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吉本 悠佑 NOV 25,2020

『人生を狂わせた七日間』 Belin, Kapitel-1


「風の谷のナウシカ」によると巨神兵は『火の七日間』に世界を変えた言われている。
現代においてあんな恐ろしい巨人が世界を狂わせることはないと思うけど、たった七日間で人の人生が狂うことはありえる。
その事を僕は知っている。

一日目

世界一周の旅も、折り返し地点に差し掛かっていた。

僕は日本でサラリーマンの仕事を辞め二カ月間かけての世界一周に出ていた。
最初は「リフレッシュの旅。日本に帰ったら転職先を探す」と言っていた僕。その気持ちは変わらないつもりでいた。
すべてが初めて訪れる国や地域。一か国をそれぞれ約一週間で巡る。駆け足で巡るシンガポールやバチカン市国(一応は一国とカウント)も含め計十カ国を予定していた。

ユーラシア大陸を東から西へ。
同じ大陸を一気に比較文化論できる点において、世界一周の旅というのは本当に有意義。生きてる間にあと二周は地球を周りたい。

インドでは凝り固まった頭を勝ち割ってもらえたし、イタリアでは世界一うまいカルボナーラに出会えたし、バルセロナでは見事なまでのスリにあったし、日本から離れて一カ月・・・ようやく生きているハラハラ感を取り戻しつつあった。

その日僕はバルセロナからベルリンに飛んだ。
12月初旬とはいえ半袖だった南欧からダウンの北国へ。

Tokyo. Seoul. London. New York…そんなイメージでいた。高層ビルがニョキニョキ立ち並ぶ大都会・・・
しかしBerlinは裏切った。

夜便。
一見する首都にそんなキラキラ感は無かった。

シェーネフェルト空港という東ドイツ側の空港に降り立ったせいか全く派手さがなく辺りは真っ暗。倉庫のような空港。
ベルリンにはもう一つ、西ドイツ側にテーゲル空港という空港もあるが、いつかの旅雑誌に「テーゲル空港に降り立った時それは小松空港かと錯覚した」と書いてあった。大抵、大都市には2つの空港があるとはいえ、羽田と成田、JFKとラガーディアといった組み合わせとはどうやらベルリンの2つは様子が異なる。
やはりあの分断がそうさせたのか?

冷たさ。狭さ。暗さ・・・「これが本当に首都の空港なのか?」
それは僕の人生で初めて降り立た共産圏だった。

空港駅に行ってもそれはどこまでも暗く、地下通路を歩きホームに向かうと、エレベーターやエスカレーターというものがない。代わりに目の前には、地下から地上ホームへとまっすぐに続くコンクリ製のスロープ。青白く伸びる蛍光灯に沿って、重いバックパックを担いで歩く。すれ違うのはただただ冷えた外気。

都心?に向かう電車に乗った。ディーゼルのようにゴゴゴと重く動き出す電車。椅子も固い。お世辞にも洗練されたとは言えない露骨な車内。そして僕はアレキサンダープラッツという駅を目指した。

1時間程で着いた駅は想像していた“東京駅”とはまた全く異なっていた。夜とはいえまだ23時くらいなのに人気はまばら。東京駅でなく“池袋駅”くらいか?と思ったけど、ホームが3つしかないし、人も電車もとにかくまばら。
改札のない駅を拍子抜けで出ると、そこには薄暗いアレキサンダー広場(プラッツ=広場)に、もう閉店していたクリスマスマーケットの屋台が文化祭後のお化け屋敷のように並んでいた。もはや何を売っている出店なのかもわからない。もはやここは“北千住”か?とさらに不安がよぎったけど、時差と温度差でもう寒くて、眠くて・・・

なんとか宿を見つけ、僕は眠った。

二日目

僕にはベルリンで絶対にしなければいけない事があった。
次の国・ブラジルのビザを取らないまま、旅に出てきてしまったのだ。

呆けた体に鞭打ち僕は在独ブラジル大使館を目指した。ここで観光ビザが取れなければ、航空券はあるのに一週間後にサンパウロに入れないことになってしまう。

宿を出て再びアレキサンダープラッツに向かった。すると昨日見たクリスマスマーケットの開店準備が進んでおりやっと“生きている人”を見つけてホッとした。それくらい昨夜はゴーストタウンのようで、まばらな人々も本当に生身の人間なのか不安だったし、僕の感覚も雪山で遭難したように朦朧としていたようにも思える。

ところで在独ブラジル大使館。何語で喋ればいいんだろう・・・?

