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CULTURE TRIP OCT 17,2018

【だれも知らない京都】<上七軒>真夏の夜の夢

およそ300年の歴史がある京の花街の世界。システムを知らねばたどり着けないその奥深き世界に“たったひと夜”誰もが溶けこめる日があるという。ほんに夢のような。そんなひと時を味わうべく、老舗花街の<上七軒>へ。


芸妓街だから、軒ひさしのそろった表の面構えにも、よそと違った雰囲気があって、妓の名を墨書きした表札のならんでいる玄関の格子戸があいて、内から長襦袢の襟をつまんで、化粧くずれした姐さんがのぞいてぎょっとすることがあった。豆腐屋を呼び止めているのだ。水を打っている婆さまの身のこなしにも、どこやらいきなところがあった。

— 水上勉 「京都遍歴」京都上七軒 —

京都には「知ってるようで、実はあまり知らない」事柄が多いです。
見ただけでぽぉっとしてしまう美しい着物の世界や、お茶の道、そして舞妓さんや芸妓さんなどの“芸”の世界などなど。表面をかじるくらいのことはあってもその本筋まで理解できる人はきっと一握り。市井の人からは少し遠い存在でいて、でもやっぱり気になってしまう魅力があって、だから「京都の文化」はこんなにも長い間愛されてきたのでしょう。

その中でも特に「外の人」からは謎めいて見えるものの代表格が「舞妓さん・芸妓さん」ではないでしょうか。着物やお茶と違い、会いたくてもなかなか会えない。そんな存在でもあります。

ちなみに「舞妓」さんは修行時代の少女を指します(関東では半玉と呼ばれています)。唄に踊り、礼儀作法までを数年かけて勉強し、認められれば「芸妓」として独立します。とても大まかに言うならば舞妓さんは見習い、芸妓さんはプロフェッショナルと言ったところ。

美しい日本の伝統芸能ということもあり、小説からドラマ、映画まで様々なもので題材として取り上げられていますが、それでもなお少々謎めいている部分があって、それがもどかしいような、でもその謎が逆に美しさをさらに引き立てているような。

実は一度、お座敷で芸妓さんにお会いしたことがあります!

当時の上司のお供で出たお座敷でしたが、芸妓さんが来ると聞いて緊張の極み。
ですが実際に来てくださった芸妓さんはとても気さくで、会話も楽しく、さらに目の前で見る唄や踊りは美しくて。当時は二十歳そこそこの若僧でしたが、そんな私でもついついおしゃべりが弾むほどの会話の引き出しの多さ。

また所作の美しいこと、美しいこと。
例えばお酒の入ったガラスのコップをまるで羽根を持ち上げてるかのようにふんわり扱うその指先に、「日本女性の美」をその身に凝縮したような、そんな印象を持ちました。こっそりその所作を真似してみたけれど同じような美しい動きは叶わず…。

そんな美しき芸妓さんたちですが、遊びごとに慣れている人のお供でなければなかなかお会いすることはかないません。もちろん今は観光客向けに気軽なコースもなくはないですが、基本は一見さんお断りだったり、お茶屋さんを通してお願いするシステムなど、いざ「舞妓さん・芸妓さんに会いたい!」と思っても少々ハードルが高いのは確か。

ですが年に1度、舞妓さんや芸妓さんを身近で見られ、
さらに“ともに踊れる”日があるのです!

グルメから音楽、歴史、遊びごとまで京都のことなら何でも詳しい<案内人>の牧野さんからそんな素敵な情報を聞いて、「上七軒」と言う花街に行ってきました。

室町時代に北野天満宮の再建時に余った材木を払い下げてもらい建てた七軒の茶店から始まった上七軒は、先斗町や祇園など京都五花街のうち、最も古い花街といわれています。

豊臣秀吉がみたらし団子を気に入って茶屋として許可が下りたと伝えられていて、上七軒のシンボルマークはつなぎ団子をモチーフにしているそう。

会場の所々にはそのマークをあしらった提灯が下げられ、ムーディな雰囲気を盛り上げていました。

ここで舞妓さんや芸妓さんに会えるのは「上七軒盆踊り」と呼ばれる催し物です。今年は8月11日に開催されました。

会場で配られていたチラシには、夕方16:00時から屋台販売が開始され、その後に櫓で踊る1部と茶屋街の通りをめぐる2部構成とありました。2部が終了する20:00までの、ほんの4時間の夢の時間が始まります。

はんなりと踊り、踊られ

この日は気温35度を遥かに超えていました。通りを数メートル歩くだけで玉のような汗が吹き出る暑さ。始まる前に、牧野さんがお仕事でも関わっているという「たきもとゑびす」という炊きもの屋さんの2階で休憩させていただきました(感謝)。

牧野さんと、お茶屋「市」の皆さんと。

「たきものゑびすさんのお隣には本家が経営しているお茶屋さんがあるんですよ」と牧野さんはさらりと紹介してくれますが、そう聞くと改めてこの場所が歴史の中にあって、老舗が軒を連ねているという重みにちょっとドキドキ。何せ「お茶屋さん」という言葉を聞く機会すらそうそうないのですから。

「上七軒を盛り上げるために、10年前から始めたのがこの盆踊りなんです。電柱を地下に埋めて通りをきれいにしたり、こうやって一般の人も参加できる催しを始めたそうですよ」。

憧れの文化ではありますが、やはり若い世代などからすると敷居が高かったりします。また長年の不況もあって昔のように旦那衆がお金も時間もかけて芸術をバックアップする、そういったことも減ってきているそう。

だからこうやって身近に出会える機会があるのは嬉しい限り。

ちなみに「盆踊り」は一夜限りのイベントですが、7月から9月までは上七軒歌舞練場にある上七軒ビアガーデンで、浴衣姿の芸妓舞妓さんに会えるそうです。
まさに“夏の美しい京都”でビールをぐびり、ぜひそんな粋な夜も過ごしてみたい!

