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CULTURE TRIP MAR 11,2021

<東北の今③>「10年で繋がった人の縁を、大切にする」kurkku 江良さん × UR 新山

2021年は、東日本大震災から丸10年。株式会社アーバンリサーチでは、震災直後から、様々な形で東北の方々と関わってきました。
この節目となる年を迎えるにあたり、被災地として復興に向き合ってきた東北の「今」を全4回に分けてお届けしたいと思います。


2011年の東日本大震災をきっかけにスタートした『東北コットンプロジェクト』。
「津波によって塩害を受けた畑で、綿花を育てられるようにする」という取り組みは、現地農家と多くのアパレル企業との協働関係からはじまりました。石巻の土地から多くのプロダクトを生み出してきたこのプロジェクトにおけるふたりのキーマンに、10年間の振り返りとこれからの取り組みについて伺いました。

「津波にのまれた畑で、コットン(綿花)を育てよう」。

言葉にすれば、シンプルに聞こえるかもしれません。しかし、そんな取り組みが10年間も続いてきたと聞けば、印象は変わるのではないでしょうか。

(写真:中野幸英)

『東北コットンプロジェクト』は、津波に飲まれ、今まで通りの作物を栽培できなくなった東北・宮城県の土地ではじまりました。

東北に暮らす農家の方々と、70を超えるアパレル企業が協力して綿花を栽培し、収穫されたコットンを使って洋服の企画・商品化まで一気に行うという取り組みです。

多くの人たちの思いを飲み込みながら走り続けたプロジェクトは10年間でたくさんのプロダクトを生み、東北沿岸部の土地を日本でも有数の綿花の産地へと変えました。

プロジェクトの開始から10年となる今年、取り組みのキーマンであるふたりに振り返ってもらうことに。

ひとりは、事務局としてプロジェクトをまとめあげてきた、ライフスタイルブランド『kurkku』の江良慶介さん。

もうひとりは、現地の農家さんと関わりながら、アパレルアイテムの企画を行ってきたアーバンリサーチの新山浩児。

そんなふたりに『東北コットンプロジェクト』のこれまでと、今後の展望をお聞きしました。

東北コットンプロジェクトの始まりと、ふたりの関係

— 今日は、10年間続いてきた東北コットンプロジェクトについて、じっくりお伺いしていきます。まずは、おふたりの関係性について聞かせてもらえますか?

江良慶介さん(以下、江良) もともとふたりとも、インドのコットン農家さんを支援する『プレオーガニックコットンプロジェクト(以下、POC)』という活動に一緒に取り組んでいました。

新山浩児(以下、新山) 一緒にプロジェクトを動かしていたから、震災が起きて、連絡を取り合うのも早かったですよね。すぐに電話をかけて。

江良 そうですよね。震災が起きた数日後にはもう、POCのメンバーたちと電話で「自分たちに何かできることはないだろうか」という話をしていました。

— そのあと『東北コットンプロジェクト』がはじまるまでには、どんな経緯があったのでしょうか?

江良 震災から2ヶ月が経って、5月10日(コットンの日)におこなわれたイベントの会場で『綿花は塩害に強く、津波を受けた畑でも栽培できるかもしれない』というアイデアを聞いたんです。『大正紡績株式会社』の近藤さんがそうお話しされていて。

(写真:中野幸英)

江良 デニムの産地として有名な岡山県の児島エリアも、歴史をたどれば海を埋め立てた干拓地らしいです。塩分の強い土壌でも、棉がよく育ったからデニム作りが盛んになったとか。

— 津波の塩を溜め込んでしまった畑でも、棉は育てられるかもしれないと。

新山 それに、「東北でコットンを育てる」ことがプロジェクトになれば、収穫したものを僕たちアパレルブランドが買い取ることができるでしょう。ボランティアじゃなく、本業の中でできることを見つけたかったんです。

江良 それからはすぐに現地に視察に行って、農家さんと話し合いを重ねて、6月には綿花のタネを植えていました。2011年の秋には、最初の収穫をしましたね。

— 震災からたった半年後。すごいスピード感ですね。

江良 当時は1日1日が濃かったですから。あの頃は立場に関係なく「いまできることをやらなきゃ」という思いがみんなにあったと思います。

アーバンリサーチが、プロジェクトに参加した理由

— アーバンリサーチも、発起人企業としてプロジェクト立ち上げ時から関わってきましたよね。この取り組みに参加した理由などをお聞きできますか?

