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吉本 悠佑 MAR 04,2021

『弟よ。』(後編)


『弟よ。』(前編)

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弟の事故から一カ月経った頃。
家に母がいるようになると、今度は父がいなくなった。
警察とか役場とか裁判所とか、そういった硬いところに行っているらしかった。道路の作り直しを要求しているらしい。
帰ってくると父はいつも、自分が社会を変えてやるといわんばかりの大きな態度を見せてきた。今日は誰々に直訴してきたとか、あそこが金を出すべきだとか。せっかくの夕飯前。平和なにおいが漂う時間帯なのに、書類の入った封筒をバサッとテーブルに置く音を聞くだけで、食欲が十分失せた。

弟が轢かれたその道は僕の通学路でもあった。いつからか工事車両が集まるようになり、ほどなくして金属製の逆U字みたいな柵が三つ立った。
父はしてやったと言わんばかりに振舞っていたが、田舎の小道に小さな柵が三つできただけで、そんなすぐに社会が変わるわけがない。学校帰りに友人から「あそこだけずいぶん変わったね」と言われた時、僕はずいぶんとしらけた笑いを飛ばしていたと思う。

いろんな大人が家に謝りに来た。弟を轢いてしまったという人にも会った。泣いていた。
僕は「飛び出した弟が悪い」と決め付けていたし、この人も自分の車が大破し、いろんなことに巻き込まれて大変だなと思った。
一度だけ事故後の車の写真を見た時は衝撃だった。フロントガラスは割れ、ボンネットや屋根まで醜く凹んでいた。別の大人からは、弟の身体は車の上を転がりそのまま地面に叩きつけられたという話を聞いた。
これらの情報のかけら達が頭の中でつながるのには少し時間を要したし、それと同時に、僕自身の昔の事故(車にはねられ転んでケガをした)とは全く別次元のものだと悟っていった。

そうしている間に菓子折りばかりが家に増えていった。家族は減ったし、僕は甘い物がきらいだし、そもそも大食いの弟がいない。
ふと化粧箱を手に取ると、賞味期限が切れていた。

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植物となったらしい弟だったが、本当にもう死ぬことはなさそうだった。
見舞いに行ってもつまらなかった。そこはたいていめちゃくちゃだった。
男の看護師さんと取っ組み合いになっているような時もあったし、錯乱状態の後だったのか、紐で手足をベッドに縛られ眠っていた時もあった。部屋を徘徊する弟をただただ見守るだけの時もあった。
相変わらず濁点だらけのような声で発せられる汚い言葉。会話なんて成り立つはずもなく。

それでもお見舞らしい場面もあった。母が赤ん坊に食べ物をあげるように一口ずつ弟の口へ運び入れる時。うまく咀嚼しているなと思ったら、次の瞬間、それを床にペッと吐き出した。さすがに強い不快感がわき上がってきたが、つっ立っていることしか出来ない僕を顧みず、母は食事を続けた。
目も合わないし、合ってもこわいし、かと思ったら急に布団をかぶり寝たフリをされた時もあった。
正直「僕なんていなくていいのに……」と何度思ったことか。看病も何も、僕は弟が何を考えているかを考えるだけで、よっぽど疲れた。

そんなことより、このままでは僕が一番下に成り下がり続けることを想像するとぞっとした。
――兄と僕の二人になれば、僕は一番下になり、兄にいじめられ続ける。弟がいれば弟をいじめれば済むのに。テーブルに並んだ食べ物だって、僕が食べたくなくても大人達は「もっと食べな」と余り物をいつも一番下に差し出す。兄だってそうだ。自分が味見した皿を、そっと僕の前に移動させる。三男がいれば気付くとそれらは三男の前に集まり、食べ切り、大人達も満足し、僕だって食べ過ぎで気持ち悪くなることもない。それが円満だった。それが、これからは僕が実質的な末っ子になるなんて――

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大人達は『植物人間』と言ったが、弟は口から物を食べられているし、奇声ではあるが声を発している。それは『植物』じゃなく人間。
言葉だけでなく記憶も失ってしまったようで、家族の誰のことも認識できなくなっていた。でも例えば赤ん坊という人間だって元々はそういうもので、最初から言葉や記憶を持っていたりはしない。
母が絵本を読み聞かせたり、家族の写真を見せたりして、これは誰だとか、ここが家だとか、語りかけているのを見て、本当にそう思った。
弟は子供に戻っただけなんだ、と。

早くまた成長してきてほしかった。

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月日は流れ、あれから一年弱くらいかという秋の始まりだった。

夜、僕の部屋へノックと同時にバタバタと入室してきた母が焦って言った。
「今から病院に行ってくる! 記憶が戻ったかもしれないの……!」
そして明日のパン代として千円札を手渡された。

その頃の僕には、弟の記憶が戻るというより、これから記憶を作っていくという捉え方の方が正しいとさえ思っていたので、「戻る」とは一体なんのことか? 見当もつかず。とりあえずいい方向であればいいなといった程度だった。