当時の僕はドイツ語なんて皆無だったし(ドイツ初めて)、ポルトガル語(ブラジル語)も勿論皆無。しかし日本人というものは比較的大きな民族であって、ネットで僕と同じような“世界一周野郎”が書いたブログのようなものを見つけ、ベルリンのブラジル大使館でブラジルビザが取れました、という話を読んでいて、そこだけに希望を持っていた。
それまでに訪れていたインド・イタリア・スペインなどの国はどうにも信用ならんし、選択肢としてはやはりそこは“優等生ドイツ君”に僕の旅の続きを託すしかない。それでもだめならブラジル行きチケットは水の泡にして、欧州をしばらく放浪するか!と腹をくくっていた。

事前に調べた営業時間にブラジル大使館を訪れたのに、閉まっている・・・!?
役所の中でも大使館というものは見た目はオシャレにできているのに、そこから先は“治外法権”であってどうにもこうにも無理が効かない。その辺の役所ならズカズカと入ってプリーズ!プリーズ!と言えばなんとかなりそうだが、大使館ではヘタすりゃ捕まる。
とはいえインドを歩いてきた僕は“空気読まない力”を身に着けていた自信があったので、ドンドンドン!と誰もいないガラス張りの壁を叩いていると、奥からおばさんが出てきてくれた!
僕は「ビザ!ビザ!」と難民みたいなこと(難民ってきっとこんな思いなんだろうか?)を叫んだら、おばさんはなんと両手を広げて首を横に振るてはないか!それはニホンゴで言う“お手上げ”ってことか!?おい、ちょっと待て!行かないでくれ!
焦り続ける僕に、おばさんはガラスに掲示してある近くの紙を指さした。

●Montag:Geschlossen
●Dienstag:1300-1530
●Mittwoch:0830-1200 ←
●Donnerstag:1300-1530
●Freitag:0830-1200
●Samstag:Geschlossen
●Sonntag:Geschlossen

・・・クソ。読めないじゃないか・・・でも、ちょっと待てよ?これは一週間の案内か・・??「Montag」は英語のMondayと似てる。「Sonntag」もSundayと似てる。だとしたら今日は「火曜=Dienstag(?)」なのに、おばさんはなぜ明日の水曜(?)=「Mittwoch:0830-1200」を指しているんだ・・なぜ今日(火曜=Dienstag?)の午後はやってないんだ?わからん!おい・・・!!

「Today! Today!」とガラス越しに叫ぶ僕。こういう合法的図々しさは海外では大事。が、結局ナニジンかさえわからないおばさんは、ブラジルの治外法権エリアから出てきてはくれず、首を横に振り「Mittwoch」ばかりを指す。※ちなみに当時は海外SIMなども使っておらず翻訳検索もできなかった。

クソっ!時間ないのに!と思いながら、僕はこれ以上ガラスを叩き続けると合法インド人の真似事から違法日本人となり下がってしまい、いよいよ警察を呼ばれそうなので一旦引っ込むことにした。

僕はブラジルビザのことで頭がいっぱいで、特にベルリンで行きたいところを下調べしていなかったし、出鼻をくじかれてひとり不機嫌になった。

とりあえずアレキサンダープラッツに戻った。
落ち着こうと思ってテレビ塔の辺りを散策してみた。

塔と言えば塔なのだが、そのフォルムはのっぺりとしたコンクリ造りで、いかにも“ソヴィエティック”な印象。東京タワーのような暖色の温かみもなく、エンパイアステートビルのような荘厳なアールデコ感もない。本当にコンクリをペタペタと塗りたくってその上にガラスの球体をポコンと乗せただけのような頼りない塔。しかも実際に共産時代に作られた建物。基礎工事とか大丈夫?中身スッカラカンなのでは?
僕は所持金もあまりなかったし塔には昇りもせず辺りを散歩してみたけど、本当に何もない。まだ北千住の方が何かある。どの建物も高くても8階建てぐらいだし、そもそも建物が少ない。(大きなホテルが一つ、これも共産時代に作った高層ホテル。これもまた張りぼてのようで怖い)

『空き地の街』
・・・これがベルリンの第一印象となったし、それは後々になっても正しいと思っている。

特に上がらない気持ちのまま特にうまくもないメシをかっこみ、とりあえず観光でもするかと思ってブランデンブルク門とやらを目指した。ここがまたこの上なくアガらない。
パリの凱旋門?いやいや、そこと一緒にされちゃそりゃあ敵国フランス人が怒るのも無理ない。しかし凱旋門と違うのは、うざいミサンガ兄さんとか、うるさいアジア系オバサン団体客とか、そういうのがいない。気を張らなくていい、ぼーっとできる歴史的門(ドイツ東西統一ではテレビに映し出され一躍有名にはなった門ではあるが・・・)。それでも興味は俄然沸かない。また秒で手持無沙汰になってしまった。

