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吉本 悠佑 NOV 10,2020

物質を精神に変換させる


先日、友人と生け花レッスンに行った。
通い始めて2年程になる。その日はいつも一緒に行く友人がお休みということで、違う友人を誘ってみた。彼女にとっては今回が初めての生け花。

終わってから僕が「たまに生け花をすると普段使わない頭を使うからいいんだよね」と言うと彼女も「そうね、とても楽しかった!」と言うので、いい体験になったようで良かった。

お互い今年はどうだったみたいな話になり、「おそらく今年は人それぞれ『自分にとって本当に大切なもの』を見つける年になったのでは?」という話題になった。断捨離とか。仕事場とか。家族・友達の在り方とか。物理的な遮断が多かった分、精神的な安らぎ何処に見出すかを考えさせられた年。

これまでの『物質主義』という考え方に対し違和感を感じ始めた年・・・

物質主義

文字通り『物質ありき』の考え方。「マイホーム」「マイカー」「マイ~~」の類。『所有』しているもの。所有している者が勝ち、そんな世界。
「お金」というものも所有が多い人が勝ち・少ない人は負けという点で言うと、『所有の有無』が分かり易くとても『物質的なもの』だと思う。

物質っていうのは基本的に誰から見ても明瞭で、一個・二個・・・と数えられるもの。「土地」もそういった意味ではとても物質的。一平米・二平米と数えられるし、そこに「地価」を掛け算すればその土地を『お金』に換算できる。

物質主義っていうのは市場経済と深く繋がっていたなあと思う。
ある土地には一日に1万人が往来するから地価が高くつくし、逆に一日に10人しか往来しない土地は安い。それは基本的に「人の往来数」という点で掛け算をしているけど、その土地で「大根がよく育つか」という点はおそらく勘案されていない。
これまでは人が密になればなるほど土地が高くついた。だから満員電車に人々を乗せてでもある場所に人を集めることでその土地の価値を上げたい人がいた。

大根がよく育つ肥沃な土地も、人がギュウギュウに押し込まれた土地も、同じ一平米なのに。こうして土地を含め、物質の価値って意外と一面的なところで決まっていたんだなあと、今となればもはや遠い目・・・

所有することがゴール?

今でもマイホームやマイカーを持つことが一種のゴールみたいに信じている人が多い。本人は借金を抱えているのに親族は「よかったね~」と言うあの謎の安堵感。それでも少しづつ変わってきつつあるのかな?今は本当に「過渡期」なんだろうなと感じる。

僕の田舎の両親や祖母も、大きなマイホームやマイカーをどうしていいか途方に暮れている。人はどんどんと老いていくのに『物質』は基本同じだから、だんだんと掃除も運転もできなくなり、危なっかしく見えてくる。果たしてその『物質』が本当にその人を幸せにしているのか?

僕は『物質』の所有そのものでなく、その『物質』を通じて『幸せ』を得ることがゴールだと思っているので、そうして『物質』を所有することが足かせとなり、毎日へとへとになりながら大きな家を掃除したり、老眼で運転が怖いとか車検がどうのこうのとか言ってたりするのを聞くと、じゃあなんで『所有』を続けるの?と素朴な疑問が未だに解けない。自らを解放すればいいじゃない?

それでも中には本当に自分の家や車を可愛がっている人もいる。そういう人の家や車を見るのはこちらも楽しいし、その“可愛がりぶり”を聞くのも楽しい。
庭でこんなことしてるとか、今度ここをリノベしようとしてるとか、このドアの閉まる音を聞いて欲しいとか。ああ、本当に『所有』できてよかったね!と思う。末永く可愛がってあげて欲しい。

結婚制度も物質的?

