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CULTURE TRIP SEP 25,2019

【いつかの暮らし彼方の暮らし 奄美大島】奄美移住3 望む未来を島に見て。赤木家

仕事で訪れた奄美大島に惹かれ、10年の準備期間を経ていざ移住へ。大自然、子供達の良い教育環境、そして渋滞も満員電車もない。何より島の人々の暮らしに惹かれたという夫婦に会いに行く。


真夏の太陽をやんわりと遮るような大きな葉っぱ。
都内ではもう珍しい、土の道がなんだか懐かしい。

海の方をふと見れば、時折飛行機が飛んでいく。

この奄美空港からほど近い笠利地区の集落に住まいを移したのは赤木タケルさん、久恵さん、そしてお子さん二人の4人家族。

お二人とも神奈川県出身で、奄美に来る前までは東京で暮らしていた。現在は奄美大島で「IRON CRAFT カタン」という会社を立ち上げている。

映画や博物館などの金属専門の大道具を作る会社に勤めていたタケルさんは現在は金属造形作家として活動。コマーシャルの小道具や美術のデザインを手がけていた久恵さんは現在カタンのグラフィック部としてイラストレーターや看板デザインなどの仕事のほか、打田原というエリアにある貸別荘「Amami Beach House」の管理のお仕事もしているそう。

島で暮らす人々のライフスタイルに、自分が望む未来を見た

最初に奄美大島に足を運んだのは久恵さんだったそうだ。

「20年ほど前ですが、この近くにある“奄美パーク”に博物館模型を納品したことがきっかけです。その時にあまりにもいいところだったので当時お付き合いしていた夫を旅行に誘いました」

奄美大島に惹かれた理由を聞くと
「今でこそ観光地化も進んでいますが、20年前は本当に観光地的なものは何もなかったんです。
その“何もない”ことを楽しめるところというのがいいな、と」。

そして久恵さんに誘われて奄美に来たタケルさん。

「僕は土地柄よりも住んでいる人やその生き方、生活スタイルに惹かれました。東京にいて、自分の行く末を考えた時にこちらの方がお手本になる人が多いなあと。じゃあこっちに来てみようかと思ったんです。ここにはものづくりをして生きている人が多かった。陶芸やステンドグラスの作家、大工などここで個人の力で生きている人が本当に多い。もちろん農家さんだってそうだし。企業に勤めて、毎朝電車に揺られて会社に通う。その繰り返しの一生涯は僕には無理だな、と思っていましたし」

島の風景や人々の暮らしに、自分たちの「いつかの暮らし」を見出したお二人。とはいえ東京でも活躍されていた中で最終的に”移住”に至るまでのきっかけはなんだったのだろうか。

「友人の両親がこちらで手作りのカフェを経営されていたりと知り合いも多かったんです。“手に職があるなら住めるよ〜。おいでよ〜”なんて言われて二人ともその気になっちゃいました」(久恵さん)

もちろんその言葉をかけられて“即移住”をしたわけではない。“おいでよ”と言われてから完全移住、つまり住民票を奄美大島に移すまでは約10年。
その間になんども奄美に遊びに来て、たくさんの友達と出会い、そしてそのツテで格安で借りられる家に出会う。

「島内で大きめので仕事が入り、どこに泊まろうかなあと声をかけたら“空き家があるから聞いてあげるよ”と紹介してもらったのがここなんです」(タケルさん)

「仕事にも良い場所だし、年に2、3回は奄美大島に来ていたのでホテル代を考えたら(移住するまでは)別荘として借りちゃってもいいよねって」(久恵さん)

この家を借りたのはおよそ12年前。完全移住してからは約7年。つまり最初の数年は東京と奄美大島の2箇所を行ったり来たり。上のお子さんが保育園に入るタイミングで東京の家を引き払ったそう。

気になっていた、引越し費用についても聞いてみた。

「奄美大島への引越し代金は数社に見積もりをお願いしたり、ネットで調べたりもしました。うちは仕事道具が多いので、東京の業者さんからは50万くらいかかると言われました。ですが実際は島の業者さんに頼んだので3割以上安くなりましたよ。(住民登録など)書類系はどこも変わりませんが、法人登録は少し時間がかかりましたね」(久恵さん)

移住してよかったこと

お二人には事前にアンケートを送っていたのですが「移住してよかったことは?」という設問に素敵な返答がありました。

渋滞がない、通勤ラッシュがない、食材の鮮度が良い、家族で過ごす時間がたっぷり、というなんとも羨ましいコメントの中で、特に目を引いたのが…。

「子供が海の絵を描くときに、砂浜を当たり前のように肌色に塗るんです。私たちの固定観念にあるグレーじゃない」(久恵さん)

