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落合のダッチワイフ JAN 15,2021

Hey!凡な日々 Vol.41
お客様を殴ってもよろしいでしょうか?


あけおめ。先日このコラムを読んでくれいてる人に「「URBAN RESERCH MEDIA」は落合君のコラムをなにとしてどう位置付けているのか」というようなことを聞かれ、答えることができなかった。ありがたいことに好き勝手書かせてもらっている。
気が付けば四十一本目。今年からこのコラムは必要でない限り章分けをしないことにした。
読みやすさを重視すると不自然だからだと気が付いた。俺は書くことを書き始めるまで決めていないので、書きながら考えてその中で繋がっていく様子をこのコラムにまんま出したい。
見やすさを必要とている人を無視していく一年にしたいと思っている。なので第四十一回目も章はない。

どれ程合理的になればいいのかを最近よく考えている。俺は他人の「言い方」「言い回し」「トーン」「何故それを言ったのか」「それを言ったことにより何をどうしたいのか」とかそういった細かいことがもの凄く気になる質で、人と少しの会話をしただけで疑問、疑念で頭が狂いそうになることが多々ある。当たり屋と言っていいほど神経が過敏すぎるのかもしれない。
こうゆう話をすると「そんなことをいつも考えていてよく疲れないね。」と言われるが、とても疲れる。好きで感じている訳ではなく勝手に受信してしまう。また「よく疲れないね」と言ってくる人間に限って、日常生活の中で俺をイラつかせることが多い。

合理的な思考から生まれた行動は無駄がなかったり、効率的だったりする。
社会の中で生きていくためにはこの「合理的な思考」というのが最も役に立つ。どれだけムカつく上司がいたいとしても「合理的な思考」を駆使すれば「怒っても無駄」「争ってもこちらが損するだけ」という結論に到達することができ、最終的に「我慢をする」という行動が最も効率的だと思えるようになり、自分の中で納得した形で相手に降伏することができるのである。要するに頭を下げながら「頭を下げてやってる」と思うことで自分を保てるということだ。

病院の売店でバイトをしているのだが、訳の分からない客が多々やってくる。俺は客と口論になることが多い方だと思う。周囲のスタッフはとにかく頭を下げる。どれだけ相手が理不尽な行動をとってきたとしても頭を下げる。そして客が去った後に「よく我慢したね。」などと言ってスタッフ同士で褒め称え合う。
母親は三十年以上サービス業に携わっているので、以前電話で「ムカつく客がいたら殴ってもいいのか?」と阿呆な質問をわざとしたところ「ダメだ。」と言った。そんなことはこちらも百も承知だ。俺が気になっていたのは客を殴ってはいけない理由で、母親曰く「サービス業とはそうゆうものだから。」ということらしい。彼女の中でムカつく客に手を出してはいけないのは「基本的に人を殴ってはいけないから」というより「我々がサービス業に属しているから」という理由の方が勝るということに俺は腹が立った。

そもそも「サービス業」という言葉は気持ちが悪くて仕方がない。俺は金を貰えるからサービスをしている訳で、というよりなにもしていなくても決められた場所に滞在するだけで給料は発生していて、ただそれだとなにもしないのに金だけ貰っていく輩が蔓延るから、その時間を使ってサービスをしなさいと会社に言われ渋々サービスをしている。とにもかくにも金が貰えないのであれば、消費者を「お客様」と言い換えたり、不必要なことで頭を下げたり、無理に口角を上げたりしない、計算高く意地の悪い金のためなら平気で魂を売るような人間が集まっているのが「サービス業」なのである。これは当然のことだ。魂と引き換えに俺は金を稼いで日々甘いパンとか海苔弁当を食べているのである。
それが分かっていない人間がクレーマーになる。こういった連中はサービス業に携わっている人間は好きでサービスをしていると無意識に思い込んでいるのだ。

俺が苛立って仕方がないのは「客に頭を下げる」という行為がサービス業に関して「美徳」とされていることだ。「サービス業=客がクソでも我慢する仕事」ではない。
当たり前の話だがサービス業に携わる人間は決して好きで頭を下げている訳ではない。自分は正しいと思いながら我慢するというは精神的にかなりのストレスになる。自己肯定感のようなものが根底から揺れる。ただそれでも働かなくてはならないから、どれだけ客が悪くても口論をしてしまうと危うくクビになってしまう危険性があるから「よく我慢したね」などと言い合ってお互いをケアするのである。
我慢することによって生まれるストレスに限界を感じた我々は、その「我慢」をサービス業に含まれる一つの業務としてしまうことで、それにより給与を手に入れているのだと錯覚することによって、自分を保っているのである。
俺は客に頭を下げることで金を稼いでいる訳ではない。誰も魂を平気で売っている訳ではない。では何故魂を販売しなくてはならないかというと、客がクソだからである。
客がきちんとしてれば、我々は不必要なことで頭を下げる必要がないのだ。

