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落合のダッチワイフ OCT 15,2019

Hey!凡な日々 Vol.19
〜パチンコ日誌〜

人生は海物語、ハンドルを面舵いっぱい右に切れ。


はじめに

初めまして、落合のダッチワイフと申します。

「URBAN TUBE」のリニューアルへの準備期間のため、先月のコラムは一時休載していました。
今月からこのサイトは「URBAN RESEARCH MEDIA」となったらしく、では僕も心機一転ということで、「初めまして」と先程余所余所しい自己紹介をさせて頂いた所存であります。

文字数稼ぎはここらにしておいて、先月のコラムを休載している間に私は何をしていたかと言うと、賞に応募するための随筆と小説を書いていたのである。厳密に言うと、賞に応募する「ため」に書いた訳ではないのだが。
これらはとても窮屈な作業であり、ああでもない、こうでもないとあってないような制約の中で文字を進めていると、脳がキュキュキュッという音ともに縮小していき、絶望の淵のような所に追い詰められた気分になる。そうなると人間は一種の生存戦略というか、無理矢理にでもポジティブなことを考えようとするようで、喫茶店の天井でブンブン回るファンを眺めながら、来月の給料に思いを馳せたりするのである。
がしかし馳せた先もまた絶望のような所であった。
というのも先月はこのコラムがお休みだったため少々生々しい話ではあるが、執筆代というものが発生しないらしく、そのことをすっかり忘れていた私は現在まで執筆代込みの豪快な暮らしを送っていた訳なのである。
このような事を書いて良いのか分からないが、このコラムは私の生活基準から鑑みるに、一本七億相当のギャラが振り込まれる。体感での話ではあるが、それくらいに生活の基盤となりうる額なのだ。
私は普段コンビニエンスストアでフリーター活動を行っているのが、ここで得られる給料というのは七円程度のものであり、今月の私は来月には七億が振り込まれることを想定した生活をしていたのである。
今月は今月振り込まれた金を使えばいいのではないかと真っ当なことをおっしゃる方もいらっしゃるだろうが、フリーターなんてものは自転車操業上等であり、私が乗っている自転車はマウンテンバイクのような、ハンドルが羊の角のように曲がっているタイプのもので、物凄いスピードで日々を駆け巡るのである。マウンテンバイク操業の恐ろしいところは、乗っている私ですら置き去りし、先に来月までタイヤを回してしまうという点にある。
クレジットカードという希望的観測カードを手にした私は、「来月のたくましい私」に全託することを覚え、給料日にはすでに現金が手元にないのである。
来月七億が入るからと今月は二十億使っていた訳なのだが、執筆代が振り込まれないということで、来月私の口座に振り込まれる額は「七円」ということになってしまった。
何が言いたいかと言うと、誠に勝手なリニューアルをされたせいで金欠になった私は、禁じていたはずのパチンコ店に吸い込まれ、気がついた時にはハンドルに手がかかっていたということだ。

パチンコを打つ親父の背中。

私はパチンコが本当に大好きだ。
もっと正確にいうなれば、「大好き」と思わなくてはならないようにDNAに設定されてしまっているのである。
父親は三度の飯とパチンコをとても敬愛していた男で、土日になると月に十八回程小学生の私をパチンコに連れて行った。
そこで私は様々なことを学んだのである。今の私があるのは、天や神からではなく熱心にパチンコを打つ父親からの賜物、いや玉物と言っても過言ではないのかもしれない。
父親は私に「等価交換」という概念、そして「労働に対する対価」という仕組みを教えた。父が足繁く通っていたパチンコ店の横にはトイザラスがあり、そこで私は良くおもちゃを買ってもらっていた。父親の素晴らしかったところは、パチンコに勝とうが負けようが私におもちゃを購入した点にあった。
父は朝から夜までパチンコを打ち続けると、「褒美」として私をトイザラスに連れて行った。貴重な土日を丸々を消費することによって、おもちゃを貰える、つまりおもちゃを買ってもらうためにはそれなりのことをこちらもしなくてはならないということを、私は学んだのである。
そしてもう一つは「玉の重さと命の重み」についてである。父は我が身をもってしてこの事について教えてくれた。比喩表現ではない。
結論から言えば、どちらも同じく重いというものだった。
今は亡き父よ、ありがとう。
パチンコとあなたから学んだことは、パチンコで活かすしかありません。
だからこうして今日も、パチンコに私は行く訳であります。