ああ、確かにお二人の出身地である神奈川県湘南や、東京にすむわたしが気軽に行ける範囲の海の砂は白っちゃけたグレーだ。波や、雨に触れれば黒ずんだ灰色になる。

「前に主人と娘で海の絵を描いていて、主人は砂をグレーに、娘は肌色(サンドベージュ)に塗って、“なんでパパはこんな汚い色で塗るの?”なんて言われていました(笑)」(久恵さん)

もちろん本州の海の砂は主に岩が砕かれたもの、沖縄や奄美の砂はサンゴや貝殻が砕かれたもの、という材質の違いはあるけれど、それでもやはり青い海の透明さを引き立たせるのは白い砂浜だし、それが当たり前に感じる子供達の感覚がとても羨ましい。

なんでもこの辺りでは保育園の砂場も、公園の砂場も白いそうだ。なんならホームセンターで売っているコンクリに混ぜる砂すらも白い色なんだとか。

移住生活で大変なこと

2話で登場いただいたとよひかり珈琲店の朱美さんも言っていたけれど奄美大島の集落暮らしは「とにかく行事が多い」。それはタケルさん、久恵さんも声をそろえて言う。

「バレーや駅伝、相撲、運動会、舟漕ぎ…とにかく運動行事は多いですね。運動会は子供がいる、いないに関わらず集落の人全員が参加します。この辺りには4つの集落があるのですが、大人は年代別、集落対抗で種目を行います。二人三脚や輪投げ、ドリブル対抗などなど。大トリは“全世代リレー”! 小学生からスタートして、最後は50〜60代まで足の早い人はみんな走るんです」(久恵さん)

一瞬、お話を聞いている限りは楽しそうだなあ〜とのんきに思ってしまったけれど、運動行事は練習しないと怪我をする。だから行事の前には練習会もあるんだそうだ。

「舟漕ぎなど各行事には練習して、栄養会という名のご飯会・飲み会をして、本番があって、反省会もあるんです(笑)」(タケルさん)

ちなみにこの取材の後も、タケルさんは舟漕ぎの練習に行くんだとか。
他にも集落ごとのお祭りごと、敬老会に種下ろしなど文化行事も多い。

「集落行事の役員や、婦人会役員、保育園役員、PTA役員、習い事サークルの役員、地域ボランティアスタッフなど夫婦で何個も役員を掛け持ちしています」(久恵さん)

奄美大島らしい困り事といえば、常に潮風にさらされる島内では車や電化製品やゴム製品の劣化が早いんだとか。そういえば海から少しだけ離れている名瀬市内でも、時々新しそうなのに錆びが目立ち始めた自転車を見かけた。

他、地元産のものは安いけれどその他の食品(米、牛乳など)やガソリン、建材などが高価だったり入手できないことも。
運搬料が高いので、通販は場合によってはダンボール1つで5000円オーバーの送料がかかることもあるそうだ。

だけれど今回取材したみなさんが口を揃えて、「Amazon」、正確に言えば送料無料の「Amazon プライム(月、及び年会費が必要)」のおかげで、昔に比べればかなり手に入れられるものは増えた、と言っていたのが印象的。

「注文してから4日くらいかかることもありますが、それでもAmazonプライム商品は送料が無料なのはありがたい!」

基本Amazonプライム会員は送料無料、翌日配達がウリだけれど、さすがに離島ではもう少し到着までに日数がかかるとか。それでもこの新しい時代に生まれた流通は離島の生活を豊かにし、またそれにより「島など遠方への移住」の幅を広げてくれたのは確か。

さて、お二人のここでの暮らしはどんな感じなのだろう。

笠利暮らしの時間割

<平日>

6時半起床
タケルさん:9時までに子供を学校と保育所に。自宅併設の工房にて製作。
久恵さん:自宅で作業または、打田原の貸別荘で清掃やセッティング

12時
タケルさん:自炊にて昼飯。
久恵さん:夫と昼食または打田原でお弁当。

午後、ともに作業時間

18時
タケルさん:子供帰宅。子供と遊びながら、夕飯、お風呂。
久恵さん:17時半に学童と保育所にお迎えに行く。

21時半
タケルさん:子供と妻、就寝。自分は23時頃まで映画などを観ながら、次の仕事のデザインスケッチなど、デスクワーク
久恵さん:「いや、たまには寝ちゃうけど、洗濯したり家の雑務してるよー!」あとは寝てる子供の隣でFacebookなどをチェック。

<休日>

タケルさん:軽トラに荷物積んで、近所の浜で子供とシュノーケリング。
そのまま、浜で火を焚いて、肉を焼きながら昼食。
午後も泳いだり、砂遊びしながら、貝拾いとか。
あとはツリーハウス作って遊んだり。基本は子供の遊び相手です。

