外部サイトへ移動します
CULTURE TRIP MAR 09,2021

<東北の今②>「手間のかかる綿花が、東北に人を呼んだ」10年続くコットン栽培が生んだもの

2021年は、東日本大震災から丸10年。株式会社アーバンリサーチでは、震災直後から、様々な形で東北の方々と関わってきました。
この節目となる年を迎えるにあたり、被災地として復興に向き合ってきた東北の「今」を全4回に分けてお届けしたいと思います。


株式会社アーバンリサーチをはじめとするアパレル企業各社と現地の農家が協力し、2011年から取り組みを続けてきた「東北コットンプロジェクト」。

それは、「津波にのまれてしまった畑で、農業が再開できるように」というアパレル企業の思いからはじまりました。

津波被害で稲作ができなくなってしまった畑にコットンを植え、農業を再開してもらおうという同プロジェクト。参加企業は収穫されたコットンを使い、洋服の企画・商品化まで一気に行ってきました。

それは、「服を着ることが、農家の支援になる」という新しい仕組み。しかし、それは一方的な「支援」ではありません。プロジェクトを支えたのは、現地の農家たちでした。

「棉は、人の手じゃないと収穫できない作物です」

そう語るのは、(有)イーストファームみやぎの代表・赤坂さん。自身も初めてだった「綿花の栽培」に取り組むことを10年前に決め、東北のコットン畑を育ててきました。

4000本もの棉の花を栽培する赤坂さんは取材中、多くの感謝の言葉を口にしていました。それは、毎年の草取りや種まき、綿摘みの仕事を手伝いにきてくれた多くのボランティアと、参加企業のメンバーに対して。

人の手でしか収穫できない綿花だからこそ、人とつながれたのだと語る赤坂さんに、10年を振り返りながら、これからの「東北コットン」について語っていただきました。

「ダメでもともと」だった。北限での綿花栽培

— 震災の起きる前は、どういった農業をされていたんですか?

赤坂芳則さん(以下、赤坂) もともとは宮城県内のいくつかの農地で、水稲と果樹の栽培をしていました。そのうちの1つに、津波の被害を受けた「荒浜」の農地があって。津波による塩害(※)でしばらくは農業ができない状態になっていました。

※塩害:台風や津波などによる農地の冠水などで発生する。土壌中に塩分が過剰に入ることで植物の根の給水機能が低下したり、土壌の透水性が低下して植物が根腐れすることの原因になる。

— その畑が、『東北コットンプロジェクト』の畑になっていくんですね。プロジェクトが始まったきっかけについて、覚えていますか?

赤坂 震災が起きた年の5月ごろ、ウチの畑に全農(農協)の小里さんと、大正紡績の取締役の近藤さん、『東北コットンプロジェクト』事務局の江良さんがいらっしゃってね。「東北の地に、塩害に強い棉の花を咲かせましょう」とプロジェクトについて熱く話してくださって。

— 震災から2ヶ月後にはもう、プロジェクトは動き出していたんですね。

赤坂 ただ、最初はお断りしていたんですよ。被害を受けた荒浜の土地は自分たちが持っていた農地のごく一部だったものですから、経営的には無くてもなんとかなる。本当は何もせず諦めようかと思っていました。江良さんたちに2〜3度お願いされて、最後は粘り負けでしたね。

— そうだったんですね。不安も多かったのではないですか?

赤坂 何しろ、全く未知の作物でしたから。日本で他に綿花の産地になっているところも知らないし、本来は熱帯に近い場所で育つ作物なので、栽培できたとしても、宮城県が北限かもしれないと。

— ハードルの高い挑戦だったんですね。

赤坂 ただ、綿花栽培が「新しい産業にならないかな?」という期待感もありました。どちらにせよ、当時は何もできることが無いと思っていたので、「ダメでもともと」という気持ちで始めることができました。がれきの少ない畑を探して、10ha(ヘクタール)くらいの土地を綿花畑にしようと決めて。2011年6月18日に、はじめて棉のタネを撒きました。

「人の手がないと収穫できない」

— 実際に栽培をはじめられてからは、順調でしたか?

赤坂 いえいえ。1年目なんかは特に大変でしたよ。不慣れな作物の栽培に加えて、同じ年の秋に来た台風のせいで畑が水没してしまって。本来なら数トン単位で獲れるはずだったコットンが、ダンボール2箱分しかとれなかった。

— 苦難が続きますね。

赤坂 2年目は収穫量が増えたものの、想定より少なくて。このままではいけないと、栽培する場所を、もともと持っていた東松島の農地に切り替えることにしました。それからようやく収穫量が伸び始めて。

— やっと報われるようになってきたんですね。

赤坂 いえ、まだまだです。本当は、コットンってあまり利益率のいい作物ではないんですよ。正直に言ってしまえば、育てれば育てるほど赤字になる。経営だけを考えるなら、やめてしまってもいい作物なんです。

