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落合のダッチワイフ FEB 29,2020

Hey!!凡な日々 Vol.28
〜飯〜


行列の出来る飲食店

飲食店にいる。時刻は昼の12時00分。本当に12時00分。先月食べたパスタ屋のスパゲッティーが大変美味く、いやスパゲッティ屋のパスタだったかもしれない、とにかくもう一度アレを食べたいなぁ思いまして、わざわざ家から1時間かけて歩いてこの店にやって来た。店に着いたのは大分前のことになる。只今12時03分。
かなり待たされている。好きで待っていたのは今から20分程前までのことだ。今では遅延行為を受けているような気分でいて、明確な被害者意識が芽生えている。

僕より前、遥か昔彼方から、この店でパスタを待っている人々が大勢いる。水色の椅子が10脚、そこに15人がいる。僕は座れている。目を閉じるとまぶたの裏に水色が貼り付いている。キュートに見えたメルヘン調の店が鬱陶しく思えてきた。花粉が凄い。薬を飲み忘れた。目が痒い。15人がスマートフォンの画面を真顔で見つめている。何を見ているのかは分からない。難しそうな顔をしている。どんな情報を取り入れて、何を思うか。

「おせぇ」と「腹減った。」

である。交互か同時に思う。
ここにいる15人は食欲の一塊。水色の椅子に座る10人と、その脇に立つ5人。空中から俯瞰して我々を眺めてみた。
何かの風刺画のようだ。教科書に載ってもおかしくはない。

西暦6500年頃、電脳教師が電脳生徒に向かって言うだろう。
「これは2020年頃の飯を待つ人達です。」
教室は爆笑の渦に包まれる。遠い昔の人が見ても腹を抱えて笑うだろう。原始的でも未来的でもない。我々は現在中途半端なところにいる。「近」未来「的」と言った所だろうか。最先端の機器を手にしながら、飯が出てくるまで指定された場所にて座って待つ。滑稽としか言いようがない。

「新宿西口駅の前、じゃないよ。新宿西口駅前のだよ。」僕の向かいに座っている成人男性が言った。僕の隣に座る女の子は「違うよ。」と言って、ヨドバシカメラのテーマソングを歌い始めた。その後父親が「新宿西口駅前の〜」と歌い出した。どちらだっただろうか。スマートフォンで調べることはしなかった。そうゆうことじゃないのは明らかで、家族とはやはり良いものだなと思った。父か娘、どちらが正しかったのかは最後まで分からなかった。何故なら彼らは不毛なディベートの途中で名前を呼ばれ、待つだけの席からパスタを食べる席へと足を進めることが店側に許されたからだ。小学生の長男が席を立つ時に「二度と来ないレベル。」とボソっとつぶやいたのが印象的だった。
でも僕は分かっている。彼等はまたこの店に来ることになる。それくらいにこの店のパスタは美味い。美味くなければならない。ここにいる我々全員がパスタを食べるために費やす時間の相場をとうに超えてしまっている。貴重な休日の時間を大幅に割いてまで待ったパスタが不味いなんてことがあって良い訳がない。
店を出た後に「待った甲斐があったね。」と家族の誰かしら、もしくはカップルの片方、一人で来ている場合は自らに、言わなければその後の予定すら台無しになってしまう。そのためにはありとあらゆる過去の「美味い!」という経験から湧き出でた気持ちを記憶の底から引きずり出しながらパスタを食べる必要がある。店側は我々の休日を人質にしている。そして調味料にしている。

退屈だ。明日になったのではないかと不安に思う。腹が減る。飯に纏わることばかりが頭に浮かぶ。それについて書いている間に名前が呼ばれるだろう。そしたらこのコラムは幕を閉じる。それまで皆様には少し付き合ってもらうことになる。もう読みたくねえ、と思った人は、いち早く店員が来るよう僕と一緒に祈ってくれると助かる。

「並」と「大盛り」は料理として別物

僕が通っていた大学の取り柄は食堂に美味いカレーがあることだったと思う。大学に行くためのモチベーションのほとんどがカレーにあった。イチローの野球へのモチベーションがそうだったように。そこまで親しくない人間と食事をするという行為が嫌いなので、食堂には一人で通っていた。1限の途中で抜け出してカレーをサッと食べて、再び教室に戻った頃に講義が終わる。その繰り返しだった。
食堂のカレーが素晴らしかったのは、お店特有の味がしなかった点にある。実家のカレーに味がそっくりだった。気さくなおばちゃん達の手作りって感じで、凍てついた学生生活にほんの一息つくことが出来た。
ある時、カレーをかなり待たされたことがあった。このパスタ屋とは違って食堂ではそれはかなり珍しい事だった。これ以上待たされるとカレーを食べている最中に1限が終わってしまうのではないかと不安に思った頃、気さくなおばちゃんが「お待たせ〜。悪かったね〜。」とカレーを装ってくれた。理由は米が炊けなかったとかなんとかだった。講義が終わる前には食べきれそうだったし、苛立つことは特になかった。

