JAPAN MADE PROJECT × ひつじサミット尾州
工場を開き、心を開く。ものづくりの街・尾州が描く未来。
愛知県北西部から岐阜県にまたがる、世界有数の毛織物産地「尾州」。糸づくりから染色、織りまで、長い歴史の中で培われた職人たちの技術と、独自の分業体制によって日本の繊維産業を支えてきました。そんな尾州で2021年に始まった「ひつじサミット尾州」は、工場だけでなく企業同士の心も開き、産地の未来を考えるオープンファクトリーイベントです。今回、アーバンリサーチのJAPAN MADE PROJECTとの協働により、尾州の技術を生かした新たなアイテムが誕生。伴染工の伴 昌宗さん(以降、敬称略)、中隆毛織の木村将之さん(以降、敬称略)、アーバンリサーチの宮 啓明、谷水達哉の4名に、産地の魅力やものづくりへの思い、尾州のこれからについて話を伺いました。

世界有数の毛織物産地・尾州。歴史が育んだものづくりの文化。
まずは、尾州がどのような産地なのか。伴さんに話を聞きました。
伴 尾州は、特にウールを扱う技術が評価されている繊維産地で、世界三大毛織物産地のひとつとも言われています。地域として明確な行政区分があるわけではなく、愛知県の北西部から木曽川を挟んだ岐阜県側まで、広い一帯を尾州と呼んでいるんです。

木村 中心になるのは愛知県の一宮市と岐阜県の羽島市ですね。そこから津島市や江南市など、周辺にも産地の企業が広がっています。 繊維産地としての歴史は江戸時代にまで遡ります。ただし、当初からウールを扱っていたわけではありません。
伴 大きな転機になったのが1891年の濃尾地震です。震災でそれまでの繊維産業が大きな被害を受けたんですが、復興の中で、当時需要が高まっていたウールへと扱う素材を切り替えていったんです。木曽川の軟水がウール加工に適していて、良い風合いを出せるという地理的な条件も重なって、産地が発展していきました。
尾州のものづくりを語る上で欠かせないのが、細かく分かれた「分業制」です。
木村 もともと尾州は、小規模な家内制工業から発展した産地なんです。だから、糸を撚る人、染める人、織る人というように、それぞれの工程を専門にする人たちがいて、その分業体制が今も残っています。筬通しや糸を巻く作業だけを専門にされている方もいるんですよ。

伴 小さな工場が狭い地域に密集していたからこそ、糸や生地を次の工程へ運びやすかったというのもありますね。昔は街中にそういう家族経営の工場がたくさんあったんです。 そして、この分業制は意外なところで地域の文化にもつながっていました。
伴 一宮は喫茶店のモーニング文化でも知られていますが、その背景にも繊維産業が関係していると言われています。昔は家で機を織っていたので、工場の中は織機の音が大きくて商談ができない。だから、打ち合わせは喫茶店でするようになったんです。喫茶店が増えて、店同士のサービス競争からモーニング文化が発展したという話ですね。
宮 面白いですね。繊維産業が街の中心にあって、そこから別の文化も生まれていったということですよね。
こうした歴史の中で、尾州のものづくりは地域の暮らしや文化と深く結びついてきました。職人たちが培ってきた専門技術と、企業同士の分業によって支えられてきた産地。そのつながりを、これからの時代にどう生かしていくのか。そんな思いから生まれた取り組みが「ひつじサミット尾州」です。