・・・ここは本当にベルリンか?札幌じゃないよな?テレビ塔と大通り公園。そしてガッカリ遺産(時計台のような凱旋門)。とにかく寒いし・・・

いやきっと札幌の方がアガる。すすきののニッカを見たらアガるし、海鮮丼を見たらアガるのに、今のところそんなアゲアゲな広告はベルリンには全く見当たらない。

一応DLしてきたガイドブックのデータが入ったiPadを開き、そこから徒歩すぐの『ホロコースト記念碑』というなんとも重たそうな場所に行ってみた。

そこで僕はやっとドイツに入国したという実感がこみ上げてきた。

それはお墓ではない。誰も眠ってもいないただの“石”。そして誰でもいつでも自由に行き来できるフリーの一画なのだが、何か物凄いものを無言で語り掛けてくる。おそらく多くの人は最初見た時にギョッとして足が止まるだろう。”墓石”というコンテンツは世界共通。
メルケル女史のいる連邦議会議事堂もほんの徒歩一分程度。こんな場所に、こんな反省の碑を、こんな堂々と建てるのか!?

僕も過去いろんなところに旅に行ったけど、首都の中枢、しかもこんなに人目につく、首相も通勤で必ず横切るであろう一画に、堂々とかの大戦の反省の碑を、国費を投じて造り、そしてちゃんと管理している国を、他に見たことがなかった。

札幌にもない。北千住にもない。東京駅にも池袋にも国会議事堂前にもない。ソウルにもロンドンにもニューヨークにもない景色が、確かにそこに広がっていた。

・・・紛れもなく僕は、Berlinに来たのだ。

石碑の間は自由に歩ける。警備員が何人かいるが、たまに石碑に土足で上るヤンチャな観光客に笛を吹く程度である。特に石碑ひとつひとつに何か文字が刻まれているわけではない。壁もない。24時間オープン。開かれた場所。

石碑の迷路を歩く。しかし僕にとってそこは不思議と恐ろしいという感情は沸かなかった。むしろ静かで、落ち着いた場所。
何も刻まれていないからこそ『感じる人に感じてもらえたらいい』と語り掛けてくるような無数の石碑。その「何か」とは霊感とかそういう類ではなく、歴史観とか倫理観とか芸術性とかそういったもの。

気付くと道を挟んだ向こう側にもポツンと似たような形状の、しかし大きな碑がひとつあった。何かと思って道路を渡った。

その石碑だけは不思議で、ぐるりと一周すると一か所に穴が開いていて中が覗けるようになっていた。そこにはモノクロの映像に、ただひたすらにキスをする様々な二人が流れ続けていた。

碑の横にあったドイツ語と英語で書いてあった説明看板を読みようやく理解した。どうやらこれはユダヤ人ではなく「ナチスドイツによって迫害された同性愛者達のための碑」であった。

もう一度碑の中を覗いた。何分眺めたかわからない。

北ドイツの冬、闇の訪れは早い。
誰も僕の行動を止める人はいない。もはや何時だったかも忘れた。
ただひたすらに自然の道理の中で夜が訪れ、石碑の持つグレーと黄昏のグレーが同化していく時間帯。

冷たい石碑の中で投影される二人は、世間から隔離された場所で暖を取り合っている二人のように見え、少し羨ましかった。
しかし何度も何度も同じ映像が流れることでそれがリフレインだと気付き、見世物小屋にも思えてくると、一気に寂しさや悲しさや恐ろしさがこみ上げてきた。あっちの世界・・

自分もこうなっていたかもしれない。

小窓からやっと現代へ戻ろうとすると、次の人が後ろで待っていてびくっとした。
僕は周囲に気付きもせず、実在したであらう二人に心を奪われていた。そんな僕の背中を誰かに見られていたと思うと、恥ずかしいやらなんやらで・・・
でもその人は僕ににこっとしてくれ、僕を安心させてくれた。
僕はその人に小窓を譲った。

少なくとも僕らは彼ら彼女らが殺害された延長線上の世界に立っている。

つづく

PROFILE

吉本 悠佑 POP-UPイケ麺バー主宰

京都在住『流しの料理人』 Pop-Upイケ麺バーを主宰し各地で手打ちの蕎麦や饂飩を出す傍ら、ライター、金継ぎなどをマルチにこなす。京都の割烹屋・全国の麺処で修業経験有。旅した国は世界40か国近く。大学卒業後、大手の人材会社・広告代理店での営業経験やドイツ在住経験も。gayデス。

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