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CULTURE TRIP MAR 08,2021

<東北の今①>東北で生きるということ。
さかなデザイン安達日向子さんの場合。

2021年は、東日本大震災から丸10年。株式会社アーバンリサーチでは、震災直後から、様々な形で東北の方々と関わってきました。
この節目となる年を迎えるにあたり、被災地として復興に向き合ってきた東北の「今」を全4回に分けてお届けしたいと思います。


株式会社アーバンリサーチ(以下、UR社)が「地域活性化」をメインタスクとして、日本各地の企業やクリエイター、ローカルコミュニティとともにその土地の魅力を再考・発信していく「JAPAN MADE PROJECT」。2015年よりこのプロジェクトに携わってくださっているのが、宮城県石巻市を拠点に構える若手漁師集団「FISHERMAN JAPAN」です。
UR社では、FISHERMAN JAPANとともに、漁師さんたちのワークウェアを開発するなど、石巻とのご縁をこれまで育んできました。

左から、SEA PARKA ¥24,000、UR×FJ サロペットパンツ ¥8,000 (各税込)

初回は、「FISHERMAN JAPAN」のアートディレクターとして活動しながら、デザイン会社「さかなデザイン」の代表も務める安達日向子さんに、石巻での暮らしについて聞きました。

千葉県出身の彼女が、石巻に、海に、魅了された理由とは? そして、この土地での経験はどのようにしてクリエイティビティに生きているのでしょうか。

震災後ボランティアで、母の出身地である石巻へ

宮城県石巻市出身の母と、福島県猪苗代町出身の父を持つ安達さん。東北は両親の出身地ということもあり、もともと縁がありました。3.11のあの日、真っ先に思い浮かんだのは、東北に住む祖父母や近しい親戚の顔です。

「なかなか連絡がつかなくて、みんなの安否確認には1ヶ月以上かかりました。石巻の沿岸にあったおばさんの家は流されてしまったものの、私の知っている親戚のみなさんがなんとか無事だとわかったときは安堵しました」

当時通っていた武蔵野美術大学で、3年生になる春休み。親戚の家の片付けを手伝うために石巻へ訪れると、傾いた家や、人々の行き場のないあらゆる感情を目の当たりに。「これは私も何かやらなくては」と直感し、ボランティアとして東北の沿岸部へ通うようになります。

「大学では、さまざまな社会問題をデザインの力でどう解決できるかを考える、『ソーシャルイノベーション』の授業を受けていたんです。机上の空論かもしれないですが、世界中の事例を集めたら、震災の復興に役立つことがあるのではないかと思っていました」

とはいえ、まずは現場で手を動かす必要があります。現場で泥かきや瓦礫の撤去などをしていくうちに出会ったのは、震災ですべてのものが流された人たちでした。

「結婚式の写真、好きな人とのデートの写真、父の日に子どもからもらった手紙……。その人にしか価値がない、でも、お金では買えない宝物を失ってしまった人たちに会うなかで、美大生の私にできることを考えるようになりました」

そこで、流されてしまった“宝物”についてのお話しを聞き、一枚の絵にしてプレゼントする「思い絵プロジェクト」を立ち上げます。安達さん自身はもちろん、美大生の友人らに協力して描いてもらうこともありました。

こうしたプロジェクトを通して石巻へ足を運ぶうちに、かつての母の同級生を紹介される場面も。

「石巻でバーを営んでいるアキラさんという方なんですが、中学のとき母とも交流があったらしくて。私が思い出の話を聞いて、仲のいい友達に『思い絵』を描いてもらったんです。アキラさんは今でもその絵を大切に飾ってくれています」

このアキラさん、じつはFISHERMAN JAPAN × URBAN RESEARCHコラボのJAPAN MADE PROJECT “TOHOKU” 第6弾のPR動画にもご登場いただいています。震災後の復興ボランティアから続く交流が、こうして現在にも生きているのです。

「誰のための広告なんだろう」

2013年の3月に大学を卒業した安達さんですが、新卒のタイミングで就職活動はせず、東京を拠点にフリーデザイナーとして社会人生活のスタートを切ります。

東京の広告制作などを受注するようになりますが、ある疑問が湧いてきました。

「東北でボランティアやプロジェクトをしたときには、目の前に受け手がいました。『あの“思い絵”の子だね』と声をかけてくれたり、絵を大事にとっておいてくれたりと、目の前の人が喜んでくれている実感があったんです。

美大生だと、絵が描けるのはなんてことないんですけど、『こういうプリミティブなことで喜んでもらえるんだ』、『デザインで何かできるんだ』と希望を持てたんです。でも、東京での仕事は目の前に受け手がいないので、『これはいったい誰のための広告なんだろう』と考えるようになっていきました」

その思いは日に日につのっていき、フリーになって数ヶ月後の11月には、「えいやっ」と石巻に飛び込んだといいます。それは、石巻が「デザインの力が必要」というフェーズに入っていて、安達さんが役に立てることがあるのではないかと感じたからでした。