握りしめた二千円。

バイトが午前中で終わった私の財布の中には二千円、パチンコ店へと足を運んだ。
昼前に到着したのだが、店内にはおじいさんやおばあさん、大学生、主婦等が大勢いた。皆、まっすぐな目をしている。

二千円で勝負が出来るのかと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、1円パチンコであれば出来ないことはないといった感じです。
給料日まで一ヶ月弱あるのにも関わらず、全財産が一万五千円(定期を買うので厳密には八千円)しかない私にとって、数千円程の利益でも大勝ちなのである。
私は「二千円あればもしかしたら一回は当たりますよ」という目安のようなものが表示されている台に座った。

パチンコというものは、当たることは「前提」であり、その当たりが何回続くのかということが「重要」であると私は考えている。
例えば(ここからは個人的な見解に過ぎない)「千円あれば一回は当たりますよ」という台は、単発の当たりで終わってしまうことが多い。
が、「三千円あれば一回は当たりますよ」という台は、当たるまでに時間はかかるが、一度でも当たれば、眠れる獅子よろしく、そこから当たりが止まらなくなることが大いにしてあるのだ。
私はそのちょうど中間にある「二千円あればもしかしたら云々」の台に座った。

その他にもその台を選んだ理由は幾つかあるのだが、データがどうとか釘がどうとかそうゆうことをここで書いても仕方がないので、このコラムを読むにあたっての予備知識のようなものを以下に明記する(個人的見解)。

・1円パチンコとは1玉がその名の通り1円

・私が選んだ「二千円あればもしかしたら一回は当たりますよ」という台は、実際には1/199と表記されており、「199回玉を真ん中の穴(へそ)に入れれば、一回は当たりがくる」というあくまで目安のようなもの

・二千円というのは2000玉を指し、台によってそれぞれではあるが、良くて170回は真ん中の穴(へそ)に入ると思われる。残りの1830玉は言わずもがな。

野口英世が描かれた二枚の紙幣は姿形を変え、二千もの球になり私の目の前を通り過ぎ音沙汰もなくどこかへと流れていった頃、私は席を離れることが出来なくなってしまっていた。

ああ、二千円があったら何が出来たであろうか、というつい数十分前までの状態に思いを馳せ、貧乏揺すりをしながらただただ煙草を吸っていたのである。
パチンコというのは、非常に精神性が試される遊戯である。

※というのも私は二千円を使って180回玉をへそに入れたのであるが、そこで金が尽きてしまった。パチンコ台の前で資金を持っていない人間が出来ることと言えば、台を叩いたり大きな声を出したりすることくらいなのであるが、私にはそれをすることが出来ない。きちんとした母親のおかげ、賜物である。
であれば家に帰るしかないのだが、そういう訳にもいかない。私がここで席を離れ、他の誰かがこの台に座った場合、その人物は181回目からパチンコ台を回すことが出来るのである。

がしかし、二千円は無くなってしまった。肩を落とし店を出ると、外がめちゃめちゃに晴れていて、それがより一層私を憂鬱な気分にさせて、ああ、もう、ああ、もうとなっている間にATMで全財産を下ろしていたようで、また先程の台の前に僕は座っていたのである。

