外部サイトへ移動します
吉本 悠佑 FEB 18,2021

『弟よ。』(前編)


_1

その日も部活をサボろうとしていた。
中学に入って半年。最初は楽しかった吹奏楽部だっていやな部分が見えてきた。3年生の派閥とか、顧問のエゴとか。取るに足らないこと。
ホームルームが終わり、各々が部活へ向かっていく。見つかる前にさっさと帰ってしまおう……そんなことを考えながら、わざとだらだらと、みんながいなくなるまで教室で時間を持て余していた。
時を見計らってかばんを背負おうとした瞬間、担任がなぜか戻ってきた。
「まだここにいたのね! すぐ職員室に来て!」
何か悪いことをしたか・・・自分が悪人であるかのように錯覚する。
ふてぶてしく動こうとしない僕に、担任は容赦なく事実らしい情報を突きつけてきた。
「弟さんが交通事故ですって! 体育館にいるお兄さんも呼んできて! 急いで!」
速報だった。詳細がわからなそうなことがよりその情報を確かにしていることが、中一の僕でもわかった。どうやらここで反抗期をしている場合ではないらしい。

_2

「あ。〇〇の弟」――体育館に入るとすぐ、兄の同級生が僕に気付いた。
体育の成績が万年「2」だった僕にとって、そこは学校で一番嫌いな場所。体育館シューズさえ履かずにぺたぺたとコート脇を歩く僕のもとへ、バスケ部の制服を着た長身の兄が怪訝そうな顔で近づいてくる。
ひょろっとはしていたが180センチを超える兄。久々に真正面に立たれると本当に見下されているようで気おくれする。僕はすぐさま、あみだくじのような木目調の床材に目を落とした。
なんでこんな状況に立たされないといけないんだろう――交通事故に会ったらしい弟を、既に恨み始めていた。

「なんや?」
兄は僕よりも成績がいい。僕にとっては、成績が良くて、冷たい人。
「弟が交通事故らしくて、すぐ職員室に来いって、先生が……」
誰かのせいにしたかった。いつもの兄なら「それは確かな情報か?」と上げ足をとりたがる。
反論をびびっていた僕だったが、兄は少し黙り「わかった」とだけ返事をし、顧問のところへ駆け寄って行った。僕は職員室で待っているとだけ伝え、その青春臭さが充満する大箱を、慣れない足取りで去った。

見慣れぬ応接室。黒塗りのソファに、学ランの二人。
「タクシー、来たわ! お金はいいから。運転手さんには言ってあるけど△△病院ね」
普段なら生徒の出入りが禁じられている正面玄関に、僕は自分の下駄箱から靴を持ってこさせられ、履いた。
中学生二人だけでタクシーに乗り込むシーンほど滑稽なものはない。道路の向こう側にあるテニスコートから視線を感じて気まずくなる。
その注文の仕方も知らないのに、運転手が僕らの苗字を確認し行き先を告げると、兄は率先して「はい」と言い、車はにわかに出発した。

_3

受付で名前を言うと、看護師さんが少し憐れむような表情でいそいそと僕らを奥の奥へと案内してくれた。

母が泣き崩れ、父は怒り震えていた。
「ICU(集中治療室)」と書かれたプレートが掲げてあるガラス張りの部屋の中には、顔中に真新しいアザがいついた弟らしき人がベッドに仰向けに眠っていた。身長は小五らしかったけど、体重は僕とほぼ同じか、既に超えていたかもしれない。体につながるいくつかの管や心拍数を測るメーターが見えたけど、正直「なあんだ」と思った。ドラマで見たのはもっといろんな人が周りいて、カオスな状態だったけど、そこにある弟の体は、意外とシンプルにそこにいて、相変わらず放漫体形だった。大げさに頭に包帯を巻いていたけれど、そんなことはよくあること。僕だって昔車にはねられてケガをしたことがあるけど、何針か縫い、しばらく頭に包帯を巻いて学校に通い、そして治った。
僕はICUに入れなかったけど、弟はここまで大げさにされているのだから死ぬようなことではまずないだろうと勝手に悟った。とはいえさすがにあっけにはとられていた僕に、父は揺れるような声で言った。
「車に轢かれて頭を強く打った。まだどうなるかわからない……」