今となっては親族の中で僕が唯一の「未婚・賃貸組」となった。
たまに集まってワイワイ話しているうちはいいけど「結婚しないの?」と聞かれると「結婚して幸せ?」と逆質問をする。そうするとだいたい相手はどきっとする。更にイケズ言ったろか、みたいな時は「結婚がいいなあと思えばもちろんしたいよ!結婚のメリットを教えてよ!?」と続けると大概の人はゴニョゴニョしだす。

もちろん中には「俺(私)は家族を持てて幸せ!子育ては何物にも代え難い!」と言う人もいるので、ああ、それはきっとそうなんだろうな、と自分を素直に戻す。
自分の“分身”がこの世に引き継がれるのは確かにとてもファンタスティックだし、精子バンクにでも登録しておこうかとたまに発想する。(が、僕は自分が“唯一無二の存在”でいたいと願っているので分身は当面は要らない。)

こんなこと言うと冷たい人間のように思われるかもしれないけど、結婚制度というものも一種の『所有』であり、それは物ではく“制度”とはいえ何だか「物質的だな」と僕は思ってしまう。
物である家や車と、人である旦那さんや嫁さんやお子さんを持つという「家制度」を、同じ土俵に乗せるのは失礼かもしれないけど、やはり結婚したらその家族というものが「目に見える形での自分の一部」となるわけで。他人からは子供は0人、1人、2人・・・なんて数えられてしまうし・・・

しかし家族に関しても、勿論『所有』すること自体がゴールじゃなくて、その中での気付きとか、支えとか、ドラマとかロマンとか、そういうのが自身の安堵や発見に繋がり幸せにしてくれているからこそ家族を所有しているんだろうなとも想像できる。そういう家族を見ていると、僕だってイイナーと羨ましくなる。幸せな家族を見ていると僕も養子に入れて欲しいくらい羨ましい。

精神主義

じゃあ精神は?それはきっと測れないもの。

「自分が好きならそれでいい」「自分が幸せならそれでいい」

そんなこと解ってる、という人も大半なんでしょうね。でも世の中がそうさせないんです。すぐ『物質世界』に引き戻そうとする。なぜなら今までずっとそうだったし、すぐ見分けられる、すぐ測れる、比べられる。そういう意味では非常に平易ですからね。

軽より外車。低層階より高層階。昨対比で〇〇%なんてのも、とっても物質的な指標だなと。軽が好きならそれでいいじゃないの?低層階が便利ならそれでいいじゃないの?今年が去年よりいくぶんかでも幸せに暮らせたなら、経済指標なんてどうでもいいじゃないの?

ところで日本はマニアやオタクの文化が強く、絶対的な趣味嗜好をお持ちの方が健在なことは時に僕を安心させる。たまにテレビなんかオタクみたいな人が何かを必死に追いかけているのを見ると、僕は「あんなに好きなものがあるなんて幸せだなあ・・・」と感じてしまう。

趣味嗜好だけだと経済がまわらないってことも全然なくて、トレーディングカード一枚に1円も払いたくない人がいれば、10万円払ってでも欲しい人もいるわけで、そのカード一枚に自分だけの『美学』が詰まってる人は、一生懸命働いてそのカードを購入して、幸せを感じている。ちゃんと労働が起き、10万円の経済もまわせているなら素晴らしいじゃないですか。愛せ、念願のマイカード。

『精神主義』っていうのは「個の時代」と言えるかもしれないし、大衆から測られたり侵されたりするものじゃなく、その個だけが持つものとして「美学」や「センス」とも言い換えられるかもしれない。

ただ、そのカード一枚を愛し持っているだけでは、精神(美学)が社会に還元されているとは言い難い。じゃあそれってどういう瞬間なんだろうか?

精神が還元される時

僕が修業していた割烹屋では、普段は前に出てこないけど素敵な女将さんがいて、お店を陰で支えてくれていた。
例えば掃除。掃除なんて掃除じゃないか、と思うかもしれないけど、なんていうか、その女将さんが掃除した後の店内ってどこか『凛』としていて、それが何なのか最初はよくわからなかった。他の人だって同じ掃除作業をしている筈なのに、女将さんが掃除した後ってのはどこか『スッ』としていた。

或る人が作業を終えた後、その人は既に去っている筈なのに、どこか違う空気が流れている。そんな人っていませんか?

