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落合のダッチワイフ SEP 30,2020

Hey!凡な日々 Vol.34
~僕は能力者~


「干渉」と「譲歩」

去年の夏、湯河原へと旅行に行った。宿泊先は島崎藤村が好んでいた旅館。ウェブサイトに載っていた縁側の画像を見てjpeg越しに風が吹いているのを感じた。
出発当日私はとても上機嫌であった。家を出て早々思い付きで古き良き写真屋に行ってフィルムカメラを購入してしまう程機嫌が良かった。
先日その写真屋の前を通ったが、一つも良く無かった。というか良いも悪いもないという感じの佇まいだった。思えば、写真屋のおっさんは愛想が悪く気怠げな感じたったかと思う。しかし本当に気怠いようには見えなかった。瞳は真っすぐであったがその奥の焦点が合ってない感じで、もうどうしようもねえわ俺、みたいな退廃的な雰囲気を漂わせながら薄暗い蛍光灯の下ゆらゆらしていたのを覚えている。今思えば「古い」という特徴しかない写真屋に「良き」を付けることで、私の素晴らしい旅行にふさわしい写真屋へと変貌させ、自分の機嫌を保っただけのことであった。おっさんもおっさんで「進歩」とか「発展」とか「NEXT STAGE」的な意識はとうに捨てていて、「古き良き」に胡坐をかきまくった結果、あのような存在になってしまったのだと思われる。干渉と譲歩を上手くやってのけたのは私である。おっさんは何もしていない。

道中、出張から帰って来たばかりの飼い主が久方振りに投げた玩具へ狂う犬のように、フィルムカメラをひたすらカシャカシャ撮って、「え?その場で確認出来ないの?」みたいなことでハシャイだり意味もなくワンワン吠えたりした。
一度小田原駅で下車し、「古き良き」を気取った、雑味のない蕎麦屋に行き失敗をした。
時間の流れに身を任せ「古く」なる者もいれば、自ら望んで「古く」なる者もいて、どちらもあまり好きではないように思えた。両者とも二十七歳の私から見れば不自然な結果であった。若いねえ、とか言っている内に終わるぞ。
小田原城は美しかった。

湯河原に到着

湯河原駅は島崎藤村が好んでいた旅館がありそうな雰囲気だった。あるから来たのだ。その日は曇っていたのだがそれも似合っていて、気怠さとはこういうものですよ、と写真屋のおっさんに教えてあげたかった。どうせあの古い写真屋で現像することになったのだから、空の写真くらい撮っておけば良かったのかもしれない。
バスに乗って旅館へと向かっている途中、真隣にいる友人の声が遥か遠くから聞こえるようになった。山道を登るようにしてバスは進んでいたので、高低差の関係で耳が詰まってしまったのかと思ったのだが、それとは違う感じがした。詰まるというよりかは塞がれているような感じ、同じであるようで何かが違うような気がしたのである。車内で声が大きいよ、と友人に注意された。桃源郷という名のバス停があった。

旅館は島崎藤村が好みそうな雰囲気であった。「古き良き」の代弁者、代名詞、体現宿、そんな感じだった。
私の泊る部屋はウェブサイトで見たあの縁側のある客室。実際の縁側はjpeg越しでみたあの縁側よりも遥かに鮮明であった。くっきりとした縁側。島崎藤村っぽい雰囲気、年季の入った畳、女将の程よく伸びた背筋、そのどれもがあの時私の求めていたものだったように思えた。
「、、あ、、、、このお部屋、、、島、村、、、、用、、、、、、、こちらは、、、、、一階が、、、、、、、浴場、、、、、おりまして、、、、、、、、、、、、、、、、、午後九、、、、、、、、、、朝食は、、、、、、、ありまして、、、、、、でしょうか?」
という声が目の前にある女将の震える喉ぼとけを通して、果てしなく遠い場所から聞こえてきた。私はすかさず「朝食で。」と答えた。「左様でございますか。」と女将は言った。と思う。
それから一度旅館を出て、その周辺を散策した。ここら辺から自宅に帰るまで、友人が何を言ったのかまともに聞き取れていなかったと思う。それ程までに両耳が音をキャッチしなくなってしまったのである。SNSに症状をツイートすると、様々な人から「難聴の恐れがあるから今すぐ病院に行くべき」「大丈夫ですか?」等々の自らの人望を噛み締めざる得ないような反応があり、すっかり気分が良くなり風呂に入った。

