自称『帰国子女』の言い分。
こんにちは、ヨシモトです。
第一回『#私の履歴書』で書いたように、僕は28歳で日本からドイツに移住と、いうか「家出」した。トータルで2年半程を過ごしたドイツ・ベルリン。

家ゼロ、語学ゼロ、仕事ゼロ、知り合いゼロからのスタート。つい7年前(28歳)の時の出来事なのに、今振り返っても当時はエネルギーがあったなと思う。日本に帰国して約2年。今思うことを、つらつらと。
「●語喋れるんですか?」という愚問

海外に住んでいたというと「語学留学ですか?」という安易な捉え方をよくされる。僕は答える。「英語も喋れます。ドイツ語も喋れます。なぜなら勉強したから。で?」と。
だいたいそういう質問をいきなりする人は、わー、すごーい、で話が終わる。僕も、あ、どうも、で終わる。続いての質問はだいたい「どうやって勉強したの?」
僕の渡独の目的は留学でもなんでもなく『自己の解放』であって、特にドイツ語に興味があったわけではない。本当に語学向上に興味があるならその道のプロに聞けばいい。
本当に語りたいことは他に山ほどある。
語学=生きる術

日本にはまだ「英語が喋れる=カッコイイ」なんて幻想抱いてる人が多い。喋りたきゃ学べばいいし、そのへんの外国人でもとっつかまえて一緒にビールでも飲みゃいい。言語なんてどこにでも転がってるのだ。
僕はドイツに移住したての頃はすることがなかったので、とりあえずドイツ語の語学学校に行ったけど、それは住むからには現地の人を「味方」につけたかったから。ベルリンという国際都市になるとヨーロッパ中や世界中からいろんな人が来ていて、中には何十年も住み着いていても「英語だけで通す人種」もいたが、僕はそうはなりたくなかった。どこかでベルリンを本当に愛していたし、来たからには「ベルリナー」(ベルリン人)になりたかった。
英語が国際語なのは周知の事実。だが、想像して欲しい。
①日本に何年も住んでいるのに英語しか話さない外国人
②日本に来たばかりでも拙いながらに日本語を一生懸命話す外国人
どちらの他人を助けたいかといったら、僕は②だ。住居に困っている。仕事に困っている。だったら・・・!と手を指し伸ばしたくなる。
だから僕もベルリンで自分が②になれるように努力した。
結果、僕はドイツ人だけのコミュニティにも呼ばれるようになった。周りはみんなドイツ人。僕だけが「ガイジン」という環境に自らを放り込んだ。最初はなんだこいつ?みたいな顔されたけど、僕が覚えたてのクソみたいなドイツ語を披露したら、みんなビール片手に僕と乾杯しようぜと寄ってきてくれた。彼らは、瓶ビールをオープナーなしで開ける方法や、夏に老若男女が裸で泳ぐ湖や、めちゃめちゃクールなクラブなど、ベルリンの楽しみ方を山ほど教えてくれた。
語学なんて学ばなくていい時代にあえて言葉の魔力を信じる

ポケトークやGoogle翻訳が登場し、これからその精度はどんどん上がるだろう。もはや語学なんて今後学ばなくていいとさえ思っている。僕のまわりでも語学へ時間やお金を投資をするぐらいなら、新しいビジネスモデルを作ることに費やすほうが合理的だと開き直っている人もいる。それはそれで賢い。
でも、自分の口から発する言葉にはやはり言霊が宿る。
外国人に「コンニチハ~」と言われるよりいきなり『おつかれさまです!』と体育会系に言われた方が、なんだこいつ!?という注目になる。
インドの雑踏でいきなり『ダッフンダ!』と言われた時には思わず吹いてしまった。その「ダッフンダの主」を目で追う。そこにはインド人の少年がいて僕に語りかける。一瞬でその少年に心を許してしまう。
僕は英語堪能なビジネスマンになるよりも、そのインド人少年のようにどんな奴が来ても「これ言っときゃウケる」みたいなギャグを世界どこに行っても飛ばせるような人材になりたい。マジで。
海外生活=生き方の勉強

僕は語学なんかより、自分の生き方の幅がどんどん広がっていくこと楽しかった。それこそ『自己の解放』だった。
例えば、日本のサラリーマンは基本副業禁止。「一足のわらじ」だけを履いている人にばかり会ってきたけど、ベルリンは「政治とアーティストの街」と言われており、大企業が少ない分(ドイツの大企業はミュンヘンなど西ドイツに多い)、アーティスト達がたくさん住み着いていただけあって、会う人会う人が今まで日本のサラリーマン時代には出逢ったことない人種だらけだった。
彼らたいてい『何足ものわらじ』を履いていた。
『僕はいまフリーでウェブデザイナーをやっているけど、日本に留学してたから国際メッセ(展示会)なんかで単発で日独通訳の仕事もしてるし、今は家具作りの勉強がしたくて家具の学校に行っているんだ。』
とか、
『歌手を目指してて、イタリアンレストランで働きながらたまにそこで歌わせてもらってる。でもそれだけでは食えないからネットの並行輸入で稼いでるし、ベビーシッターの仕事もしてる。』
とか。
これが20代の若者だけでなく、30代・40代・50代になっても、自分でメシを食うためなら手段を選ばないし、いま自分にできることはやるし、興味があることは学校に行って一からでも勉強する。(ドイツは日本より福祉国家なので、大学はタダだし、生涯教育が盛んで公立の各種スクールが充実していて、年齢関係なくタダもしくは格安で様々なことが学べる)
日本で、20代で社会に出てからその会社を辞めまた専門学校に行くとなると「何やってんの?」みたいな目で見られる。世知辛い。ちっちゃい。無視無視。
いくつになってもやりたいことがあればやればいい。それこそヨーロッパ人の醍醐味。
EUというトライアル