工場を開くことは、作り手同士の心を開くこと。
ひつじサミット尾州が生まれたのは、2020年のコロナ禍。外出の機会が減り、アパレルの販売が落ち込む中、尾州の産地にも大きな影響が及んでいました。
伴 百貨店やショッピングセンターが営業できなくなって、服が売れない。尾州の産地にも閉塞感が漂っていました。そんな中で、当時30代だった後継者世代の3人が集まって、「これから産地として何ができるだろう」と考え始めたんです。実は最初の話し合いは、ジンギスカン屋さんだったんですよ(笑)。2020年の年末に集まって、何かやってみようという話になった。それが始まりでした。
2021年6月にプレ開催、同年10月に本開催を実施。以降、毎年10月に開催されているひつじサミット尾州ですが、最初からオープンファクトリーを目的としていたわけではなかったといいます。
伴 尾州は昔から、企業同士がライバルとして競い合ってきた産地なんです。需要が多く、産地が大きかった頃は、それぞれの会社が切磋琢磨することで競争力のある尾州の素材を大きなマーケットに供給することができていた。でも、需要が落ち込み産地の規模が小さくなっていく中では、個々の会社が出来ることに限界がみえてきた。これからは協力し合わないといけないと、みんな薄々感じていたんです。とはいえ、何十年もライバルだった会社同士が、急に手の内を見せ合って協力しましょうと言っても難しいですよね。だから、まず工場を開いてみようと。工場を開くことで、僕たち自身も心を開く。そこから産地の新しい未来が見えてくるんじゃないかと思ったんです。
工場を一般公開することは、あくまでもきっかけ。その先にあったのは、企業の垣根を越えて、産地の未来を一緒に考えられる関係をつくることでした。
伴 実際、木村くんの会社の名前は知っていても、どんなことをしているのかまでは知らなかったんです。後継ぎの若い人が入ったらしい、というくらいの関係で。でも、ひつじサミットを通して知り合って、今では産地の未来について一緒に話せる仲間になりました。大人になってから、こういう仲間ができるのって、なかなかないですよね。

その変化は、工場で働く職人たちにも表れました。
伴 それまで工場を見に来るのは、アパレル企業の方など、いわゆる視察が中心でした。ちゃんとものづくりができているかを確認されるような場なので、工場側としては必ずしも気持ちのいいものではなかったんです。最初に一般の人を工場へ入れると社員に話した時も、「毎日同じことをやっているだけなのに、見ても面白くないでしょう」と言われました。でも実際にやってみたら、若い人たちが職人の仕事を見て「すごい!」と声を上げてくれるんです。何十年も同じ作業を続けてきた職人たちが、自分の仕事をそんなふうに評価された経験は、ほとんどなかったと思います。自分たちの仕事に誇りを持つきっかけになった。それは経営者としても、すごく嬉しいことでした。
宮 僕も実際にいくつかの工場を見学させていただいたんですが、皆さんが工場を見せることに慣れていらっしゃるのが印象的でした。迎え入れる体制も素晴らしくて。全国のオープンファクトリーでも、工場を開くことで働く人の意識が変わり、自分の仕事に誇りを持つようになったという話を聞きますが、まさにそういう変化が尾州でも起きているんだと感じました。
伴 最初は工場の中も今ほどきれいではなかったんです。でも、見られることを意識するようになって、社員が自分たちで工場を整えるようになった。ほかの会社の工場を見に行って、「あれはうちでも取り入れたいね」と学び合うことも増えました。そういう文化が少しずつできてきたのも、ひつじサミットを始めて良かったことですね。
産地を支えてきた分業制。その強さと、失われつつあるもの。
一方で、尾州が抱える課題は決して小さくありません。
木村 やっぱり一番大きいのは、高齢化と後継者不足ですね。それに、日本の繊維産業、ファッション産業そのものの市場が縮小している。産地の売上も、それに合わせて少しずつ小さくなっているのが現状です。
伴 尾州の分業制は強みなんですが、同時に難しさもあります。ものづくりの工程が細かく分かれているので、その中のひとつがなくなるだけで、全体がうまく回らなくなることがあるんです。
さらに、ウールを中心とする産地ならではの課題も。
木村 どうしても秋冬物の生産時期に仕事が集中してしまうんです。ただ、最近はどの会社も夏物に力を入れるようになってきていて、以前ほど極端に売上が偏らなくなってきていると思います。

伴 温暖化も大きな課題ですね。暑くなることで、ウール離れにつながっている部分もあります。
宮 でも、ウールって本来は天然の機能素材なんですよね。冬は暖かいだけじゃなく、夏にも快適に着られる素材だということを、もっと伝えていきたいです。ファッション業界の中でも、まだウールは冬物というイメージが強いと思うので。
長い時間をかけて築かれた技術や分業体制を、これからどうつないでいくのか。その問いに対して、産地の内側だけでなく、外側から関わる人たちも増え始めています。
尾州の魅力を、服にして届ける。アーバンリサーチとの出会い。
アーバンリサーチとひつじサミット尾州の出会いは、2024年に大阪で開催された、全国のオープンファクトリー関係者が集まる会合でした。
宮 各地の産地が、それぞれの魅力や課題を発表する会があって、僕は企業側の立場で参加していました。最後に、連携したい産地へ企業が手を挙げる機会があったんです。アーバンリサーチとして、アパレル企業だからこそ繊維産地であるひつじサミット尾州さんを応援したいという思いがあって、手を挙げさせていただきました。
その後、アーバンリサーチのメンバーが尾州を訪問。名古屋の店舗では、ひつじサミット尾州の開催に合わせたプレイベントも実施しました。
谷水 毛糸を使ったアクセサリーづくりやタフティングなど、いろいろなワークショップを行いました。メーカーさんにも参加していただいて、尾州のものづくりに触れてもらう機会になったと思います。