久恵さん:貸別荘の仕事がある日は、主人に子供をまかせて掃除にいくこともあります。
海に行かない日は、市内に買い物や、子供と公園、友達の家に行ったり、地元のイベントに行ったり、とにかく子供とたっぷりすごします。

タケルさん:夜は近所の爺や友人の家にお呼ばれして、宴会とか。
もちろん、逆に自宅で宴会も有り。(飲食店が少ないので、必然的に家飲みが多い)
久恵さん:以前は平日の飲み会も多かったですが、子供が小学生になってからは、週末に集中するようになりました。

(事前アンケートより)

うらやましいほどに海も山も近い奄美大島の子供達。赤木家の子供達も海は大好きだそうです。(赤木さん撮影)
泳ぐだけでなくBBQやキャンプなど様々な海遊びを楽しむ。(赤木さん撮影)
庭の秘密基地。大きな木があればそこも本気の遊び場になる(赤木さん撮影)

基本的に“通勤時間0”のお二人には、例えば都会で共働きをする夫婦に比べて時間的余裕があるのがわかる。

海も山もそばにある奄美大島なので、レジャーに出かけるまでの時間も距離も短い。“わざわざ”どこかに出かけなくても目の前の海で海水浴から浜でのBBQ、キャンプなど幅広い遊び方もできる。

「子育ては本当にしやすいです。この辺りは待機児童問題もなくて途中入所ができたり、小学校も児童35人に対して教職員9人という贅沢な教育環境なんですよ。家での生活も、主人も6時に仕事が終わって徒歩0秒で帰ってきてくれるのでお風呂から遊び、寝かしつけまでなんでもやってくれます。ありがたいです」という久恵さんに、ボソッと「そのうち(家から)離れたところに作業場が欲しいなぁ(笑)」と冗談を呟くタケルさん。

上のお子さんが1歳半の時に移住してきているので、子供は二人ともすっかり島の子らしく育っているそうだ。

「年に1回くらいは関東の実家に帰省するんですが、やっぱり東京に行くのは楽しみみたいです。ディズニーランドもあるし、おもちゃも買えるし(笑)。一度冬にスキー場に連れて行ったら雪を見て大はしゃぎしていましたね。でも東京に行きたいとはいうけど、住みたいとは言わないんです」(久恵さん)

タケルさんも年に1回1ヶ月ほど東京で仕事をしている。

「島の収入だけでなく、やはり出稼ぎ仕事があるとありがたい。それに…息抜きにもなるし(笑)」

「その間は子供の世話も奥さんの愚痴も聞かなくていいしね(笑)。すきなテレビ番組も見られるしねぇ」と久恵さんに突っ込まれていました。

古民家暮らしのリアル

せっかくなので“古民家暮らし”についても聞いて見た。
お二人が借りているこの家は、引越ししてからかなり手直しをしたり増築したりしている。

家の周りは防風林や南国らしい草木が生い茂り、玄関の横には縁側デッキ。家の横にはタケルさんのアトリエ・作業部屋がある。

「奄美大島の家は、台風ですぐ壊れて、そしてすぐ直せるようになっているんです。材料も島で手に入りやすいものを使っているし。それと夏過ごしやすいように南向きにひらけるようになっていたり」

昔ながらの奄美大島の家は、台風、そして夏の猛暑などの“自然”に対応する工夫がある。風の向きに合わせて建てられるから、どのお家も間取りはおおよそ同じなんだそうだ。

タケルさんのアトリエ兼作業場。様々な工具が置いてあった。この部屋も全て手作り!

「ただうちは南側に作業場を作ったので、風が入らずに夏は暑いです(笑)」(タケルさん)

“駐車場が一番涼しい場所”と聞いたのであとで行ってみたら、確かにそこは風の通り道。この場所は海も近いので防風林も厚めにしておかないと「あっという間に屋根が飛んじゃう」そうだ。

“空き家”を借りたので、補修や手入れば全て自分たちで行なったそう。
金属加工の道具もあるし、図面も引けるタケルさんだけれど、修理の仕方などは近所の人の大工仕事のお手伝いを頼まれるうちに覚えたそうだ。

「島ではいろんなお手伝いを頼まれます。大工の手伝いも多いですね。専門分野とは違うけれど少しずつ覚えました。ここではそうやっていろんな仕事が自分たちでできるようにならないといけないんです」

他にも雨漏りをしては直したり、屋根裏にはネズミが運動会をしていたり。畳も痛んでいたのでフローリングに張り替えたり。

そして虫ももちろんたくさんいる。ある意味“古民家あるある”。当たり前だけれど古民家に住みたいと考える人は色々と大変なことがあることは念頭におかないといけない。

「虫が嫌いな人は住めないです(笑)。ただ、ゴキブリはヤモリが食べてくれるので家の中にはいないんですよ」(久恵さん)