ヨーロッパは面白い。イメージとして「出来上がっている」「つまらない」と思う人も多いが、たしかに何か新しいことをやりたいビジネスマン達からすると、ヨーロッパはただの「成熟市場」と見えるかもしれない。
でも、ヨーロッパこそ人種のるつぼであるし、国を超えたEUという枠組みを世界で初めてスタートさせ、今でもいろいろな問題があるが「まず、いいと思ったことはやってみる」というトライアル精神はやはり見習うべきだと思う。個人的にはEUが将来崩壊してもどうでもいいが、今この、国境の概念をあえて薄れさせ平和な社会を実現させようとしている時代に、欧州に住めたことはとてもラッキーだと思う。
かたや、日中韓は未だに政治的には仲が悪いことで有名。お恥ずかしいことに、そのことはヨーロッパ人にもだいたいバレている。
ある日、ドイツ人に「日本と韓国で竹島を奪い合ってるらしいけど、なんで?」と聞かれ、「ええっと、領土問題とかさ、もっといえば資源問題とかあるから、どっちも譲れないのよ」みたいなこと言ったら『資源が欲しかったら二国間で共同開発して、取り分を分け合えばいいじゃないの?ドイツとポーランドの間で資源が見つかったらそうするけどな。』と言われ、ぐぅの音も出なかった。これこそまさにEU基準の考え方なのである。
日中韓(北・露)は国境を奪い合う点においては、未だに「戦後」なのである。
多言語・多民族・多宗教・多国家

■多言語になんとなく対応できる自分
ドイツに住んでいても、フランス人、イタリア人、スペイン人、トルコ人など様々な人が住んでいるので、そういう友達もたくさんできたし、そういう言語にもたくさん触れた。今では京都で外国人を見つけても、一見、白人でも会話を聞けば「あー、スペイン人だな」とか、「あー、聞いたことないけどロシア語っぽいし、顔つきからしてウクライナとかあっち系かな」とか大体わかる。当てずっぽうで「むーちょグラシアス!」とか言うと、やっぱスペイン人だったりしてニコニコしてくれる。嬉しい。
あとは英語以外の「第三言語」を持っていると、英語しかしゃべれない人が来たらその「第三言語」を使って彼らの前で悪口を言える特典もある。「あのアメリカ人すごいデブで、ほら、あのまずいソーセージ食ってるよ、クク。」などとドイツ人と悪口言い合ってた。
第三言語を持っていると楽しい
■他民族:「あなたはナニジン?」はもはや愚問
日本にいると「ナニジンですか?」という質問から始まるけど、それって本当に必要なのか、と今では思う。
だって、欧州に住んでいると、
『ええっと、父はドイツ人で母はユダヤ人だけど私はポーランドに生まれたからパスポートはポーランドなんだけど、父の仕事の関係でイギリスに長く住んでたからどちらかというと性格はイギリス人的かも。今はドイツとイスラエルを行ったり来たりしてるわ。まぁ父はドイツ人と言いながらドイツとイタリアのハーフだし、私の顔つきはイタリアっぽいかもね(笑)』
などと言われたら、もはや「ナニジン?」という概念が意味が無くなるわけで、そういう人が普通にいるのがヨーロッパ。
だから僕は質問を変えた。
「どこで生まれたの?」
「どこで育ったの?」
「どこの国のパスポートを持っているの?」
などとちゃんと聞くようにした。まぁでもそんな空港のインタビューみたいなこと普段からするわけではないし、聞いてもその人のハード情報として「へー」となるだけで、その人のソフト面が好きならそれでいい。
僕も「血筋は香川県なんだけど三重県で生まれ育ったからパスポートは三重県。でもドイツで自己を解放させたから性格はハーフジャーマン・ハーフジャパニーズかも。今は関西に住んでるけど、名古屋にも長く住んでたから、私の舌はハーフ関西・ハーフ名古屋かもね(笑)」とか言ってみたい。
やっていいこと・いけないことの線引き

僕はよく思う。
日本では「10の物事」があるうち、「違法的4」があったら(殺人してはいけません・窃盗してはいけません・大麻は吸ってはいけません等)、残りの「合法的6」は堂々としていいはずなのに、しないのが日本人。
例えば、電車で缶チューハイを飲んでいるおじさん。それで酔って暴れたら業務執行妨害とかで捕まると思うけど、仕事帰りに缶チューハイ飲むなんていいじゃないの・・・!と思うけど、どこか後ろめたそうにしていたりしていることが寂しくなる。おつかれさま、と僕は言いたい。でも酒臭いのは勘弁。
道端で酒を飲んでもいいし、休みを取らせてくださいと言えばいい。それをしない日本では、「合法的6」のうち、結局は「3」か「2」ぐらいしか堂々としてなくて、「10分の2」の人生って・・・とか思うと切なくなる。
逆に欧州人は「合法的6」はおもくそ楽しむし、なんなら「違法的4」をも変えようとしてしまう。
ベルリンでも、オランダのように「大麻合法化パレード」なんかがあり僕も行ったけどパーティーみたいで楽しかった(笑)
同性結婚だって、ドイツでも最初は「違法的4」だった。でも、市民の自発的な主張により「合法的6」に変わった。変わったからには、彼らは思いっきり結婚するし、気持ちいいくらい堂々としている。「アンチゲイ」な発言をしたら『あなたは間違っている!私たちは法で守られているのだから!裁判するわよ!』と主張する。頼もしい限りだ。
ということで今となっては僕は日本にいても「合法的6」はおもくそ楽しみたいと思っている。もう遠慮はしない。自分の人生は何人にも侵されるべきものではない。
これが僕が自称『帰国子女』として今でも実践している、ヨーロッパでの一番の収穫だったかもしれない。