その声を聞き、また自分が悪いことをしたような錯覚に陥った。
弟が普通に見えた分、もしかしてその沸点近い父の感情は、僕か兄の悪事を含めての爆発なのか?(しかし兄は優等生だったので、おそらく僕のことだろう、と…!)
部活をサボっていたことか? 最近、不良と呼ばれる先輩とつるんでいたことか? それとも財布からお金を少しくすねていたことか?――心当たりなんていくらでもある。

泣きじゃくる母が、大声で話を割った。
「ごめんなさい! 私が・・・みていなかったから・・・!!!」

どの家族も一見綺麗に見えるけど、なんとなく体裁を守っているような瞬間の連続。ゆるりと球体を維持しているスライムを、手でぐちゃりとしたように、僕の家族は形を変えた。
総量が変わったわけではないのに、それはただ指の隙間からボトボトと床に落ち、そして醜くなった。

_4

家に四人。父は母に物を投げ、母は自らをかばった。もともと気性が荒い父。泣き寝入りする母。そういう光景はうちでは定番だった。
けれど、いつもと違うことも起きた。
会社でしか煙草を吸わなかった父が平然と家で灰皿を満杯にするようになったし、母が作る弁当はなくなりパン代だけが毎朝置かれるようになった。

やっと事態を説明してくれたのは、一週間程経った頃だったと思う。

――弟は学校終わり、一人で自転車を飛ばしゲーム店へ新作を買いに行き、その帰りに見通しの悪い角を飛び出し、車にはねられたそうだ。命に別状はなくなったが、意識が戻るかどうかはわからない。頭の中で血管が破裂?し、血液が溜まり?、脳みそを圧迫している?と。手術して頭を“切る”ことで治るものでもない?、むしろ切らない方がいい?と。(←ここが一番不思議だった。手術をしたらみんな“治る”と思っていたのに、なんで大人は弟の頭を切ろうとしないのか・・・!)
そしてこのままずっと『植物人間』になるかもしれない、と――

『植物人間』
その言葉は、植物にも人間にも失礼だと思った。
中学校にあがり、世界がどんどん広がっていた時期だった。言葉だって沢山覚えていったのに、目の前に現れた『植物・人間』という奇妙な組み合わせは、どの教科書にもまだ出てきていなかった。たまに重苦しいドキュメント番組で聞いたことがある気がしたが、そういった番組をなぜか大人は子供から避けた。

取り乱しているのはいつも大人で、僕の方が、もっといえば兄の方がよっぽど冷静に見えた。『植物人間』ってのは具体的に何なのか知りたかったけど、取り乱した大人にそれを聞くときっとまたすすり泣く声が聞こえたり、何かが飛んできたり、部屋が煙臭くなったりするのでやめた。

_5

ICUを出て一般病棟とやらに移ったらしいという話題も、僕にとっては上の空でしかなかったが、事故から数週間後、初めて面会に行くことになった。
病院という場所は決して楽しい場所ではないし、特に行きたいとも思っていなかったけど、僕よりも先に親戚のおじさんやおばさんが行っていているのはなんだか釈然としなかった。一番下っ端となってしまった僕の仕事はいつも留守番。犬の散歩。回覧板を回す事。生協を取りに行く事。そして毎度電話に出て「今、両親ともおりません」と言う事――集中力を削がれ、勉強だってろくにできなかった。

弟の個室は、家の部屋よりも広かった。他の人も寝泊りできる仕様になっていた。いろんな外傷はひととおり治ったようで、見た目は事故前とあまり変わりなかった。
「ほら、お兄ちゃん来たよ」と母が声をかけるが、弟はぼんやりとしている。窓のあたりをうつろに見つめたままだ。
ベッドの上に寝たきりでいるわけではなく、どかっと座り、ちゃんと目が開いている。体につながっていた管も減り、点滴だけだったと思う。「なんだ、サボってんじゃん」と思ったが、いつまで経ってもこれといった反応がない……