「大盛りにしとくね〜。」

とおばちゃんが言うまでは、の話だ。
「ありがとうございます。」とひとまず言った。言うしかない。カレーを大盛りにされてしまったのだから仕方がない。この食堂に限らず、謝罪の意を込めて注文された飯をより多く盛ることで、客に許されようとする飲食店が多々あるように思える。あまりにも傲慢すぎる考えだ。食う側と食わせてやる側という主従関係のようなものをまざまざと見せつけられているような気持ちになる。

僕は「並」が食べたくて「並」の食券を購入した。「大盛り」が食べたかったら、「大盛り」の食券を購入したであろう。バイキングに初めて行った時、母親に「食べたい分だけ取りなさい。」と叱られた記憶がある。割と怖い顔をしていたので、よく覚えている。その教えは今でも守っている。
「大盛り」は食べたい量を超えている。だから「並」を選んだ。至極単純明快な話だ。僕をもっと信用して欲しかった。「大盛り」と聞くと、自由や無限を思い浮かべがちだが謝罪に使われる「大盛り」は決してそうではない。謝っている態度をとりつつも客を制限している。
僕の腕時計を壊してしまった人間がいたとして、「すいません!!同じ時計を弁償します。」とかなんとか言って、「これ、おじいちゃんの形見なんだよ。」と僕が言うと「マジですか?本当に申し訳ないことをした。私ったらなんてことをしてしまったんだ。じゃ、その時計を3個買います。」と言われたらどう思うだろうか。まだ1つ弁償された方がマシだ。まずおじいちゃんの形見であるという価値を腕時計3つ分と換算したそいつの価値観に問題があるし、謝っておきながらも3つまでと制限している所が癪だ。
何が言いたいかというと、まだ並の方がマシだということだ。僕の奪われた時間の価値を「大盛り」と換算した価値観、そして謝っておきながらも「並の3倍まで」と制限している点に僕は腹が立つのだ。本当に謝罪する気があり、そして何らかのプラスアルファを提供したいのであれば、それこそ「好きなだけ装ってください。」とバイキングシステムを取って欲しかった。並をちょぴっと超えたくらいにカレーを装ったであろう。

「料理ってのは「並」を超えた瞬間にすでに別物となる。」

これは僕の言葉で間違いないのだけれど、我ながら的を射ているなと思う。
「並」と「大盛り」では次元が違う。料理というのは盛れば盛る程に、競技に使われる道具に近づいてしまう。大食いタレントは大量の食事をしているだけなのに、「頑張れ〜」などと言われている。最早アスリートだ。
また山盛りであればある程に、食い手のIQが右肩下がりになる。理性とは懸け離れた所に行く。その感覚に酔いしれ、溺れながら、野獣のように食べたら世界一美味い料理は炒飯。

炒飯オラオラオラァ!

正確にはチャーハン。理由はその方が美味そうだから。チャーハンにハマったのは確か去年。ある日突然に目覚めた。最近は家でもよく作る。店の味を再現するために、様々なレシピを漁り調味料を買っては辞めて買い足してと引き算や足し算を繰り返している。チャーハンの調理工程が好きだ。
ここで僕のチャーハンの作り方を説明したいと思う。このコラムでタメになることを書くのは初めてかもしれない。
温かなご飯、卵2つ、ネギ、味の素(他のやつでも可)、豚バラ(なかったらベーコンとか)、後はもう何でも。具材はそこまで重要ではない。
油を大量に入れ、火事かってくらいに火力を最大限まで高め、卵を落とし素早く混ぜ、米を入れ、具材を入れて、バンバッンバンバババババン!!で完成。
大切なのは具材でも調味料でもなく「喧嘩上等」って気持ち。覚悟。
チャーハンを食べた朝は、道のど真ん中を歩く。
チャーハンのことを考えていたらチャーハンが食べたくなってきてしまった。そもそも、チャーハ

名前が呼ばれてしまった。パスタ食います。

PROFILE

「お笑い芸人になりたい」と思い、新卒2ヶ月で勤めていた銀行を退社。
プールサイドというコンビ名で活動中。
毎週日曜21時からインターネットラジオ「プールサイドの25Mラジオ」を生放送中。趣味はラジオ投稿。
現在はコンビニでバイトをしながら。日々の生活を楽しんでいる。

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