新山 僕らの場合は、「農家さんを助けたい」というよりも、「本業でかっこいいことをやろう」というのが強かったですね。

江良 当時からそう話されていましたね。

新山 だから当時、「アパレル企業が農家さんのために」「被災農家を支援」といった文脈で注目されることは、本当は少し違和感があったんですよ。

種まきや草刈りの時期には、参加アパレル企業のメンバーも現地へ足を運んだ。
(写真:中野幸英)

— 「助ける」という見え方があまり本意じゃないと。では、どういった思いだったんですか?

新山 僕は、一代でウチの会社を築いた社長が、仕事を通して多くの人を巻き込んでいくのを見てきました。だから自分たちも、そうありたいなと思っていて。近江商人でいうところの「三方良し(※)」ができる会社でありたかったんですよ。

※ 三方良し…商売において、売り手と買い手が満足するのは当然のこと、社会に貢献できてこそよい商売だという考え方。

— 会社として「どうあるべきなのか」を考えられた結果だったんですね。

新山 だからこそ「ボランティア」ではなくて、なんとかしてビジネスにのせる仕組みにしていこうと頑張りました。だって、本当は普通にコットンを買う方が安いわけですから(笑)。

「東北コットンプロジェクト」で栽培された棉を使い、フォトグラファー・ホンマタカシ氏による写真をプリントしたTシャツ。

— それでも、「東北の農家の人たちと、一緒にプロジェクトをする」ことを選ばれたんですね。

農家さんと共に歩んだ、東北コットンプロジェクトの取り組み

— 具体的には、どうやってプロジェクトを進めていったんですか?

江良 『JA全農(みのりみのるプロジェクト)』の方を通して、協力してくださる5名の農家さんを紹介していただきました。現地に何度も通って農家の方々と関係性を築きながら、20〜30アールほどの土地から栽培をはじめて。

— プロジェクトを振り返ってみて、コットンの栽培は順調でしたか?

江良 もちろん、大変なこともたくさんありました。綿花が思うように育たなかったり、一部の農家さんだけが注目されてしまったり。それでも、農家さんみんなが思いを持って協力してくれました。

荒浜では新たに農家が集い、被災した現地農業継続のために会社を設立した。(2013年当時)
(写真:中野幸英)

江良 『耕谷アグリサービス』という地元企業に所属するメンバーは、東北の気候に合わせた綿花栽培の方法を研究してくださいました。「復興に向けた一大事業にする」と息巻いてくれる企業もいた。「わた畑を見にきてもらいたい」と観光農園化を目指す農家さんもいて。

新山 現地のそういう農家さんたちとつながることができた、っていうのは本当に大きいよね。プロジェクトをやった意味として。

種植えに参加されていた農家の方と、新山(2016年5月撮影)

江良 本当にそうですね。プロジェクトが10年間続いているのも、現地の方々と、人と人の付き合いができているからこそだと思います。

マスク作りで、10年前の思いを再び共有する

— プロジェクトが10年目となる今、特別な商品として「マスク」を制作されるそうですね。

江良 はい。東北の農家の方々にとっても、「次の未来へ向かっていく」という一つの節目のような意味はあると思っています。そんな今だからこそ、自分だけじゃなく誰かのために手を伸ばしていくような気持ちを、プロダクトを通して伝えていけるといいのではないかと。

新山 東北コットンプロジェクトがコロナ禍と向き合っている、戦っているという姿勢を見せることにも価値があると思いました。

江良 そうですね。それに、新山さんと話しているなかで、「コロナもあの時に似た、自然の猛威ですよね」という話になったんですよね。あの状況だからこそ、共有できていた思いもあると。