敵はシカトして狙う自己ベスト

ひとまず目安である200回まで回そうと千円を入れると見事当たりが来た。
パチンコは「当たり」が出てからが勝負。当たりが出ると一定期間の間当たる確率が高くなる。台を叩いている人のほとんどはこの一定期間中に当たりが来なかった人だと思っていい。
当たりは二回しか出なかった。この時点でプラス千円、それまでに三千円突っ込んでいるので、総合的に見るとマイナス二千円である。
パチンコは人生と同じく山あり谷ありで、当たりが出やすい一定期間を終えると、先程まで僕が回した200回転が0に戻ってしまう。つまりもう一度、初めから打ち直さなくてはならないということだ。
マイナス二千円は、マイナス四千円と同じだと考えた私は、その後も紙幣を無機質な銀の玉へと変えていった。僕の真後ろの台がバカみたいに出ている。後ろを振り返ると、台に張られているガラスの反射でおばさんと目が会う。自分の台に目を戻すと、今度はおばさんがこちらを振り返っているのが分かった。
この時5lackという僕の好きなラッパーの「Grind the Brain」という曲を聴いていたのだが、「敵はシカトして狙う自己ベスト」という彼のリリックが胸に沁みた。
午後十七時、六千円の損失を生んだ僕は強烈な不安なんてものはとうに乗り越えていて、むしろ覚悟をした。
パチンコを打ちながら考えていたことは、マイナス一万円になった時の気持ちの持って行き方のみである。
タバコを明日から二箱我慢するのであれば、今月喫茶店に行くのを辞めれば、家にあるアレを売れば、朝メシと昼メシを諦めれば、と頭の中の先々の我慢で利益を生んでいった私は、そのあってないような利益を先に使ってしまえと手元の金を失っていったのである。

約束の時間が過ぎた

七時に知人と夕食の約束をしていた。八千円、つまり定期代にまで手を出してしまった私がこれから友人とおディナーなんてのは、誠に馬鹿げている話である。かと言って、私は「友人」というものをパチンコ以上のかけがえのない存在として認識しているため、ひとまず約束は守ろうと、遂に台から離れることを決めたのである。
スマホを見ると、「18時54分に着く〜」という友人からのご丁寧なメッセージが届いており、「おけ〜」と返事をし、手元にある残りの玉を早く消化していしまおうと思ったその時、私はほんのわずかではあるが確かな違和感を覚えた。
台が怒っていたのである。いや、台ではない、台の奥底で長い眠りについていた化け物が怒り狂っていていたのを確かに感じた。
僕の周囲が真っ暗になる。目の前には大きな檻がありその入り口には札のようなものが貼られていた。
「何の用だ?」
奥から響くように低い声が聞こえる。
「いや、あの。」
「小僧、私に何か用か?」
「いや、その」
「用がないなら帰れ。ここはお前が来るべき所ではない。」
「ぼ、僕は勝ちたいんです!!」
「クッククク。」
「お願いします。」
「七時間も私に張り付いた、貴様のその根性気に入った。」
「。。。」
「ならば力を貸そう。小僧、その札を取れ。」

僕は恐る恐る檻に近づき、札に手をかけた。札には「激アツ」と書かれていた。「恐れるな小僧。さあ、早く。」
札を剥がしたその瞬間、

キュインキュインキュインキュイン!!!!!!

宙を切り裂くような鋭い音と共に画面は網膜を焼くようなサイケデリックな光を発した。
眠れる獅子が目を覚ましたのである。八千円で。

「もう着くよ〜!」
うるせえ!!!黙れ!!!私はハンドルを目一杯右に切り姿勢を正した。
八千円はすぐさま取り返すことが出来た、ここからが勝負なのである。パチンコは「ここからが勝負」という場面が七十程はある。
「ごめん、パチンコ来てるんだけど、出ちゃって。」
と友人に連絡をすると、「は〜い。」と返事が来た。
なんて素晴らしい友人を私は持ったのだろうか。他人の幸せを純粋な気持ちで受け取ることが出来る人間は数少ない。

もしここで「パチンコの方が大切なのかよ!!」とかナントカ言われてしまったら、私は一体どうしていただろうか。
信じられないかもしれないが、実際にこのようなことを言う輩がいるのである。
私のコラムを読む方の中にそのようなことを思う人がいないことを信じてはいるが、念のため言っておこう、私はパチンコよりも人の方が大切である。
では何故約束の時間に間に合わないか。
それはとても至極単純な話で、例えば友人との約束の場所に向かっている途中、一万円が空から降ってきたとする。目を凝らすとそのヒラヒラと宙を舞う一万円には「あなたのものです。」と書かれた付箋が貼ってある。なら頂こう、この一万円で友人にご馳走でもしよう、と考えた私は一万円に手を差しのばすのだが、風が吹いたりなんなりで中々手元に落ちてこない。
結果的に一万円を入手することは出来たのだが、友人との約束の時間は過ぎてしまった。
一万円を握りしめ友人の元へ向かい、先程あったことを説明した時、
「私より、一万円の方が大切なの?」
と誰彼が言うのだろうか。
そうゆう話ではないのである。
この一万円であなたと素敵な時間が送りたいから、私は空に手を伸ばしていたのである。という言い方も出来る。

