかなかインパクトが強かった・・

「うちは下鴨ですから」と言われても、川一本東に渡れば下町がある、それを何気に言うと「川の向こうやしね」と返事が返ってきた、、、

確かに下鴨には、下鴨神社もあり閑静な住宅街が広がるアップタウンな街である。

あくまでもこれは私の20代前半の知り合いとのたわいない会話である、

が、

まぁ、そう言う境界線の文化がここに存在するんだなと思った次第である。

とにかく、学区と通りの東西南北で一つの違いを強調されてる様に感じる言葉、

この言葉に罪は無いのだろうが、この言葉が普通にまかり通ってきた時代に無意識と言う罪があるような、、、

それを罪と言ってしまえばこれまたおかしな話になってしまう、
これ即ち長い長い歴史が生んだ京都ならではの確かな話であろう・・・

さて、上でも無く下町でも無く、

三条通をひた走り蹴上を抜けて鬱蒼とした九条山を越え山科に向かう。

住めば都と人は言う、

東山を見て育ってきた筆者の友人が、山科に引っ越す事になった、

私は「山科いいとこやん、九条山があるから遠く感じるだけで、便利で近いやん」と言った瞬間、、、

彼は私に「山科からやと東山は東にないねんなぁ」と、

私「????」。

確かに街の中心地から見える東山は東に見えないが外環状線沿いに入れば東西に山は見えると言ってはみたものの、、、そうでは無いらしい・・

なるほど・・・確かに、、。

どうやら私が思っている以上に山と境界線はこの街の人にとってかなり重要な位置づけにあるようだ、。

(ちなみにこのセリフ、とある本でも同じ様な事が書かれていた。)

難しい立ち位置、、、。

山科のディープさとはやはり、あの高い塀にあるのかな・・

昔し昔の様にコンクリート打ちっ放しで汚れた重苦し外観は無くなり、白く塗られた壁はスッキリと清潔感がある、

言わなければその向こうが施設だとは思わないだろう。

雪の山科は網走級とまで言われた塀の中、

昭和2年に現在地に移転して来て以来、この地にとってなんともナーバスな問題を抱えてきた。

この施設は「迷惑施設ではない」とは言うものの一般にそうは思わない住民もたくさんいるのは確かであろう、

移動と言う話も出ているが、、
移動となれば甲子園約3つ分の土地活用は具体的にどうなるのだろう、、、
新しい街づくりが始まるのでしょうか。

ただこの移動を認めてしまうと全国各地で同じ施設に対しての移動問題が勃発しそうな・・・

いずれにせよ地域としては難しい問題かと思う。

さて、

少し遡れば、東九条の次世代が新しく土地開発された向島や山科醍醐に移ったとも言われている、、

ニュータウンに移り住んだのだろう。

確かにこの地は団地やマンションが非常に多い、それこそ外環状線沿いには大型店舗や飲食チェーン店がたくさんあり便利と言えば非常に便利ではある、、、

結果、東九条には高齢化の波がやって来て眠っていた地は瞬く間にホテル開発のターゲットになったと言っても過言では無い、、、。

さて、山科で私が通ううまいもん屋。

山科駅を南にすぐの通り旧東海道を東に行けば、大好きな焼肉「焼肉ホルモン 六」がある。

カウンター10席ほどの細長い店内、

うまいんだなぁこのお店、

通称“ヤマちゃん”と呼ばれる動きと喋りの上手い男前がお店を任されており、とにかく良く働くのだ、

お客さんからも「ヤマちゃん、ヤマちゃん」と声を掛けまくられあっちのカウンターこっちのカウンターを行ったり来たり、
その合間に肉を捌いてお客さんに出す、手元が早く人気者である。

