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落合のダッチワイフ DEC 16,2019

Hey!凡な日々 Vol.23
〜喪に服している暇はない〜


「覚える」と「忘れる」

「今、私は文章を書いている」と書いたのは、もう過去のこと。前に読んだなにかのエッセイ集にこのような文章があった。誰が書いたのかは覚えていないが、この一節が頭から離れない。
1秒前すら過去になってしまうことに安心と不安を覚える。そしてこのコラムが誰かに読まれるのは未来のことであり、その頃には私の現在はより過去となっていて、云々。面倒だ。どうでもいい。過去、現在、未来、そんなものがあるのだろうかと時々思う。1秒前の出来事を「過去」という言葉に置き換えるのはとても簡単なことだ。だがそれは意味を持たず空虚に等しい。
それでもなお過去があること、過去にしてしまえることに心が安らぐ。私にとって必要な過去と不必要な過去が時折反転することがある。どちらにせよ、私にとって過去はやはり必要なものである。

忘れていたことを突然思い出すことがある。とある出来事と直面した時、フラッシュバックするかの如く、ああ、こんなことがあったな、私は知っていたのか、などと「とある出来事」とは何ら関連性のない新鮮な過去と衝突することがある。
記憶とは厄介なものだと最近よく思う。生まれた時にはすでに覚えることを知っていて、様々なことを勝手に記憶してきた訳だが、未だに取り扱い方が分からない。覚えるという機能が我々の身体には最初から実装されていたのにも関わらず、なぜ私は忘れてしまうことが出来るのだろうか。よく分からない。

父親

忘れていたはずなのに、年に数回必ず思い出すことがある。思い出す度に自分は阿呆なのかと思う。めでたい人間だと自分を卑しく思う。
それは父親が死んだ日のことだ。父は金にだらしがない人間で、家族に多大なる迷惑をかけた。これ以上共に暮らすとなると、私の将来が危ういという母の判断により、我々家族は分裂した。別居である。父が真っ当な糞野郎であれば、私達は清々しい気持ちで日々を送ることが出来たであろうに、父は金に纏わること以外ではとても素晴らしい父親だった。優れた人間ではなかったが、父親が必ずしも優れた人間である必要はない。
母は父を愛していた。学生時代の初恋の相手らしく、母は父以外と付き合ったことがないと以前言っていた。腐れ縁というのは地獄だ。どんな人間であろうと、愛してしまった以上これからも愛してしまうのである。
父は土日になると、実家の軽自動車に乗って我が家に遊びにやってきた。我が家とは私と母の家である。それでもテーブルの椅子は三脚あった。三脚あることの意味が父は分かっていたのだろうか。呑気に座って、母の手料理を待っている。だから私達も呑気なフリをするのだ。
私が風呂から出て濡れた髪をバスタオルで拭きながらリビングに行った時、母はパパとチューをしちゃったと言った。隣に座っていた父がなんて言ったのかは忘れた。母がどうして私にそんなことを言ったのか。これ以上言葉を重ねるのは分析に近い。人の気持ちとはそうゆうものではない。微かな気持ちは言葉に出来ない。人に伝えるための言葉では不可能だ。でも私には母の気持ちが良く分かる。

父の軽自動車に初めて乗った時、とても落ち込んだのを覚えている。ファミリーカーしか知らなかった「僕」にとって、軽自動車は「私」であった。背筋が伸びるような思いだった。この時にはじめて、父を可哀想だと、父を「彼」だと捉えた。落胆に似たこの感情を悟られてはならないと思った私は、窓を開けるためのレバーをグルグルと回しながら大いに笑った。「パパ、これ面白いね」と言った。

三人で伊豆に出かけて、車に酔った私は後部座席で母の両手に嘔吐した。ミスチルのアルバムが延々とかかっていた。ジャケットは白黒のサイの横顔だったと思う。私は後部座席の運転席と助手席の間に座って、前を眺めていた。二人は良く約束の話をしていた。約束の内容は分からないが、この話になった時は母の顔を見ないようにしていた。声が震えていたからだ。
私と母を置いて父は我が家に帰って行った。
リビングの明かりを付けると、椅子が三脚。よく目立った。

とある水曜日

水曜日は毎週水泳教室に通っていた。6年間母に送り迎えをしてもらった。
自販機で買ったアイスを食べながら、半乾きの髪はタオルで巻いたままで、車に乗った。
家に着きテレビを見ていると、母におばあちゃん家に電話をしてみてと言われた。確か19時くらいだったと思う。おばあちゃん家とは父の実家である。その時今日が約束の日で、その約束が果たされていないのではないかと私は思った。事実は今でも分からない。嫌な予感がした。本当にした。嫌な予感がした瞬間の時のことも覚えている。この時私は物凄い近い距離でテレビを見ていた。何故だかは分からない。
電話を掛けるとおばあちゃんが出た。パパに用があると言うと、おばあちゃんはハイハイと言った感じで、受話器を上げたまま父のいる二階へと上がっていった。それから四十秒後、もの凄い勢いで階段を降りる音が受話器の向こうから聞こえた。あの音はいくらでも脳内で再生できる。耳から離れない。
パパが死んでる、とおばあちゃんは私に叫んだ。私は、おばあちゃんの声量に釣られるように、パパが死んでるって、と母に叫び、母と電話を変わった。
受話器を置いた後、母が私に救急車を呼んだからきっと大丈夫。言った。母の表情はなんとも言えない表情で、笑っているようにも見えて、でも確かに涙は目玉から出ていて、それを見た私は父が死んだことを救命士より先に理解した。
それからの記憶がごっそりと抜けている。ないのである。
次に思い出せるのは、ソファの上。瞼を開くと、テレビは当時放送していた「水10」というバラエティ番組を映していて、後ろの方では母と母の親友が泣きながら何かを話している。私は笑った。テレビを見て笑った。父の軽自動車の窓を開けた時と同じ気持ちだった。私はソファーから起き上がり「みてみて、テレビ面白いよ!」と母と友人に言った。「私は大丈夫だ。」という精一杯の声明である。

宙に浮いている。下の部屋に向かっている。私を抱きかかえているのは母の友人であろう。彼女は泣いていた。私は瞼を開かなかった。

過去とはなんだ!!

