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落合のダッチワイフ OCT 30,2019

Hey!凡な日々 Vol.20
〜黄色い記憶〜


親戚は内輪ノリの最たる例

私は現在病院内の売店でバイトをしている。
日曜日は病院の診察がないので店にやって来る客のほとんどが、お見舞いを目的とした患者さんのご家族である。
入院されている方の娘、娘の母(入院されている方の嫁)、娘の息子(入院されている方の孫)、娘の娘(入院されている方の孫)、娘の旦那(入院されている方が認めた男)、が一斉に入店してくるのだ。
私は親戚が集まった時に一斉が醸し出す雰囲気がとても苦手である。久しく会ったからかなんなのか、互いを様子見するかのような無難かつフォーマルな会話をし、張り詰めた緊張感溢るるその場を和ませるのは決まって孫の縦横無尽ダッシュ、いつもだったら叱るはずの母親も子供に「緩和」という役割を背負わせることで安堵、子供は子供で、いつも怒っているはずのママも今日はなんだかニッコリ、走れば走る程ウケるぞ!なんて調子でシュンソクよろしく、気が付けば目も当てられない惨状になっているのが、いつだって親戚の集まりなのである。
私は親戚にあまり良い思い出がない。誰かの親戚を見る度に不快な気持ちになる。
前回のコラムで父親のことを書いてから、その周辺の人達のことをふと思い出すようになった。私は父方の祖父母があまり好きではなかった。そんなことってあるのだろうか。
私はどうしても今「親戚」について書きたいのである。
がしかし、「URBAN RESEARCH MEDIA」のテーマに沿っているのだろうか。不安になりホームページを見てみると、「さらなる面白いカルチャーを」のようなことが綴ってあった。
先日映画「JOKER」を見て、私は多くのことを考えさせられた。先程までそのことをコラムに書いていたのだが、映画の完成度に引っ張られてか冒頭で「つまりこの映画というのは」「そもそも答えなどあるのだろうか」のような身の丈に合わない言葉を連発し、中盤で「よかった。」「こわかった。」「お金があったらまた見たいと思った。」で済むことを何千字に渡り書いている始末。
ついさっき全ての文字を削除した所なのである。
どうにかして親戚のことを書けないかと、「カルチャー」という言葉の意を調べてみると「文化、教養」とあるではないか。なんかおじいちゃん、おばあちゃんっぽい。大丈夫そうなので、このまま書き続けることにした。

父方の祖父母

母方のおばあちゃんは、油絵を得意とし自宅に書庫を設ける程の読書家だった記憶がある。
父方の祖父母はそれとは対照的で、「文化、教養」とはかけ離れているように見えた。冒頭から裏切って申し訳ない。
私の父と母は別居していて、休日になると私は父のいる実家、つまりおばあちゃん家に泊まりに行っていた。とても憂鬱で仕方が無かったのだが、私が泊まりに行くと父親があまりに嬉しそうな顔をするので、私からの家族サービスだということで、お泊まりの前日には歯を食いしばってリュックにパジャマを詰めていたのである。自宅から出る度に母親に申し訳ないという気持ちで一杯だった記憶がある。

おばあちゃん家は二階建ての一軒家で、ベランダを玄関代わりにしていた。そのボーダレスな感覚が私に不快感を与えていたのだと思う。
ベランダで靴を脱ぎ、部屋に入ると突然目の前に居間が現れその中心には部屋の半分以上を占めるコタツがあった。
コタツに足を入れ壁にもたれたおじいちゃんが「おお、来たか!」といつも私を迎えた。
「おじいちゃん!!」と言いつつ、「彼は敵だ。」という認識が私にはあった。
私の父親は性格や人柄に問題は無かったのだが、金にだらしのない人間であり、それが原因で私と母は常日頃寂しい思いをしていた。
そんな私を目の前にして「おお、来たか!」とどの口が言うのだと幼心に思っていたのである。

コタツの中に入ると、ペロだかペケだかそんな名前の犬がいつも私の元にやって来る。これがまた不思議な犬で、やって来る割に私に何を求める訳でもなく、ただこちらを傍観するだけなのである。真っ白だったはずの毛先が黄ばんでいて、それがまた私の気持ちを暗くさせた。

祖父母とジャブ程度の会話を済ませた後、私は父と共に二階の部屋に行った。
父の自室は、薄暗く日の光が当たらない湿気の多い部屋で、私はその部屋で一人きりになることがとても嫌だった。地べたに大人っぽい書類が散乱していて、パパは大丈夫なのだろうかと心配に思う私を余所に、父はゲームしようとかなんとか言って、昔のハード機を押入れから引っ張り出してくるのであった。
後に分かった話だが、父の部屋は霊道、つまり霊の横断歩道的な場所だったらしく、怪奇現象が多々起こっていたらしい。そんな馬鹿な話があってたまるかと思っていたのだが、父親は後日その部屋で怪奇そのものとなってしまったため、今では私の中で信憑性が高まりつつある。

