『人生を狂わせた七日間』 Belin, Kapitel-2
三日目(Mittwoch)
またブラジル大使館の前に立っている。
昨日から一体、何をしているんだろう・・・
寒さに肩をすくめ、俯きながらも、知ったばかりの道をさっさと歩く。
一人旅では「しなければいけない事」や「行かなければいけない場所」なんて無いはずなのに、それはまるで、毎日同じ場所に通ったあの日々の様に億劫。
改札のない駅にはまだ慣れないし、そこまでしなくても、ここにはラッシュアワーもない。
思い描く首都の煌びやかさは、ない。
0830。太陽がやっと上ってきた。
オペレーションのなってない導線。怠惰の塊のような職員。
そんなものを覚悟していたのに、用意してきた書類関係はあっさりと受理され、手続きは数分で終わった。そして僕はパスポートを職員に預けた。
これでドイツからは逃亡できなくなった。
ブラジルどころか、隣のチェコやフランスやベルギーにも行けない。パスポート不所持の邦人。
「明日の午後には発給できます。ただし、営業時間の関係で、万が一、不備があれば、次の受け取りのタイミングは来週火曜になります」
来週!?こんなファッションもグルメも太陽もないような国に、一週間もいるなんて耐えられない。
悪かったのは自分だと頭では分かっていても、もしうまくいかなかったら、きっとこの街を恨むだろう…
目の前にはまた冷たい共産主義の街並。
明日の通勤までの24時間、どう過ごそう・・・
そして昨日見た「ホロコースト記念碑」を思い出した。
あの感覚はなんだったんだろう・・・?
博物館ならとりあえず寒くもないし、wifiもあるだろうし、時間は潰せる。
ここは一つ、ベルリンらしいものを。
Jüdisches Museum:ユダヤ博物館
先々週、ローマで遺跡群を散々見てきて、心底がっかりした。「なんだ。石っころか。」
数千年前の人類の叡智は僕には古すぎた。ローマにはもう二度と行かない。
まさにその現場に立つ遺跡ですらそう思うのだから、いくら国宝級のものでも、そこから引っ張り出してきた石っころを、本来あるべきでない室内でぬくぬくと展示されているなんて、想像しただけで退屈さしかなかった。大英博物館のロゼッタストーンも、ルーブルのミロのヴィーナスも、当時の僕からしたらイギリス人やフランス人が自己満のために持ち出したただの石っころにしか思えなかった。
だったら昨日のように、ベルリンにしかない、ベルリンが生んだものを見たい。その勘は正しかった。

人はなぜ語ろうとするのだろう?
「文字によって人と人が繋がりあった」というのは大きな幻想で、アートは時にそれを再認識させてくれる。
『感じろ。』
・・・白い廊下の先にある大きな扉。ぐっと引く。そして手を放すとゆっくり、確実に、劇場の扉のように、隙間なく閉まる。奥行きを見失う真っ暗な部屋。怖くて手探りで壁を探す。ざらっとする。はるか彼方、小さな天窓から一筋の光だけが差す。シャワーはどこ・・・
・・・一人一人違う金属製の顔。歩きにくいその上を、一歩一歩踏みしめる。すると下から、「キン」「カン」という金属が擦れる、独特の不快音が響く。痛い。助けて。いや、もうここにあるのは全て、もぬけの殻。それはきっと、ただの金属音か、頬の骨が折れた音か、脳みそが潰れた音か・・・
人は多くを語り過ぎる。
読み手も読み手。
自分もせっせとパネルを展示する仕事をしていたし、経済新聞を読んではそれを知ったように語っていたから、よーくわかる。
中には怖がって扉を開けようとしない人もいたし、足を踏み入れようとしない人もいた。
しかし、それこそ失礼だと思う。
制作者に。過去に。
展示をどう楽しもうと個々人の勝手。しかし、自分がしないこと(できないこと)を怖がり、知ったかのように振舞う人間のほうが、よっぽど怖いと思った。
ユダヤ博物館を出る頃には、ずっしりと重たい気持ちになった。
そうか。ベルリンという街は普通に観光をすると結構“重たい街”なのだ。だから日本人に人気がないのか。艶やかな高層ビルもないしブランドストリートもない。そりゃあミュンヘンのビアホールやライン川下りの方が、幾分かでもキャッキャできる。
それでも、暗くなった気持ちをリフレッシュさせようと、もう一か所おもしろそうな博物館に行ってみた。
『Schwules Museum』(Gay museum)・・・世界初の「同性愛博物館」
Bis morgen:また明日
パリのエロティシズムミュージアムには何度も行ったことがあるが、アレは楽しい『秘宝館』。世界初のポルノビデオ、世界初の玩具。毎度楽しませてくれた。
※ちなみにパリのエロティシズムミュージアムは2016年に閉館してしまった・・・!大好きな秘宝館がまた一つ、世界から消えてしまった。
そんな期待をして行ったのに、全然響いてこなかった。「同性愛史」を丁寧に説明するだけで、先ほどと打って変わって・・・
それこそ“珍宝”もない!マジメかよ!つまらん。
出ようかと思った瞬間、後ろから学芸員?のお兄さんの声が聞こえた。
「あら、もう帰っちゃうの?あなたゲイ?」
「あ、ええ。まあ・・・」
久々に日本人らしく曖昧な返事をしてしまった。
「あら!じゃあ、これあげるわ!ちょっと待ってて!」
彼がデスクから持ってきた冊子は、ドイツ語が読めなくてもその表紙の“ゴツさ”から、明らかに同人誌だとわかった。
「ここに色んなイヴェント情報が載ってるから!ベルリンでは毎日どっかでパーティーしてるわよ!とってもゲイフレンドリーな街だから!」
僕はパーティーに行く予定もなかったのに、彼はおまかいなしにペラペラと冊子をめくりながら喋り続け、
「ええっと、今日のイヴェントは・・・イマイチね。明日ベルリンいる?」
「あ、はい、おそらく」(知らん、まだ決めてない)
「じゃあ、明日ちょうどね、このミュージアムの地下のクラブでイヴェントがあるの!毎月やってる有名なイヴェントだから安心して!来なよ♡」
・・・『毎月やってる=安心』という彼の説明に、もはやロジックは無い。
と思った次の瞬間!