客が己は神だと自負するようになってから、客と店員の間にハッキリとした主従関係ができてしまった。訳の分からないクレームを入れてくる客と対面した時に、俺はこれまで客を許してきた、媚びをへつらい尻尾を振ることを「接客業としてのプロ意識」だとしてきた上の世代を強く憎む。
先日40代くらいの女性の客に「歩く音がうるさいんだけど!!!(俺の歩く音は確実にうるさくなかった)」とヒステリックに怒鳴り散らされた。「すいません。」と俺は少し魂を販売して、目の前で靴を履き替え、「これでいいですか?」と聞くとまたぶつくさと文句を言い始めた。この時、例えばここが店内ではなく道端だとしても彼女は俺に靴の音を注意したのだろうかと疑問に思った。しないであろう。それはなんらかのリスク(例えば俺に言い返されるとか)が考えられるからだ。彼女が俺に注意をすることができたのは、俺が制服を着ていることから「サービス業」という壁に自分は守られている、この青年はサービスの枠からはみ出ることができない、という小賢しい計算があったからに違いない。
客は店員を「街ですれ違う知らない人間のうちの一人」だと考えるべきである。
客>店員という式はいい加減成り立たない。客=店員というか人=人なのである。
それを分からせるためにも俺はサービス業の枠から時に、はみ出て行かなくてはならないと思っている。

数年前に、おっさんがウチの女性店員と店内の狭いスペースでぶつかりそうになったことがある。彼は女性店員を目の前にして「どうして女って道を譲らないんだ!!前から聞いてみたかったんだよ!!」と怒鳴った。この時点で頭がおかしいのは確かだったけど、見た目は普通のサラリーマンって感じだった。その後社員の女性店員も一緒になって二人で頭を下げていたのだが、彼はまだ怒鳴っていた。俺はその光景が今でも瞼の裏に焼き付いて離れない。俺がその場に行くと状況がややこしくなるのは確かだったし、女性店員二人も穏便に済ませておっさんの説教を早く終わらすことを最善の策としていたことが分かったので、俺は彼の真横に立って無言の圧力をかけることしかできなかった。あの時のことを思い出すと、自分のために、彼を突き飛ばしてもよかったのではないかと心から思う。

話が脱線しすぎた、というより元からレールがない。
とある本に、コンピューター(科学・合理的な思考の持ち主)は実証すべき問題を考えることと、その問題を何故実証しなくてはならないのか、ということを考えることができないと書いてあった。
人間が合理的な思考をしながら「実証すべき問題」を考えることができるのは、俺らに感情もしくは、効率とかそういったものとはかけ離れたなにかがあるからなのではないかとふと思った。
例えばクレーマーと対面した時、俺の脳は即座に「彼が本当に言いたいこと、彼なりの正義」を頭の中で理解しようとする。それは自分が冷静でいられるように。そして「反論をするな」という命令が脳から下る。これは客と揉めてバイトをクビになったら来月から飯が食えないからだ。そして頭が下がる。そうすればこの客はいずれいなくなり目の前で起きている問題を解決することができると考えたからである。これは物凄く合理的な思考に基づいた判断ではあるが感情が抜けている。人間らしさのようなものが欠如しているように思える。
帰り道に俺は泣きたくなる。繊細な人間はデリカシーのない人間と対面した時に必ず我慢することになる。ジャンケンでいったらグーとパーのようなこの関係性を覆すことができない(社会性が必要とされる環境では特に)。俺は多くのそういった阿呆達に傷つけられてきた記憶がある。このしょうもない関係性をひっくり返すためにどうすればいいのか、なんてくだらないように思えるそんなことをすっと前から本気で考えている。

筒井康隆が90年代に書いた本の中に、人間の精神的充足を満たすためにある科学、コンピューターが生み出したものの一つとしてゲームがある。低刺激な精神的充足を人間に与えるゲームが人間にもたらしたものは「死の記号化」だ、といった文章があったのをふと思い出した。
話が繋がっているか分からないが、最近俺は「不安はどこから生じるのか」ということをテーマにした本のいくつかを読んだ。人間の感情を科学的に分析したそれらの本を読んで納得はしたが、それから小説が書きにくくなった。
不安の正体とは、なんて面白くないんだろうか。人間はそういった生き物ではないと俺は信じている。
今年の頭に母親と大喧嘩をした。母親の自己破産についての話で、俺の名義を貸すとか、貸さないとか、次に住む家の家賃がどうだとか、そんなことで揉めた。彼女は金との相性が悪い。感情と金の使い方が結びついている。俺は彼女が思うこれからの資産運用に無計画だと大声を上げ、家から飛び出してそのまま東京に戻った。
帰りの電車で、母子家庭の俺が何不自由なく育ったのは、彼女が資産運用だとか計画だとかそういったことを通り越して、俺を愛しているという気持ちだけで突っ走ってくれたからじゃないかと気付いた。半端じゃねえパワー!!!
合理的とか効率的とかそういったものとは無縁の人間臭すぎる母親を俺は誇る。

PROFILE

「お笑い芸人になりたい」と思い、新卒2ヶ月で勤めていた銀行を退社。
プールサイドというコンビ名で活動中。
毎週日曜21時からインターネットラジオ「プールサイドの25Mラジオ」を生放送中。趣味はラジオ投稿。
現在はコンビニでバイトをしながら。日々の生活を楽しんでいる。

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