— では、それでも続けられている理由はなんなのでしょうか

赤坂 端的に言ってしまえば、「棉の畑があることで、たくさんの人が東北に来てくれるから」です。栽培をはじめた1年目から、『東北コットンプロジェクト』の参加企業の方々が何度も草取りを手伝いに来てくれました。塩害にあった畑でもね、雑草は生えてくるんですよ。

2011年7月、プロジェクトの参加アパレル企業各社から、多くのスタッフがボランティアの草取りに参加した。
(写真:中野幸英)

赤坂 コットンというのは、本当に手作業でしか生まれない作物なんです。芽が出れば間引かないといけないし、棉を摘むのも全て手作業。

— とても労力のかかる作物なんですね。

赤坂 ただ、そのおかげで人とつながれる。いまでは毎年収穫の時期になると「綿摘みボランティア」を募集していて。宮城県内一円から200〜300名ものボランティアの方が集まってくださる。だから、4000本以上ある綿花を全て手で摘むことができるんです。

— 手間のかかる綿花栽培だからこそ、農業を知らない人にも手伝ってもらえる。まさに、コットンが人の集まるきっかけになっていると感じます。

赤坂 本当に、力になっていますよ。『東北コットンプロジェクト』の参加企業さんだけでも毎年100名の方が来てくださる。その支えがなければ、10年も綿花栽培を続けることはできなかったと思います。今では、全国でも最大級の生産地になることができました。

— コットン栽培の取り組みが大きくなればなるほど、多くの人の手を借りる可能性ができる。コットンが、たくさんの人と東北をつなげてくれているんですね。

コットン畑が与えてくれた、観光の可能性

— 今後は、どのようにコットン栽培を続けようと考えていますか?

赤坂 コットン畑が、観光農園の目玉になればいいと思っています。今では少しずつ、「綿花を見てみたい」「綿摘みを体験してみたい」という声も集まるようになりました。

(写真:中野幸英)

それに綿花栽培をはじめて数年後には、同じ農地でハーブやラベンダーも育て始めました。もともと果樹も栽培していましたから、東松島に遊びに来てくれた人に、見せられるものはたくさんある。

— 綿花を栽培するだけではなく、その先にある「東北に人を呼ぶ」ことを見据えて活動されているんですね。

赤坂 やはり、「まだ復興していない」という気持ちがありますから。経済的に復活しないと復興したとは言えないし、沿岸部をふくめて東北は「どうやったら人に来てもらえるか」を考え続けています。そのためには、商品の力も必要だと思っていて。

— 商品の力ですか。

赤坂 東北のコットンを広く世間に認知してもらうには、やはり「東北のコットンで作った商品」が有名にならないといけないと思うんです。プロダクトが広まって初めて、「東北に畑がある」ということにまで目を向けてもらえる。

— 商品が有名になれば、生産地にも注目が集まるかもしれない。いい循環が期待できます。

赤坂 今回、「マスク」を作るでしょう。震災から10年という節目に東北のコットンで作ろうと。それも、「東北のコットン」が広がるきっかけになってくれればいいなと思っていますよ。

この10年間育ててきたコットンのタネも、倉庫で保管している。

— 赤坂さんはこの10年、綿花栽培を通して東北に向き合われて来たんだなと感じます。これからの『東北コットンプロジェクト』についてはどう思われますか?

赤坂 このプロジェクトは綿花を育てる農業、商品を作る工業、それを届ける商業までつながった取り組みです。農業だけでも工業だけでもダメで、全部が繋がっていることに意味がある。企業との連携は大切にしていきたいですね。

— 『東北コットンプロジェクト』に10年取り組んでよかったことは、なんだと思いますか?

赤坂 やはり人と人とのつながりですよ。うちにはプロジェクトのために建てた作業場があって、毎年の綿摘みの時にはそこに大勢の人が集まるんですが。そこに大きく『東北コットンプロジェクト』の看板が掲げてある。文字通り、看板を下ろす訳にはいかないなと思いますよ。

10年間もの長い間、東北の地でコットンを育ててきた農家の赤坂さん。

「コットン栽培」という新しい産業に取り組んだことで得たものは、「日本国内でも最大級の生産地」という名誉だけではありません。赤坂さんは、何度も訪れる苦難を乗り越えてこられたのは、「人とのつながりがあったから」だと嬉しそうに語ってくれます。

「人と人をつなぐのは赤い糸だというでしょう。私はね、コットンの糸がつないでくれたんだと思うんですよ」。多くの人が綿摘みを手伝ってくれるのも、そんなお茶目なことを言う赤坂さんの人柄に惹かれたからでもあるのかもしれない。

コットン栽培を通して生まれた人と人のつながりが、翌年も、その翌年も、東北の地に活気を生む。そんな未来を見据えて赤坂さんは、今日もコットン畑を見守っている。

プロフィール

イーストファームみやぎ 代表取締役 赤坂芳則
宮城県遠田郡美里町を中心に農地を複数持ち、果樹園、水稲栽培などの多角経営を行う。生産だけではなく、餅やだんごといった加工品の販売も行っている。仙台東部地域棉の花生産組合・組合長(2011〜12年)。

FEATUREおすすめしたい記事

page top