さて、そろそろ第1部の踊りが始まるとうことでいざ会場へ。

通りや櫓の周りには舞妓さんや芸妓さんを見ようとお客さんが次々と集まっていました。

こちらの晩柑フラッペも大人気でした。

とそのまえに腹ごしらえを。

冷やしきゅうりやたこ焼き、ビールや日本酒などから、京都中華の名店の一つ「糸仙」の屋台もありました。牧野さんから「京都中華の美味しさ」と糸仙の話を聞いたばかりなので、すぐに手が伸びます。

糸仙の牛バラ肉あんかけご飯。

この日のメニューは「牛バラ肉あんかけご飯」。やわらかな牛ばら肉に、琥珀色の餡がとろり。餡の奥に出汁の味が感じられ、あっさりしているのに奥行きのある味! 食べ終わった後に「ほぅ」とため息が漏れてしまうほど美味しかったです。

さらにたきものゑびすの「ちりめん山椒の焼きおにぎり」も頬張り(このちりめん山椒がまた美味なこと!)、お腹もくちたところでいざ、盆踊り。

「西陣音頭、おたのもうしますぅ」

どこからかそんなアナウンスが流れ、踊りが始まりました。

舞妓さん、芸妓さんの踊りの輪に、お茶屋の女将さんや男衆、そして一般客が加わって、その踊りの輪はだんだん大きくなって行きます。

もともと西陣織りとともに発展した上七軒。舞妓芸妓さんだけでなくお客さんも浴衣や夏の着物で美しく装う人が多く、その着こなしにもうっとり。

神若会の太鼓演奏も盆踊りを盛り上げます。先日パリで演奏披露したとか!

続いて上七軒音頭、祇園囃子音頭と曲はくるくると変わります。

太鼓がドンドン、ドドドン。
お客さんたちのワァという賞賛の声。

そんな賑やかな音に乗せられて
ピンと伸びた指先や、しなやかな手の返しが
くるり、くるり。

この一瞬を逃すまいとカメラを構える人、興味深げに眺める外国人観光客、そして若い世代のお客さんも多い!

素敵な浴衣のお嬢さん方もたくさんいました。

牧野さん曰く、また最近「盆踊り」が若い世代にも人気になっているそうです。
「フェス感覚というか、フェスのあのハイになる感じが盆踊りに通じるのかも」。確かにこのグルーブ感はフェスのようで、若い子の踊りもちゃんと様になっています。

最近はミニ丈やフリル付きなど変わり種の浴衣もありますが、さすが上七軒。若い世代の浴衣も伝統的でかつ若々しい華やかさがあってとても綺麗でした。変わり種も嫌いではないけれどやっぱり背筋が伸びるような美しい着こなしは見ていて気持ちが良いものです。

その後子供向けの盆踊りがあり、いよいよ第2部へ。

2部は上七軒通りを踊りながら行ったり来たり。
お茶屋さんの雰囲気と舞妓芸妓さんの踊りが美しく映え、カメラ持参の人たちのシャッターも止まりません。

開会の挨拶で市長さんが「全国広しといえども舞妓さんと踊れるんはここしかないんちゃうかなあ」とおっしゃってましたが、ただの盆踊りではなく京の文化と共に踊る。その特別な時間は貴重な体験でした。

さてさて夜も更け、提灯の明かりが闇にぽっかり浮かぶ頃。

踊りの熱気もどんどん高まり…

艶やかな夜の中でともに踊る人、カメラごしに見つめる人、ただただ見とれる人。

様々な人たちの熱気と、期待と、賑やかな音頭と共に盛り上がりは最高潮へ。

ーーーー踊りが終わり、徐々に人の波が引いた後ーーーーー

さっきまで舞妓芸妓さんたちの美しい舞や太鼓の音の余韻に浸りつつも、
ああ何か美しい夢を見たような。

そんなふわふわと不思議な高揚感に包まれたのでした。

※引用
「京都遍歴」 水上勉著/立風書房

上七軒 匠会

URL:http://www.takumikai.net/

PROFILE

松尾 彩Columnist

フリーランスのエディターとしてファッションからアウトドアまで幅広い雑誌・ムック・カタログなどで活動。現在はコラムニストとして主に旅紀行を執筆。小学館kufuraにて旅エッセイ「ドアを開けたら、旅が始まる」連載中

木村 巧Photographer

1993年茨城県生まれ。在学中より、写真家青山裕企氏に師事。春からURT編集部へ。

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