そして父と母が出ていき、僕は風呂から上がりゆったりしていた時、家の電話が鳴った。
「もしもし」と出ると田舎に住んでいる祖母からだった。

僕の声を認識した後、祖母は焦ったような口調で話し出した。
「今日の夕方からね、うちのワンコちゃんがいないの。ほら、半年前にうちに来たあの子」

犬好きの祖母。先代のワンコが死んだことで、また新しい小型犬を飼い始めていた。祖母の家に遊びに行った時、僕も数回一緒に遊んだことがある。足の短いコーギー。まだ幼くやんちゃでよく動き回る子だった。
「そうなの? どこへ行ったの?」
「わからない。いつもどおり散歩から帰ってきた後、そのまま庭に放してあげて、夕飯をあげようと思ったらいないの。軒下とか、物置の中とか、隠れそうなところは何度も何度も探したんだけど、本当に見当たらないの。もしかして塀を越えたのかもしれないと思って家の近所も探したけどいないの。小さいからそんなことできないと思ってたけど……」
一人暮らしの祖母。その声は少し震えていた。実の娘である母がいまは病院に行っていて家に居ない旨を伝えると「あらそう……」と残念そうだったけど、僕と話したことでこころもち落ち着きを取り戻したようだった。
「今日はもう遅いから、明日また探してみる」
「そうした方がいいよ。もう暗いし。大丈夫、きっと見つかるよ。お腹が空いたら、また帰って来るって」
祖母が夜中にウロウロし、田んぼやどぶに落ちたりなんかしたら、それこそまた母の気苦労が増える。祖母も「そうね」と納得してくれ、最後に自分をもう一度落ち着かせるように、そして電話越しの僕にも聞こえるように唱えた。

「神様。どうか弟ちゃんと、あの子を、お助け下さい。お教え下さい……」

祖母は信仰熱心な人で、たまにそれが過ぎる時もあったけど、何かあるといつも手を合わせてはお祈りをしていた。僕にもそうしなさいとよく言っていたけど、そうした真似事をしておけば少なくとも祖母が安心してくれたので、いつもそうしていた。

思えばその夜にいろんなことが同時並行で進んでいた。それぞれが、それぞれの場面と向き合っていた――

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『だん゛ご、だべた、い……』
窓からのぞく満月を見て、弟がそうつぶやいたそうだ。

うちの家族は、特に父が行事ごとが大好きな人だったので、クリスマスには本物のもみの木を買って電飾をしたり、端午の節句には大きな兜の五月人形を飾ったり、お正月には子供達にも「お屠蘇を頂きなさい。練習だ」と言っては大きな塗りの酒器を回し飲みさせられたりした。

そして中秋の名月には月見団子を買ってきては縁側に飾り、母がススキを生け、みんなでもぐもぐと食べるのだった。曇りだろうが雨だろうが、そこには毎年、団子があった。

大きくなるにつれ、そんなことの一つ一つが恥ずかしく、面倒くさく感じ始めていた時期だった。
父は「やるぞ」という号令だけは勇ましいのに、いつも準備や片付けをするのは母や僕ら三人で、何より母が大変だったと思う。

食いしん坊の弟は、大きな月を眺め、その思い出が蘇ったらしい。
月だけじゃない。秋の空気感とか、夜の感じとか、虫の声とか――いろんなことが重なり合って、団子という最後のピースがやっとハマったのかもしれない。
何が真実かなんて医者にもわからなかったけど、それでも弟はそこからぐんぐん変わっていった。

既に小学生最後の秋を病室で迎えていたのに、さまざまなリハビリテーションやクラスメートにも助けられ、学校のご厚意もあり、なんと卒業式に無事出席することができたのだ。

それは弟の『生きたい』というパワーだった。
きっとその卒業式は、過去を取り戻す作業から脱し、これから新しい思い出を作るというれっきとした場になったと思う。

そしてあの夜から数日後、祖母の犬がおそらく路上で車に轢かれ息絶えた姿で発見されたことも、僕らの家族を駆け巡ったニュースだった。

「あんな小型犬が、なぜ……」
それは本当に不思議だった。塀の高さは当時中学生だった僕が外を覗けるくらいだったから、優に一メートルはあったと思う。ジャンプして出て行ってしまったのか。しかし庭先の段差さえ一生懸命に上る力しかまだなかったのを、僕だって見ていた。

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弟の記憶が帰ってきた日。そしてあの子が逝ってしまった日。
厳密にそれが何月何日だったかなんて、今となってはもう覚えていない。

弟が家に帰ってきた頃、両親は喜んでいたが僕はぎこちなかったように思う。一度はエイリアンのようになってしまった弟と、何をしゃべっていいのかわからなかった。悔しくも僕の方が日常へ戻ることに怯えていたように思う。
だけど、またテーブルにごちそうが並び、僕は好きなものを少量ずつ食べ、そして余ったものは弟が全部食べてくれた。

九死に一生を得た人でもしばらく生き続けていると、まるでそんな過去無かったかのように溶け込んでしまうけど、死んでしまったこととは、そこで終わってしまったということなので、むしろその方が人の心には刻まれる。僕の場合、それらがたまたま同時に起きたから、どちらかを思い出せば忘れかけていたもう片方も思い出す。それでいい。

弟よ。退院おめでとう。
そして、パパになったこともおめでとう。

~あとがき~
コロナ禍で重篤化したり亡くなったりしていく方々に目がいきがちですが、「弟」のように助かる人がいることも事実だと思います。いずれにせよそこにはいろんな人の支えがある。家族にしかできない支え。医療従事者にしかできない支え。友達にしかできない支え。そして最後は本人の生きる力。
「僕」はどこまでもわがままな人間ですが、人ひとりいなくなるだけでも困ってしまうことがあるということを重々理解しました。
今日も世界のどこかで同時並行的に、最期が訪れたり、そのきわでもう一度復活したりしている。それは人間だけでなく、動物も、植物も。

PROFILE

吉本 悠佑 POP-UPイケ麺バー主宰

京都在住『流しの料理人』 Pop-Upイケ麺バーを主宰し各地で手打ちの蕎麦や饂飩を出す傍ら、ライター、金継ぎなどをマルチにこなす。京都の割烹屋・全国の麺処で修業経験有。旅した国は世界40か国近く。大学卒業後、大手の人材会社・広告代理店での営業経験やドイツ在住経験も。gayデス。

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