父の葬式に関する記憶の中で、子供ながらに強烈な不快感として残っている瞬間がある。
それはおばあちゃん家の居間に父の友人等が集まっている時のことだ。皆、酒が入っていて、時折笑い声が聞こえる。父親の話が酒のツマミになっていく。私の父親が目の前で汚されていくような気がした。母は下を向いているばかりだった。我々はこの時部外者だった。
誰かが言った一言
「今頃、あいつあの世でバイクでも乗ってんだろ!」
皆が笑った。今の私がその場にいたら、ありとあらゆる食材が乗った長テーブルをひっくり返し、発言者、そしてその発言を受けて笑った人間を片っ端から父の元へと送ったと思う。
私と私の母には父との歴史がある。記憶ではない、心臓のあたり、その奥深くに流れている父との日々がある限り、父は私達の中に今もあったはずだ。
目の前で私の父が過去になっていく。
こんなことは辛いことではないと、皆、笑う。嘘をつく。父が死んだ日、私が、テレビを見て面白いと言ったように、今を置き去りにしようとする。

バイト先のおっちゃん。

先日、バイトの帰り道。労働のせいで私の身体は重力を感じやすい物体となっていて、身体を引きずるようにしながら、駅へと向かっていると、ふと配送のおっちゃんのことを思い出した。
おっちゃんは、毎朝7時に飲料やヨーグルトを配達してくれる。月曜日は毎回奥さんと昨日何をしたかを教えてくれる。私が公共料金を支払えていないという話をした時、おっちゃんは五千円を貸してくれようとした。宝くじを買ったから、もし一億円が当たったら私に百万をくれるという約束をした。
おっちゃんは来年が退職らしく、それからのことをとても楽しみにしていた。納品を終えた後は必ず、お茶を手に取り僕にレジを打たせる。「釣りは100万でいいよ。」というジョークが毎回クソつまらなかった。
去年の夏。朝の九時に社員さんに呼ばれた。この時間にヨーグルトが店に並んでいないのはおかしなことだった。
周りのスタッフは「そうなんだ。」とか「本当に?」とか、そんなことを言った。
全てが嘘だった。加減をしている。どれくらいのリアクションが適切か、皆、分かっている。僕はその場で大声で泣き出して、そのまま店を辞めてやろうかと思った。本当に。
でも僕はそれをしなかった。出来なかったのだ。絶望的な悲しみの手前には、私の生活という現実が横たわっていた。
働かなくてはならない。落ち込まないことが出来た自分に、もの凄く腹が立った。
それから数日後、バイト先のおばちゃんが僕の近くに寄ってきて、「忘れられない。お通夜に行きたい。」と言ってくれた。涙が出た。出なかったけど。

生きている人が優先

僕は普段、父親のこともおっちゃんのことも忘れている。思い出すことは滅多にない。こんなにも傷ついて、彼らのことを思って、悲しんで、泣いたのに、平然とした顔で日々を送っている。相変わらず晴れている日は嬉しい。
先日父の墓の居場所を知らないことを思い出した。それすら忘れていたのだから驚く。母は一度整理のついた気持ちが破綻することを恐れて、墓参りに一度も行けていない。それで良いと思う。
私達は今もなお父の呪いにかかっていて、それに日々苦しんでいる。父が死んでから、私と母は何度も死にかけて、その度に手を結び、時にぶん殴りあいながら、ここまで生きてきた。強く生きた自負がある。
最近、私の実家は無くなった。正月にあやまって、先月までの実家に帰ってしまった時、私は死んでやろうかと思った。死んでやろうかと思ったと話し、母と私は笑う。
私は今更父の墓を見た所で、何も変わらないと思う。母に墓の居場所を聞こうと電話を掛け、元気だった?という母の第一声を聞いた時、私は父の話をすることを辞めた。
父が死んだ直後、私は学校が楽しくて楽しくて仕方がなかった。あの水曜日の夜にテレビから流れていたバラエティ番組を見て、笑った時のように学校を楽しく思った。それと同時に、笑ってはいけないのではないかとも思った。
どれくらい喪に服せば良いのか、小学生なりにその塩梅を気にしていた。
辛くなった私は、母に学校で笑って良いか?と聞いた。母は「笑いなさい。生きている人が優先。」と言った。
そうだ。そうなのだ。私は生きていかなくはならない。だから忘れるのである。死んだ人間を思い出さなくてはならないなんてことはない。思い出さなくたって良い。でもたまに思い出す。それでもまた忘れる。
私は滅茶苦茶に生きている。

電話越しの母に、元気だった。と言って、そっちはどうかと聞いた。
母は、こっちは何も変わらないと言った。

PROFILE

「お笑い芸人になりたい」と思い、新卒2ヶ月で勤めていた銀行を退社。
プールサイドというコンビ名で活動中。
毎週日曜21時からインターネットラジオ「プールサイドの25Mラジオ」を生放送中。趣味はラジオ投稿。
現在はコンビニでバイトをしながら。日々の生活を楽しんでいる。

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