ここに行く時には必ず予約を入れる、
なんせカウンター10席程しかないので地元常連さんで満席が続くのだ、、

透明あっさり系のタレに大き目にカットされた肉、どれも安くて美味しい。

先ずは生セン、生ハツ、

必ず頼むのはタンシタ、こいつを塩で。

後はその日によって赤身とホルモンを混ぜこぜで頼むわけである、

チャンジャ巻きは無い、チャンジャ飯がある。
なぜチャンジャ巻きじゃないのかとたずねると、「忙しくて巻いてられない」と、お客様を待たせてしまうからチャンジャ飯にしたそうだ。

ほほう、でも確かに早くて美味い。

さらに、ヘタなラーメン屋より味がいいのが六の名物 〆ラーメン。

焼肉を腹七分目くらいでおさえて、最後にラーメンをぶっ込む、

これで腹満腹手前で収まるのです。

地元にものすごく愛されるお店、

席数は少ないが通ってしまうよね、やはり。

さてさて、焼肉を食べたらそのまま南へ向かって外環沿いの「船越珈琲」へ、

ここ山科ではやはり老舗の船越、
創業39年、自家焙煎の名店である。

現在、二代目がこのお店を任されているのだが、、
長めの七三分けで眼鏡をかけた店主は先代の実子ではないようだ、、
お弟子さんが二代目なのです。
(二代目と言う表現はおかしいかも。)

豆の種類も多く、バラエティにとんだチョイス。
山科方面に来た時にはついつい船越さんに来てしまいます。
ホットもアイスも絶対安定の味わい、ほっこりします。

山科と一言で言ってもかなり広い範囲である、

「山科は京都ちゃう」と言う人もいるが、いやいや山科は立派な京都であり、街に入る為の大動脈でもある。

高速インターチェンジもある、外環状線もある、ここを抜けて五条坂を越えなければ街の中心部には入れない、

当然、九条山から蹴上を通らなければこれまた街中には入れない、

山科無くして京の中心部には入洛できないのである。

国道や市道から一本内に入れば抜け道や細い道が多く迷子になってしまう様な複雑な地、

山科駅を出て東に向かえば高速東インターチェンジさらに大津方面、

西に向かえば三条通で九条山に将軍塚で河原町三条、

南に向かば五条通を西でトンネルを抜け清水寺から五条坂、
さらに環状線を南へドン付き東で宇治へ、西で向島を横目に横大路交差点の1号線、

1号線を南に行けば大阪、北へ行けば京都市内へ、ぐるりと一周まわる。

東から陸路で入洛するには山科が京都のディフェンスと言って良いだろう。

少し話を数十年前に戻そう。

三条京阪がまだ路面にあった時代、その後も三条通りには路面電車が走っていた、

九条山の友人宅に行くのに、いつもこの山科方面まで向かう路面電車に乗り九条山駅で降りていた。

私はこの路面電車が好きでした。

当時の利用者と言えば観光客より、地域の方や学生さんが良く使っており、その電車内の会話はとても臨場感がありその日の出来事が嫌でも耳に入ってくる、、

それが京都らしさの一つであったと今思う。

開発が進めば進むほど京都らしさが薄れていく様に感じ、
その町に溶け込んでいる様でそうでは無く取り残されて行く感が強くなっている気がしてならない。

守るべきは何なのかを改めて考えなければならない2019年、

時代はいよいよその場面に突入してきたのだ。

オリンピックから、大阪万博の波と共に、

快なのか、それとも不快なのか。

PROFILE

牧野 広志 TRAVELING COFFEE 店主

1966年生まれ。
94年渡仏、90年代をパリ ルーアン リヨンで暮らす。
2002年 帰国後、京都の新しい情報発信空間の提案者として文化と地域に密着中。

-TRAVELING COFFEE -
昭和2年築の木屋町 元・立誠小学校 職員室で営業していたTRAVELING COFFEE が耐震補強工事の為に高瀬川沿いに建てられた仮設の立誠図書館内で営業。
図書館の選書はブックディレクター「BACH」幅允孝氏。
珈琲はブレンド2種類に加え、シングルオリジンは京都府内の焙煎所を毎月選び焙煎家と話し合い常にオリジナルを4種類程オーダーメイド。

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