「あーでもアンタみたいなcute boyが来たら・・・すぐ喰われちゃうかもね♡」
と言い、彼は僕の肩をハグしてきた!ビクっ!!
日本で散々遊んできた自分。が、海外でのクラブ遊びはまるっきり知らなくて、それはきっと玄人さんが行く場所だと決めつけていた。
彼は手を放し、肩をすくめた僕を見て「あはは~♡」と楽しんでいた。
これも含めてGay museumの“EXHIBITION”なのか!?
明らかに“裸”の感じのその同人誌を、僕はギュッギュとリュックに隠し入れ、姐さんに挨拶しその場を立ち去った。
外は既に闇。もう。本当に暗くなるのが早い。まだ夕方4時・・・
地下鉄駅前にカリーブルストの店があった(ソーセージにカレー味のケチャップをかけたベルリン名物)。みんな立ち食いしビール瓶をラッパ飲みしていたし、僕もそれを真似した。ビールはうまかったが、カリーブルストはB級グルメの味がした。労働者のようにポテトもかっこんだ。
階段を下り、路線がわからずキョロキョロしていたら、なんと、目の前にさっきの学芸員姐さんが現れた!そして僕に駆け寄り「あら、また会えたね!アレキサンダープラッツ?それはあっち方面!私はこっち方向♡」とご丁寧に、ご自宅の方角まで。
ありがとう、と言うと、満面の笑みで「うん!じゃあ、また明日ね~!!」と手を振って、行き交う人の中でもしっかりウインクし、長い足を進ませ、あっという間に逆方向へ消えていった。
律儀な僕は「あ、あ、明日パーティー行くって言ってないんですけど・・・」と言いたかったけど、言えず。手を振るだけで精一杯。
明日、どこにいるかなんて、まだわからないよ・・・
Jägertee:???
アレキサンダープラッツに帰るとクリスマスマーケットがやっていた。そういえばそんな名物もあったなと。時計を見るとまだ5時、6時。並んだ屋台から湯気が出ている。
まだ食えそうだったし、ドイツでビールだけじゃつまらんだろと思って、屋台に並んでホットワインを頼んだ。ホットワインしか知らなかった。
クリスマス仕様のそのグラスを写真に収めようとしていたら、隣のおばちゃんに絡まれた。
「あなた!グラスなんか撮ってないで、私たちを撮ってよ!」
僕がカメラを向けると、「違うわよ!私たちだけ写ってどうすんのよ!?あんたも一緒に!ほらっ!」みたいなことを言うので、じゃあ・・・と、一緒に写真に収まった。
地元の仲良しオバチャン三人衆。仕事帰りの集いのようだ。
僕が日本から来たとか、今日はユダヤ博物館に行ったとか、話してたら「そうねー、ベルリンはそういうとこしか見るとこないわよね~。でもいい街よ!特に『今』は本当にいい!みんなオープンだし。ほら、私らとかさ♬」と。僕なんかより、オバチャンらのほうが、ずっと楽しそうだった。
「何を飲んでいるんですか?」と聞くと「ヤガーテー!」みたいな聞きなれない単語を言うから、三回くらい聞き直した。ヤー?ガー?テー?
するとおばちゃんが「もう分かったから!」と言い、屋台に行き、自分の分と僕の分までその“ヤガーテー”を買ってきてくれた。得体の知れない茶色い飲み物。
クンクンと犬のように匂いを嗅ぐ。温められて際立つ香草系の香り。
「怪しいもんじゃないわよ!酔うけどね!私らみたいに!」と変わらず上機嫌。他のオバチャンらも気付いたらおかわりをしている。
口に含むと、強いリキュール臭が鼻につく。むせた。またオバチャンらが笑う。「あんた本当に28歳!?苦手なら無理しなくていいのよ~」
僕は頑張って飲んだ。飲んだら頬が赤らんできた。やっとこさ、クリスマスの暖色に、自分の肌色が追いついた。ヤガーテー。
別れ際に「クリスマスカード送るから住所教えてよ!」と言われたので、酔っぱらっててもちゃんと覚えてんのかな?と思いながらも、日本の住所を教え、先においとました。オバチャンらはまだ飲んでいた。
強い意識も持たずに来たベルリン。
ユダヤ人収容所に体験入所し、ゲイの学芸員にナンパされ、苦くて強い謎の飲み物を飲んだ。
もうとっくに大人になったと思っていたのに。
ベルリンは僕を試そうとしているのか?
つづく