約束の時間から四十五分後、僕は六千円程の利益を出していた。定期代を稼いでしまったではないか。
当たりが終わったので急いで換金をし、マックで待つ友人の元へと向かい、私はディナーを済ませたのである。
友人は大遅刻をした僕を見たとき、第一声に
「勝った?」
と聞いた。なんとデキたお人なのだろうか。
「千円勝った。」
と答え、帰りにハーゲンダッツを彼にご馳走した。

俺が始めて俺が終わらせる。

私はパチンコ店の前に出来る長蛇の列の一部と化していた。
昨日の六千円の利益、否、友人にハーゲンダッツを奢ったので五千七百円の利益を、更に倍にしようと企んでいたのである。
泡銭なんてものは大切にしていてもその名の通り泡のように手元から滑り落ちてしまうものであり、泡はよりバブリーにしてナンボなのである。
午前十時から始まり三時間が経過した頃、私は二千円の利益を出していた。
この二千円を使って、他の台をちょっくら回し、昨日の利益は得たまま帰ろうと、私は昨日と同じ1/199の台を打つことにした。
私が座った時この台はすでに300回程、回っており1/199をとうに上回っていたのである。
少し回せば、もしや当たるのではと考えた私はパチンコというものを実に舐めていたと考えられる。
400回、500回と回せども図柄が揃うことはなく、かと言って席を立つことも出来ない。何故席を立つことが出来ないかは、上記の※の部分を読み返して頂ければ理解して頂けるだろう。
午後十九時、850回、当たり一切来ず。1/199というのはあくまで目安、現状0/850なのである。
八千円マイナス。僕は家に帰った。

その日の夜は眠ることが出来なかった。
目を閉じると、瞼の裏には数字が貼られており、「キュインキュイン」という音が明確に聞こえる。図柄が揃い「当たった!!!」と本気で喜んだ数秒後、あ、頭の中で当たっても意味がないのだと気付く。
次の日、私はまたパチンコ店の前に立っていた。が、私は意思に逆らうように、自宅へと歩を進めた。
家に帰り色々調べたのだが、1/199やらなんやらに対する私の確率論的な考えは誤っていたのかもしれない。このコラムを読んで本気でパチンコをやろうと思った人間は、一度キチンと調べてから初めて欲しい。
ここで書いたことはあくまで主観であるとだけ言っておく。

父親はパチンコで命を落としたも同然だが、彼はそこで私に多くのことを教えてくれた。半分冗談だがもう半分は本気で言っている。
パチンコで学んだことは、パチンコで生かす。
台に向かうということは、親父への弔い合戦でもある訳だ。

無一文である今の私に出来ることは、パチンコで負けたことをこのコラムに書き、利益を生むということである。
私はコラムの題材を探すべく、パチンコを打っていたに等しい。
自分の潜在意識の奥底に、このような「プロ意識」が隠されていたことに驚く。

「パチンコなんて辞めたほうが良い」という人間は、余程パチンコを愛している人間か、一度も打ったことがない人間のどちらかだと私は思う。
全ては自己責任の元、打ちたいなら打てばいいのである。
程々に打とうと思っている人間は、そもそもパチンコなんかに行くべきではない。もっと稼ぐ方法は他に幾らでもある。それでも私がパチンコに行くのは、パチンコが大好きだからである。喧騒の中各々が孤立していて、そこには何万通りのドラマがあって、日常を一撃で吹き飛ばすかのような出来事が時として起こる。

「URBAN RESEARCH MEDIA」新装開店おめでとう。
私はパチンコのような文章を書こうと思う。

PROFILE

「お笑い芸人になりたい」と思い、新卒2ヶ月で勤めていた銀行を退社。
プールサイドというコンビ名で活動中。
毎週日曜21時からインターネットラジオ「プールサイドの25Mラジオ」を生放送中。趣味はラジオ投稿。
現在はコンビニでバイトをしながら。日々の生活を楽しんでいる。

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