宮 店舗スタッフも積極的に参加してくれましたし、僕たち自身も「尾州にはこんな企業があるんだ」と改めて知ることができました。普段の暮らしの中にあるものにも、尾州の技術が使われている。その発見がありましたね。
産地側にとっても、アーバンリサーチとの取り組みには期待がありました。
伴 僕たちも、一般の方に少しずつ知っていただけるようにはなってきました。でも、最終的にはものが売れなければ、産地として続いていかないんです。そのためには、産地のことを理解して、ちゃんと販売してくれる人が必要です。尾州のものづくりを知った上で、適正な価格でお客様に届けてもらう。そういう意味で、アーバンリサーチさんとの取り組みには大きな可能性を感じました。
そして今回、JAPAN MADE PROJECTとして、尾州の素材を生かした商品づくりが実現しました。
ゆっくり織るからこそ生まれる、尾州ツイードの表情。
今回のコレクションでは、ジャケットとパンツのセットアップ、そしてニットを展開。企画を担当した谷水が目指したのは、型数を増やすことではなく、尾州の素材の魅力が伝わる商品をつくることでした。


谷水 最初から、ファンシーヤーンやファンシーツイードを生かした、かっこいいアイテムを作りたいと思っていました。たくさんの型や色を展開するより、2~3型くらいに絞って、尾州の素材の良さをしっかり見せたかったんです。色も黒やグレーを中心にして、モノトーンだけど存在感があるものにしたいなと。ジャケットは、JAPAN MADE PROJECTのシグネチャーとして考えているノーカラーのデザインにしています。
商品づくりの中では、素材とデザインの相性を見ながら、何度も調整が重ねられました。
谷水 最初はセットアップにもファンシーヤーンを使おうとしていたんですが、加工の工程で糸の表情が潰れてしまうことが分かって。それならセットアップは尾州ツイードにしようと変更しました。ニットの方には、ファンシーヤーンの表情を生かしています。

セットアップに採用された尾州ツイードを提案したのが、木村さんです。
木村 尾州のツイードといえば、昔ながらの「ションヘル織機」があるんです。ガッシャン、ガッシャンと、ゆっくり低速で織っていく織機ですね。今回ツイードを作りたいというお話だったので、その織機で作った生地のサンプルをお持ちしました。
宮 実際にその生地を織っている工場にも伺ったんですが、昔ながらの工場で、年配の職人さんが一つひとつ丁寧に作ってくださっているんです。そういう現場から、この温かみのある商品が生まれている。それはJAPAN MADE PROJECTとして、ぜひ伝えたい部分だと思いました。
ションヘル織機を使ったものづくりには、長年受け継がれてきた産地の知恵が詰まっています。

木村 低速でゆっくり織ることで、糸が持っている膨らみや、空気を含んだような軽さを残せるんです。今回はもともと柔らかく膨らみのある紡毛糸を使っているので、織機との相性もいい。だからツイードなのに軽くて柔らかい風合いになるんです。色も単純な真っ黒ではなくて、黒やグレーが混ざり合うことで奥行きのある表情になっています。
工場の建物にも、尾州の歴史が残っています。
木村 昔の機屋さんには、のこぎりの形をした屋根が多いんです。北側に窓があって、そこから入る自然光が織機に当たるようになっている。黒や紺などの微妙な色の違いを見分けるには、自然光が大事だったんです。そういう工場で、今もションヘル織機を動かしている職人さんがいる。でも、そういう風景自体が少なくなってきています。