「震災から2年半後に飛び込むと、みんな震災を機に立ち上げたプロジェクトをビジネス化していたんです。『石巻工房』や『ISHINOMAKI 2.0』など、かっこいいビジネスがたくさんありました」

人生を決めた、漁場での体験

2014年、FISHERMAN JAPANが立ち上がったときのことを鮮明に覚えている、と安達さんは振り返ります。

「一次産業で、漁師で、こんなにかっこいい活動をはじめたチームがいるんだ! と感動しました。私は当時、空き家になっている物件をシェアハウスにするプロジェクトに携わっていたのですが、FISHERMAN JAPANが企画した『TRITON PROJECT』で、地域外からきてくれた漁師志望者に住んでもらうシェアハウスづくりのお手伝いをしました。そのことをきっかけに彼らとの縁ができていきました」

一緒に活動していたある日、「漁船に乗らない?」と声をかけられます。安達さんは、初めて漁船に乗せてもらったときの日付まで覚えていました。

「忘れもしない、2015年の5月28日、定置網漁船に乗せてもらいました。漁船に乗るのも、海で漁師さんに会うのも初めてだったんですが、漁師さんたちがとにかくかっこよくて。船で漁場に向かっていくとき誰も喋らないし、船が揺れても微動だにしなくて、仕事人の目つきをしていました。いざ漁場に着くと、みんな声をかけ合うことなく、フォーメーションが決まってるみたいに動きはじめるんです。

いざ網を引っ張ると、水しぶきや魚の鱗が飛んできて、それがキラキラしてとてもきれいで……。それまでは水族館や魚屋さんの魚しか見たことがなかったんですが、命が沸きたっている様子を見て、漁業の現場ってこんなに素晴らしいんだと思いました」

この漁場での体験が人生を決めることに。2016年はじめにFISHERMAN JAPANにジョインすると、クリエイティビティを発揮していきます。

TRITON PROJECT WEB SITE

「FISHERMAN JAPANには、漁師の写真を撮らせたら右に出る者はいない! と思っている、平井さんというカメラマンがいるんです。その写真を生かしたくて、“シンプルだけど強い”クリエイティブを心がけています」

そこから全国的にも注目されるようになり、他の地域の漁師団体からも「自分たちのデザインもお願いしたい」と依頼が飛び込んでくるようになっていきました。そこで2018年3月、安達さんが代表となりクリエイティブチーム「さかなデザイン」を設立したのです。

海とともにある石巻での暮らしは、クリエイティブの力を教えてくれた

FISHERMAN JAPANに携わるようになってから、サーフィンをはじめたという安達さん。もともとは「海に入るのは怖い」という気持ちもあったそうですが、海の魅力を知っていくうちに、ついには潜水士の資格まで取得します。

「2019年から海洋調査ダイバーもはじめたのですが、ライフサイクルで海に入るようになってから、海への解像度が変わりました。これまでもパソコン上でデータを見て、魚が減っていることは知っていたのですが、海の中に入ったときに、海藻がなくなっていて、ウニだけ散らばってる光景を見たらやはりショックで……。

『資源管理しないとまずい』っていうのが、思想じゃなくて、“自分ごと”として言えるようになるんです。漁師さんたちとと会話したときに、『タバコを海にポイ捨てするのはやめよう、ほんとにヤバイから』とか」

海とともにある石巻での暮らしは、安達さんのデザインやクリエイティブにどのような影響を与えているのでしょうか。

「“クリエイティブの力”を教えてくれたのは石巻でした。たった一枚の絵が大事になる瞬間を目の当たりにしたり、商店街のポスターを作ったら『ヒナちゃんが作ったんだよね」と声をかけられたり。ダイレクトに街に広がって、影響があることを体験できたのが、私のものづくりの原点になっています。

想像できる範囲で、温度感をもって、ものをつくってく。それが石巻から教わった、自分のクリエイティブのルールです」

東日本大震災から10年。関わってきたなかで、石巻の街の営みは、有機的に変化を続けています。

「石巻って、震災直後はよくわからない渦のようになっていて、本当にいろんな人たちが集まっていました。そのなかには、世界で活躍するジャーナリストやクリエイターもいて、普通に生きていたら出会わなかった人たちでした。石巻には、彼らが残したナレッジが、レガシーとして生きているんです。

10年前に小学生だった世代も、成人を迎えはじめています。これからの10年、きっとメインのプレイヤーとして活躍していくでしょう。

コミュニティって、そこにいる人の“営みの重なり”であって、有機的で動いているもの。かき混ぜ続けるエネルギーの集約が、盛り上がりを作っていくんじゃないでしょうか」

10年前のあのころ、この地にさまざまな人が植えてくれた種が、10年間でたくさんの変化と成長をもたらしました。そして、これからの10年で、いよいよ花開くときがきている ——安達さんのお話しからは、そんな予感がしました。

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