帰宅

帰り道に熱海に寄った。どよ~んとした、重苦しい商店街を抜けたら淀んだ空気を晴らすかのような海があるかと思いきや、灰色の街並みが続いていただけであった。熱が出た。

「出掛け先で体調不良になる人間は、何をしてもダメだ。モチベーションの高低に固執するあまり、「今はその時ではない。」みたいなことを吹いては、何一つ実行をせず、やりかけているものの途中経過の写真を「作業中。」というメッセージと共にSNSに投稿し、不貞腐れたように寝て、夕方スマホを開くと先程の投稿に5、6いいね、たかがそれだけのことで自己顕示欲が満たされ、満足げな表情を浮かべてはまた床に就くような人間。それが出掛け先で体調不良になる人間だ。」

と祖母が言っていたのを思い出して、ショックを受けた。
自宅に帰る前に古い写真屋に寄って、おっさんも俺も真っ白な画用紙のような顔をして、カメラを預ける、預かる等々のことをした。病院の前でおっさんの「ハシャイでんじゃねえよ。」という声が聞こえたような気がした。耳の調子が悪い。
風邪薬を貰い、それを飲み、安静にして、数日後に風邪は治った。

能力者としての自覚

耳が聞こえないのは相変わらずだったので、耳鼻科へと行った。原因は風邪だと言われた。鼻にチューブで繋がれたフォークのようなものをぶっ刺して、「風邪は治ったのにな~」と思っていたら両方の穴から変な液体が垂れた。後から来た隣のおじさんもフォークを刺していた。症状に関係なく、この耳鼻科に来たものは帰りに皆これをやるらしい。まるで何かみたいだと思ったが、大したことは思いつかなかった。

その後、耳の調子は元通りになった。がしかし、それから不思議なことが起きるようになった。
雨の降る一日前、または数時間前に必ず耳が聞こえにくくなるのだ。湯河原で感じた耳の塞がれ感と全く同じものだった。私はそれから百発百中で雨を予測することが出来た。天気予報に無かった、二十分だけ降るポツポツの雨でさえ私は感じ取れた。
次第にバイト先の主婦達から頼られるようになった。
「聞こえねえなあ。」と少ししんどい感じでつぶやくと、皆が家にいる誰かに電話を掛けていた。

原因が気になり、遂先日、鼻フォークを推進している耳鼻科とは違う耳鼻科へと足を運んだ。上記で書いたことを先生に述べると「分からない。」とのことだった。台風が来る前日に耳の不調を訴える者はたまにいるが、通常時の雨をここまで感じ取れる人間は見たことが無いと先生はおっしゃっていた。
帰り際、「あなたはお辛いでしょうが、人の為に使って上げてください。」
と夢の様なセリフを先生から頂いた。
俺は立ち留まり、少し間を開けてから親指を立て、一度も振り返らずにそのまま診察室を後にした。

あとがき

最悪だったのは、俺の「降雨察知能力蓮華・改」の原因を探るために聴覚検査をした結果、「新・降雨察知能力蓮華(限界突破)」とは別で左耳が低音障害型感音難聴になってしまっていることが発覚したことである。
ストレスが原因らしく、自律神経を整えれば治るとのことなのだが、反対にこのまま悪化すれば他の病気になってしまうとのことで、ストレスを抱えないようにと先生から教えを請けた。
最近、キングオブコント一回戦落ち、文藝新人賞落選等々の落選ラッシュがあったことで非常に苛立っていたので、それらが原因だったと思う。そして今、能力者になりその自覚からくる重圧。取り込む必要のない洗濯物を取り込ませてしまったらどうしようなどという不安。仕事、プライベート、ヒーロー活動、人間関係、初対面の人とする出身地の会話、家庭環境、煙草の値上がり、聞き返す時の「え?」の「え?」の言い方が強い人、袋がいるのかいらないのか最初に明言しない奴、並んでいるのに財布出してない奴、46円で改札通ろうとする奴、SNSで猫に自由を背負わせる人々、今さらお笑いを世代で分けようとする排他的な感性、賞レース、人を傷付けない笑い、端に映っている本が実はメインのSNSに投稿される写真、二人目の親父、グループラインでの既読スルー、二段階ある広告、ストロー付けなかった店員、令和二年、その全てが俺の聴覚を奪いに来ている。拒絶します。

PROFILE

「お笑い芸人になりたい」と思い、新卒2ヶ月で勤めていた銀行を退社。
プールサイドというコンビ名で活動中。
毎週日曜21時からインターネットラジオ「プールサイドの25Mラジオ」を生放送中。趣味はラジオ投稿。
現在はコンビニでバイトをしながら。日々の生活を楽しんでいる。

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