その時突然、奇声を発した。久々に聞いた弟の肉声。

「お゛らー!じね゛!おま゛えら、み゛んな、しね゛----!」

びっくりして後ずさりしたが「喋れんじゃん」と思った。

いろんな生活を奪っていった弟に、僕だって怒りを覚えていた。手作り弁当がなくなったこともそう。夕飯が出前ばかりになったこともそう。洗濯も食器洗いも何もできない父の世話なんて、心底うんざりしていた。
次の瞬間、弟が自分の体に刺さっていた点滴の針をぶしゅっと抜いた。突然の出来事に血が滴る。シーツが汚れる。
僕はドア付近へと近付き、弟がなぜそんなことをしたのかをとっさに考えた。きっと弟にもなにか思いがあったんだろうと。ただ単に「痒かった」とか、「さっき母親にいやなことを言われた」とか。

ほどなくして看護師さんが数人駆けつけてくれた。何人かで弟を押さえつけようとしている! しかし弟はそんな天使たちにも吐き捨てた。

「だれ゛だ、お゛れさま゛をじゃます゛る゛のわ!く゛るな゛!み゛んな、じね゛ええええ!」

おそらく口にしている「俺様」なんて言葉、弟が使うのを初めて耳にした。

テレビで「悪魔祓い」というのが今でもイギリスかどこかであると見たことがある。もしかして弟は悪魔に魂を奪われたのか……? 『植物人間』というわけのわからない言葉より、「これは『悪魔祓い』です」と言われた方がどれだけ腑に落ちたことか。
しかし、もしそうだったとしたら、こんな大きな病院でも治るものなのか……?
弟がこんなことになってから数週間も経って、やっと恐怖感が湧いてきた。

察するに死ね死ねと言ってるのに、看護師さんはハイハイと慣れた手つきで世話をするのが、頼もしくも、素性が知れなくて逆にこわかった。しかし瞬く間に白衣が赤黒い斑点だらけになってしまい申し訳なくなった。
母も祖母も弟に近づこうとするが、何もできずただただ動揺し、泣いている。
というか怒らないの? そんなひどいこと言ったら怒るべきなのに、なぜ弟は許されるの……?

看護師さんはてきぱきと作業をしながら、たじろぐ僕らに目をやり、ハッキリ言った。
「すみませんが、お引き取り下さい」
失礼に感じた。実の弟が出血しているというのに、出ていけと言うなんて。それでもやっぱり母も祖母も弟を責めず、看護師さんに詫び、絞り出すような声で「宜しくお願いします」とだけ伝え、僕をかばうように部屋の外へ連れ出した。そりゃそうだ。僕らは、邪魔だ。何もできなかった。

まっすぐに伸びる廊下。後方から弟のわめき声が響き渡り、今にも逃げ出したかった。
――弟は悪魔に取りつかれたんだ。家族が泣いているのもテレビに映っていた。結局その時も、家族は見知らぬ女性に頼るしかなかった――

祖母は自販機で買ったジュースを僕にくれた。開けて飲んでみるが、甘ったるくて全然体が受け付けない。
いつもならそれは三本あって、兄が先にとり、残り二本から僕は好きな方を選べたのに、今は目の前に一本しかない。
こんなこと、一生続くのだろうか……

つづく

PROFILE

吉本 悠佑 POP-UPイケ麺バー主宰

京都在住『流しの料理人』 Pop-Upイケ麺バーを主宰し各地で手打ちの蕎麦や饂飩を出す傍ら、ライター、金継ぎなどをマルチにこなす。京都の割烹屋・全国の麺処で修業経験有。旅した国は世界40か国近く。大学卒業後、大手の人材会社・広告代理店での営業経験やドイツ在住経験も。gayデス。

FEATUREおすすめしたい記事

page top