地獄のオムライス

おばあちゃんが私からの信頼を失ったのは、夕飯時のことであった。
彼女が私に何が食べたいかと聞くものだから、純粋無垢な私は「オムライス」と答えた。
おばあちゃんは「あ〜オムライスね。はいはい。オムライス。オムライス。」的なことを言って、台所に消えていった。パラ、パラパラパラと徐々に真っ白な明かりがついていく台所を私は居間から見ていた。
ウインナーや玉ねぎが入ったチキンライスに、甘くて黄色い卵。母親はいつもケチャップで「ダッチワイフ」と僕の名前を書いてくれた。僕はあのオムライスが大好きなのだ。
数十分後に「はいよ〜〜。オムライス!!!」と私の前に出てきたのは、真っ黄色の卵の塊である。普段なつきもしない犬が「飯だ!!飯だ!!!」とこの時ばかりは私の元にやって来る。犬の毛先と同じ色のオムライス。コンクリートのような卵にスプーンを差し込むと、あらびっくり、割れ目から真っ白なお米が垣間見えるではないか。
怒りを抑えながら「おばあちゃん、これは一体どうゆうつもりですか?」と聞くと、「現在ケチャップが切れています。」とのこと。
確か「ストイック」という言葉はこうゆう時に使うのではなかっただろうか。
「代わりにお塩を振っておきました。」
とおばあちゃんが言った時、私はこの一家に見切りを付けたのである。

従兄弟の結婚式

父方の祖父母に見切りをつけてから随分と月日が経ち、というかつい数年前の話になる。
僕の二個上の従兄弟(男)が結婚するというので、母親と共に結婚式に参加することとなった。
久しぶりに親戚に会うということで、私は不機嫌の絶頂であり会場に向かっている途中の車の中ですでに母親と口論を繰り広げていた。
「いいよ買わなくて!寄るなよ!!!靴下山程あっから!!」と怒鳴り声をあげ、私はスマホにイヤホンを差し木村カエラの「Butterfly」を聞いた。

式そのものは本当に素晴らしいものであった。私も感動をしたし、隣にいる母親は涙をボロボロと流していて、それを見た私も思わずもらい泣きをしそうになった。涙を流すに至らなかったのは、従兄弟の髪色が金だったからである。角刈りだったはずの従兄弟が、ホストのような髪型になっている。
市販のブリーチで染めたであろうその金髪を見た私は、突如フラッシュバック、忌まわしきあのオムライスを思い出したのである。何の因果か従兄弟の髪色はあの時おばあちゃんが作ったストイックオムライス色そのもので、「祝福」の代わりにお塩を振ってしまいたくなる程に似ていた。
「あの髪型は一体どうゆうつもりですか?」という疑問で私の頭の中は一杯になり、一切の感動が入ってこない。
式が終わった後、「見た?あれ見た?」という展開になるかと思いきや、皆口を揃え「素晴らしい、感動した。」などと言う。あの金髪が目に入らない訳がない。いや、むしろ金髪が過ぎたのかもしれない。あまりにも金髪過ぎて、黒髪だったことになってしまっているのだ。
喫煙所で従兄弟に会ったので、髪型のことを聞こうとするとそれを察知してか知らずか私の言葉を遮るように「来てくれてありがとう。LINE交換しよう。」というので、いい式だったこととスマホを持っていないということをお伝えした。

記憶

ここまで過去の記憶を元にあれこれと書いてきた訳だが、間違いがあってはいけないと思い、先日母親に電話をかけ事実確認を行うと、確かに従兄弟は金髪だった時期もあったが結婚式では黒髪だったし、私を父方の祖母の家に泊まりに行かせたことはないという。
虚偽記憶というものがある。一説によると人間は、脳内で作られた嘘の記憶を何度も頭の中で繰り返す事によって、よりその嘘が鮮明になり真実味を帯び始めるというのだ。
脳内にある、黄ばんだ犬、真っ黄色なオムライスと、結婚式での従兄弟の金髪、これらは全て、私が抱いた妄想なのだろうか。
みたいなことを書いて、無理矢理オチを作ろうとしたのだがコラムはジョークと違って常にオチを必要とはしないらしい。
足るを知っている私はここらで終わろうと思う。

P.S
このコラムを書いた後、スマホの写真フォルダに結婚式の時の写真があることを思い出した。
新婦の横に金髪の男などはいなかった。
もしかしたらと母親に急いで電話をすると、私は確かに母子家庭であった。

PROFILE

「お笑い芸人になりたい」と思い、新卒2ヶ月で勤めていた銀行を退社。
プールサイドというコンビ名で活動中。
毎週日曜21時からインターネットラジオ「プールサイドの25Mラジオ」を生放送中。趣味はラジオ投稿。
現在はコンビニでバイトをしながら。日々の生活を楽しんでいる。

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