— 思い、ですか。

江良 あの頃って、みんなが何を見ても同じように感じていたと思うんです。それは「自分だけじゃなく、他人を思ったり、他人を優先できる」という思い。だからこそ、競合するアパレルブランドたちも関係なく、東北コットンプロジェクトを立ち上げることができた。

新山 今の世の中でも、10年前のああいう思いをもう一度思い出すことが必要なんちゃうかな、と思って。

TOHOKU COTTON MASK

江良 制作したマスクには「Don’t think feel.」という、ブルース・リーが出演した有名な映画で、流行した言葉をメッセージとして入れました。社会全体が大変な状況に置かれている世の中だからこそ、感じ合うこと、イマジネーションが必要だと思っています。

新山 それから、マスクの売り上げの5%を、コロナ禍で苦しい思いをしているシングルペアレントへの支援活動に寄付することになっています。

江良 環境保全のプロジェクトを行なっている『APバンク』さんがシングルペアレントの方々への食糧支援をおこなっているんですよ。そこに、僕たちの売り上げを一部寄付させていただく形ですね。

— ここでももう一つ多く、社会に貢献するアクションを加えているんですね。

新山 「マスクをつくる」ことがビジネスに留まらず、いろんな人々とつながるための行動にもなる。10年経って、こういうことを自然とできる組織になってよかったなと思いますよ。

東北コットンプロジェクトのこれからと、江良さん、新山の思いについて

— 最後に、今後のプロジェクトに対するおふたりの思いを聞かせてください。

江良 先ほどの話にも出ましたが、プロジェクトに取り組んでよかったことは、参加企業と東北の人々とのつながりができたことです。10年前のあの状況で一気に繋がって、色々やってこれた。実は10年を迎えるまでに、プロジェクトを終わりにするかどうか農家の方々と話し合ったこともあったんですよ。

— それはどうしてでしょう?

江良 数年が経ち、東北の畑でも綿花以外の作物を栽培できるまでになってきた時に、プロジェクトは役割を終えたのではないかと考えて。綿花栽培の技術も、もう十分に現地に残されていくはずですし。ただ、結局は続けることになった。ビジネスとしてだけなら終えてもいいのにです。

いつしか、綿摘みや種まきといったイベントのたびに県内一円から人が集まるようになっていった。
(写真:中野幸英)

江良 それは、プロジェクトに関わる企業チームと農家さんたちとの間につながりができていたから。年に何回か、収穫や種まきなどを通してみんなで集まって、イベントを現地で開催しては足を運んで。そうして繋がった縁を、「はい終了です」とはできないね、という話になりました。

— 10年向き合い続けて、関係性が生まれたんですね。

江良 人と人の上に成り立ってきた活動ですから。今後も改めて、地域の方とのつながりをより深めていきたい、という思いが強くあります。

新山 その通りですね。プロジェクトも10年経ちましたが、「もう一度気を引き締めて、次のステップへ進む」という意識でやっていきたいと思っています。

COVID-19の影響で、大規模な収穫祭を開くことは叶わなかった2020年。それでも、コットンはたわわに実った。

新山 いま、アーバンリサーチで行っているさまざまなプロジェクトがあります。プロユースの漁師ウェアの製作を始め、東北の若手漁師集団の「FISHERMAN JAPAN」と取り組んできた「JAPAN MADE PROJECT “TOHOKU”」など。そういった他の取り組みと『東北コットンプロジェクト』を繋げて課題をシェアすることも、次の課題だと思います。

江良 プロジェクトを通して他の人を支援する、ということが自然とできる団体になっていることは、とてもいいですよね。

新山 10年目にはなりましたが、初心に戻って、東北でいいつながりを作っていきましょう。

塩害にさらされた東北の畑に、コットンのタネをまくことから始まったこのプロジェクト。10年の時を経て培ってきたのは、地元・東北の人々と、プロジェクトに関わる多くの人々とのつながりでした。今後も「東北コットンプロジェクト」は続いていくとのこと。これからの10年にもまた、人と人の新しい物語が生まれていくのかもしれません。


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