伴 今回のように、お客様の要望に合わせていろいろな素材を提案できるのも、尾州の強みだと思います。品質の高さだけではなく、提案の幅やクリエイティビティがある。木村くんも、もし違うものを作りたいと言われていたら、全然違う素材を提案していたと思いますよ。
木村 そうですね。例えばTシャツを作りたいと言われたら、また全然違うものを提案していたと思います。それも尾州でできるんです。
一着の服から、作り手の顔が見えるものづくりへ。
今回の協働を通して、4人が共通して感じているのは、商品だけでなく、その背景にある作り手の存在を伝えることの大切さです。
伴 これまでは「尾州産地」という括りで見られることが多かったと思うんですが、今回の取り組みでは、そこからもう一歩踏み込んで、実際に作っている人や企業に光を当ててもらえる。野菜でいう、生産者の顔が見えるということに近いかもしれません。「尾州」という言葉だけでなく、作り手のことまでお客様に知ってもらえる機会になると思っています。
木村 僕は今回、すごく新鮮な気持ちでものづくりができたんです。JAPAN MADE PROJECTの考え方が、僕たちのひつじサミットの思いと近かったからだと思います。単に仕事として商品を作るのではなく、産地のことを一緒に考えながら作る。そういう取り組みが、尾州のほかの企業にも、日本全国の産地にも広がっていったら面白いですよね。

宮 僕たちも今回だけで終わらせず、もっといろいろな産地の方と関わっていきたいです。JAPAN MADE PROJECTだけでなく、アーバンリサーチのほかのブランドにも尾州の素材を知ってもらって、一緒に産地へ行ってもらう。そうやって関わる人が増えていけば、できることも広がっていくと思います。
服を作ることは、産地と関わる入口のひとつ。その先にある継続的な関係こそ、今回の協働が目指すものなのかもしれません。
10年後、尾州が「自分たちの街」として誇れる場所であるために。
最後に、10年後の尾州がどんな産地になっていてほしいかを聞きました。
木村 最近、ひつじサミットでタウンミーティングを開催したんです。僕たち繊維産業に関わる人だけじゃなくて、一般の市民の方にも参加してもらって、10年後の尾州について一緒に考えました。その中で感じたのは、街の人たち自身が『尾州は繊維の街なんだ』と誇りを持って、自分たちの言葉で語れるようになることが大切なんじゃないかということです。工場が近くにあっても、何を作っているか知らない人はたくさんいます。でも、知ることで街への見方が変わる。そういうシビックプライドが育っていけば、産地の未来も明るくなるんじゃないかなと思っています。
伴 日本の地場産業って、どうしても「昔は栄えていた」という過去形で語られることが多いんです。でも、僕たちの世代は、その一番良かった時代をあまり知らない。だからこそ、過去の栄光を取り戻そうとするのではなく、これからの新しい産地の形を考えたいんです。産地の規模はこれからも小さくなっていくかもしれない。でも、その中で「ここで働きたい」と思う人や、『尾州のものを買いたい』と思う人、自分たちの街に誇りを持つ人を増やしていきたい。そういう未来を一緒に考えられる仲間の集まりが、ひつじサミットなんだと思います。
宮 僕たちは尾州の外にいる立場ですが、だからこそできることもあると思っています。地域の皆さんが持っている熱量を、別の場所へ伝えていく。今回のように一緒に商品を作ることで、「こんな会社があるんだ」「尾州でこんなことをやっているんだ」と知ってもらえる。そうやって次につながる種をまくような存在に、僕たちもなれたらいいですね。
そして伴さんは、工場を訪れた人たちにいつも伝えている言葉を教えてくれました。
伴 服って、たくさんの人の手が関わってできているんです。機械だけじゃなくて、職人の手の感覚や目の感覚、長年の経験が詰まっている。工場を見てもらうと、そのことが伝わると思うんです。だから僕は、見学に来た人たちに『尾州のウールの服を買ってください』とは言わないんです。今着ている服でも、これから買う服でもいいから、大切に長く着てくださいね、と伝えています。一枚の服の向こう側には、たくさんの人がいる。そのことを知ってもらうだけでも、ものを大切にする気持ちにつながると思うんです。
工場を開くことから始まったひつじサミット尾州。そこから生まれたのは、職人の誇りであり、企業同士のつながりであり、産地の未来をともに考える仲間でした。そして今回、アーバンリサーチとのものづくりを通して、その思いが一着の服となって、産地の外へと届けられようとしています。服を手に取ることが、その生地を作った人を知るきっかけになる。作り手を知ることが、尾州という街に興味を持つきっかけになる。
工場を開き、心を開き、産地の未来を開いていく。
尾州の新しいものづくりは、そんな人と人とのつながりの中から、これからも続いていくのでしょう。
Text/Nao Takamatsu