僕はそれがなぜだろうと思い、ずっと観察していた。そしたらそこにはちゃんと『精神』が宿っていたです。

例えば椅子の角度とか、箸置きの位置とか、換気用の窓の開け具合とか。よーく見たらやっぱりあった。それは人と違ったし、一つ一つにその凛とした空気の理由があった。僕はそれがすごく尊く思えて、一つでも多く真似したかった。

こういうことってやっても気付かない人も沢山いると思います。椅子は椅子だとか、箸置きは箸置きだとか、ただの物質としか捉えられない人。他にも、俺はこの椅子の値段を知っている、高い・安い・・・とか。結局、『物質的』なものさしでしか測れない人。
でも、そういう人でも『この店、ええなあ。なんか落ち着く!』と感じた時には、ちゃんとそこには『精神』があるんです。それは、よーく見ないとわからない。もののけ姫の「こだま」みたいなもんです。
そうした『精神』は、別の言葉でいえば「おもてなし」「魂は細部に宿る」などとなるのかもしれない。重要なことは、それが『物質』に留まらず、誰にも測られない『精神』となっているということ。

飲食店なんかわかりやすいですよね。立地とか、食材とか、一見とても『物質的』なのに、とっても『精神性』が求められる場所。
だからこそ面白い世界だなぁと、今でも思います。

物質を精神に変換する

今年は「お金」の在り方についても考える機会が多かったと思います。僕もそうでした。
僕は「お金」も『物質』だと思っているので、『物質』だけを持っていても幸せになれない。むしろ『物質』だけ持っていると、周りから測られ、値踏みされ、結局周囲に振り回されるリスクが高まるとさえ思っている。

逆を言えば、物質を精神に変換できた時に人は幸せを感じられるという気付きを今年は得られた。

マイホームもマイカーもそれだけでは『物質』だけど、それらを本当に好きな人っていうのは前述した通りにそれを『精神的』にちゃんと愛している。結婚制度もそう。『物質的』な制度を『精神』にちゃんと変換されている家族を見ると、こっちまで幸せになれる。

冒頭の生け花のような習い事も分かりやすい。生け花教室では一回のレッスンで3000円を払う。お花は『物質』として持ち帰れるけど、先生との会話とか、生け方とか、来ている他の生徒さんの生き方とか、そういった『精神』を持って帰る。
生け花でいうと空間の使い方がとても勉強になります。「風通し」の重要性とか。

読書もわかりやすい。本はただの『物質』ですが、それが『精神』に変換され、それが更に社会に還元されたらとっても理想的。
本もお札も両方とも同じという『物質』なのに、その変換過程が異なるのは大変興味深い。

人は混沌としてる時代になると『物質』に走りがちになります。僕だってそうです。

『物質』を手に入れてもいいと思うんです。すぐに消えたりしませんしね。けど、肝心なことはその手に入れた『物質』をしっかりと『精神に変換する作業』だと思うんです。
目に見えない『精神』を手に入れるのは雲をも掴む作業のように思われるかもしれませんが、全然そんなことはない。

いま目の前に既存の『物質』があるなら、それを『精神』に変換すればいい。特段お金をかけなくても、それってできると思うんです。大切な何かを、しっかりと自分の『精神』にする。もし『精神』にうまく変換される兆しがないなら、それは不必要な代物かも。思い切って手放した方が『精神』に余裕ができるかも?

これからはこうして『物質』の量ではなく、自分だけの『精神』を持っている人が強いと思います。

盛り盛りの生け花は本当にダサい。
一輪の花が、風通しを良くする。

PROFILE

吉本 悠佑 POP-UPイケ麺バー主宰

京都在住『流しの料理人』 Pop-Upイケ麺バーを主宰し各地で手打ちの蕎麦や饂飩を出す傍ら、ライター、金継ぎなどをマルチにこなす。京都の割烹屋・全国の麺処で修業経験有。旅した国は世界40か国近く。大学卒業後、大手の人材会社・広告代理店での営業経験やドイツ在住経験も。gayデス。

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