それと案外寒い奄美大島の冬。断熱材の入っていない古民家は外より家の中が寒いなんてこともあるそうだ。こたつがある家も多く、赤木家でも冬の夜はストーブをたく。

「それでも冬でもマフラーやニット帽はいらないくらいだし、冬季は夏に生い茂った庭の植物がちょっとすっきりしてきます。そしてまた春になると黄緑色の新芽が一斉に芽吹いてくるんです」

寒さ、暑さも含めて四季の移ろいを直に味わえるのは庭付きの古民家ならでは。“自然と向き合う”ことのできる奄美大島で暮らす、それはある意味ご褒美でもあるのかもしれない。

ちょうど取材が終わった頃、二人の子供達が帰ってきた。
上のお姉ちゃんが真っ先に向かったのは、庭のガジュマルの木にぶら下げた大きなブランコ。

古民家の、ちょっと不便な生活も子供達にとっては生まれた時からある当たり前の生活。大きくなってそれぞれどこかへ飛び立つ時が来るかもしれないけれどきっとここでの生活の不便を超えた豊かさは彼女達にしっかり受け継がれていくのだろう。

最後にお二人から「移住を考えている」人に向けて厳しくも温かいアドバイスをいただいた。

「移住というか“引越し”として考えればハードルは下がると思う。
ただし、離島への移住に関して言えば、 僕ら移住者は、(生き物に例えれば)島にとっては外来種。長く住みたいと思うのならば、生活スタイル、地域との付き合い、貢献度、自分の仕事、健康、家族などのは島の流儀に合わせるしかないです」(タケルさん)

「就職先を見つけて会社につとめる」という固定概念を持ったままだと、島への一歩は難しいかもしれません。まずは数ヶ月は無職でもいいから住んでみる、という余裕を持ってくると、家も仕事もうまくみつかると思います。不動産サイトと就職サイト見てたって、わくわくはあまり見つからないです。
あとは、物理的に実家から離れるという覚悟はやっぱり必要です。子供が熱を出しても預けられる先はありません。親が倒れたりしたとき、地続きなら徹夜で車を走らせれば、どんなにかかっても翌朝には会いに行けますが、ここは飛行機が満席なら、延々と足止めです。
里帰りにはお金がとってもかかります。でも賃金はやっぱり都会よりは低いので、なかなか里帰りができなくなります。両親や同居してくれている兄たちには申し訳ない気持ちもあります」(久恵さん)

“いつかの暮らし、彼方の暮らし”のために

今回は市役所の方々に移住についてお聞きしたり、実際に移住した3組の方に会いに行ったけれど「好きなこと」「やりたいこと」「得意なこと」があると「好きな場所」で生きていける。そんなことを感じた。

簡単で、当たり前のように聞こえるかもしれないけれど、案外その二つは両立は難しい。
好きなことや仕事のためにある人は通勤時間を長くして安い場所に、ある人は利便性を優先して高い家賃にすむ。都会的な生活も好きだけど自然も好き、という人は休日ごとにお金や時間をかけて自然のある場所まで出向かないといけない。住みたい場所はあるけれど仕事をどうしようと悩む人もいる。また、「やりたいこと」がなければそもそも「住みたい場所」も見つからないし、逆もまたしかり。つまりは住むところ=生きていくところと意識して生活する人は多くはない。

好きな場所に生きるか、好きなことをするか。はたまたその両方を手に入れるか。「多様性の時代」はその幅を確かに広げてくれている。なら、必要なのは自分にとっての“いつかの暮らし”のビジョン。
もしそのビジョンの中に“自然と共に暮らす”ことが入っているならぜひ1度奄美大島を訪れ、暮らすように旅してみてください。
きっと夢や憧れが、少しづつ形になるヒントに出会えるはず。
そして島を訪れたら元気よく「うがみしょーらん!(こんにちは)」。その一言から始めてみましょう。

株式会社カタン
〒894-0503 鹿児島県奄美市笠利町和野23
TEL : 0997-63-0533
Facebook:https://www.facebook.com/株式会社カタン-224405157620902/
Blog : https://kohsaku.exblog.jp

PROFILE

大辻 隆広Photographer

福井県出身。
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石黒幸誠氏を師事後、2007年独立。
現在は、雑誌や広告だけでなく、写真展やプロダクトの製作など、ブランドや企業とのコラボレーションも度々発信している。

松尾 彩Columnist

フリーランスのエディターとしてファッションからアウトドアまで幅広い雑誌・ムック・カタログなどで活動。現在はコラムニストとして主に旅紀行を執筆。小学館kufuraにて旅エッセイ「ドアを開けたら、旅が始まる」連載中

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